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晴れの日も雨の日も#214 しかない思考癖、ねばならない症候群、べき人間

〇〇するしかない。☓☓であらねばらない。△△すべき。

そういう考え方に人は陥りやすい。これは、思い込みや決めつけ、とらわれが原因となって発症する病みたいなものだ。この病原菌はなかなか威力や感染力が強く、私達の身の回りのそこここにはびこっている。
いつでも誰でも簡単にこの病に罹ってしまう。おまけに、本人は病に罹っていることになかなか気が付かない。
さらには、この病は慢性化しやすい。長い間この病と付き合っている内に、病に罹っている状態がむしろ平常的になってしまい、痛痒を感じなくなってくる。

「しかない」と視界や選択肢を狭め、
「ねばならない」と自分に足かせをはめ、
「べき」にがんじがらめになっていても、呼吸もできるしメシも食える。慣れてしまえば、(本人としては)フツーに生きて行けてしまう。だから気が付かなかったり、そこから脱しようと思わなくなる。

だったら別にそれでもええやん、ということでもあるのだが、この病の状態から抜け出すことができると、思ってもいなかった自由で楽しく上質な人生が開けたりする。


そして、どういうことに「思い込み・決めつけ・とらわれ」が生じるかは人によって異なる。
私がめちゃめちゃとらわれていることに、周囲は「なんで?」と思っている、なんてことはよく起きる。周囲は、本人が一人で勝手にこだわっていることが見えているから、「もっと肩の力を抜いて楽に生きたらいいのに」と思っている。そう本人に伝えることもあるのだが、よっぽど生きづらさを本人が自覚していない限りは、なかなかそれを手放せない。


と、エラそうに書いているが、恥ずかしながら、私こそ、この病の道にかけては筋金入りのチャンピオンクラスだ。長い間そうしてきたし、むしろ、自ら進んで、そうやって自分を縛り上げてきたようにも思う。そうやって自分で自分に鞭を入れていくことが、山頂に向かう唯一の道だと勘違いしていたのだろう。

しかし、それはずいぶん貧しく頑なで損な生き方だとようやく気づいてきた。

なんで、そんなに「ねばならない」と思うのか。もしそこからはみ出したらどんな悪いことが起きるのか。
「しかない」という場所から立ち位置を変えたら、違う景色が見えたりしないのか。
「べき」もいいけど、本当に求めているもの、あるいは自分が心から納得できる世界は何なのか。
こんな問いが有効な処方箋のひとつだろう。


そうしてこだわりやとらわれを一枚一枚バリバリと身から剥がしていくと、驚くほど身軽に生きることができる。「ねばならない」の中には実は意味が希薄もしくは不明なものがいっぱいある。それを手放すことで、自分の本来のエネルギーをもっと本質的に有効活用できる。効率の良いエコな生き方とも言えそうだ。そんなふうに自分を解放することは、よりよく生きることなのだと思う。

特に、私の場合、サラリーマンから足を洗い、ぼちぼちと第二の人生を歩んでいる身だ。組織人現役の時以上に「ねばならない」ことは激減した。
このタイミングでコーチングを学ぶことになったのは、単にコーチングを生業にするということを超えて、もっと本当の自分らしく生きることに向かっている感じだ。おかげさまで機嫌よく日々を過ごしており、少しでも多くの人に同じような思いをして頂けるようなお手伝いができればと思っている。

右肩上がり一直線の飛行機雲と共に夜が明ける。人生はそう簡単にはいきまへんで〜😂

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#215 【創作SSタケおじシリーズvol.5】初恋
#216 先憂後楽とは言うけれど
#217 ツナガルって?

(つづく)

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