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「晴れの日も雨の日も」 #88 子育てあれこれ

拙noteの読者からお便りを頂いた。子育てについてのご相談だ。
個別に頂いたお便りをこんなところで記事にするのは本来ご法度だが、noteでお付き合いさせて頂いている子育て経験豊富な母ちゃん父ちゃんのご意見も頂いたほうがいいかもしれんと思い至った。
みなさん、どしどしコメントしてね〜。

ちなみにその方は高校生と中学生のお母さん。特に中学生男子に、たとえば勉強しなさい等口うるさく言ってしまう自分についてお悩みだ。ちょっと繊細なところもある息子さんへの愛情はそのお便りからひしひしと伝わってくる。

まず最初に言えるのは、それってどの親もぶつかる問題で、そこで悩むのは全然フツー。で、結果的には子供はいずれちゃんと大人になるケースが多く、あまり思いつめなくてもいいんじゃない?ということ。
もうひとつは、子育ては夫婦でやるもの。お父さんがどんなお考えで、どんな接し方をされているのか、って重要だということ。
そういうアンタはどうやったんやって?すいません、自分のことは棚に上げています。


で、ながいコーチなら、まずは、例えば勉強のことについてやいやい言ってしまって悩んでいるというそのお母さんの心の中を一緒に掘り下げる。
たとえば、勉強してどうなってほしいのか、勉強することの目的や意味をどう思うのか、など。彼女の悩みそのものに寄り添っていこうというアプローチだ。

次に、この男子の心の中を探っていく取り組みが必要で、これは彼女(+お父さん=ご主人)に頑張ってもらわないといけない。
彼の行動を司っているのは親ではない。学校の先生でもない。彼自身だ。したがい、彼の心や頭の中を知ろうという努力、さらにはそこへの興味・関心がまず一丁目一番地。自分と彼は別の人間であり、考えや想いは異なるのだ、という前提を飲み込んだうえでね。

それがわかれば、直ちに、彼の心や頭の中を変えて行動変容を実現できる、とは限らない。が、少なくとも、それを知らない限り、いくら親がキリキリしても彼の行動は変わらない。そういう理解もしくは理解しようとする姿勢が親子の関係性に変化を生み出し、彼女の彼への気持ちが大きく変わってくることは間違いないと思う。


と、子育てを略終えたながいコーチは、無責任&エラそうにへ理屈を言っているが、自分がそんなことをしてきたわけでは全く無い。そもそも、拙noteの家族記事は多少盛ってカッコよく書いている部分もあるし、ここまでの子育ては決して順風満帆ではない。

私が親になったのは25歳の時だ。当時は若造で価値観のエッジが立っており、「かくあるべし」みたいなこだわりが強かった。それは基本的には自分の生き方についてなのだが、自分の分身のように愛する子供たちにもそういうことを求めるキライがあった。
そもそも、子供たちを自分の分身のように思っていること自体オカシイ。
愛するのは結構だが、愛し方がオカシイ。

特に第2子の長男には男として期待する気持ちも小さくなく、そこには自分の反省も理想も織り込まれており、やいやい言ったり、共にもしくは先導して実践したりしていた。
今、彼は、子供の頃の話になると、「かなんオヤジやった(要はもう勘弁してほしかったという趣旨)」と言う。
その影響ではないと思うが、彼は中学の時はだいぶ横道に逸れていた。高校の時もやや然り。彼の名誉のために多くは語らないが、相当手を焼いたし、母親だけでは始末がつかず、最後は私が出ていって火消しをしたことが何度かある。この頃私は単身赴任で、日常的な子育ては細君におんぶにだっこだったが、それでは片付かないことが起きたりした。

その彼が人並みに社会人となり結婚もし、来春には父親になるという。それは私の力では全く無く、大学の時に得難い友人関係に恵まれたこと、必死にバスケットボールに取り組んでいる妹の姿を見て刺激を受けたことなどが大きい。

これは、子供にとって、もちろん親の存在は大きいのだが、ほかにもいろんな影響を受けてヤツらは育っていくのであり、親が全部コントロールできるものではない、ということを端的に示している。だから、気楽に考えたらと思うのだ。

子供の人生は子供のものであり、親の人生とはまた別モノだ。
親であってもいくらか手放すことも必要だろう。
が、手放すことは無関心とはまた異なる。
拙note#65「遠くで見守る」という記事を投稿したが、親子の関係もこういう感じが理想なのかもしれない。

が、これも今だから言えることだ。
上ではとりあえず息子のことだけを書いたが、あとの4人ともそれぞれそれなりのドラマがあった。ヤツらと関わっていた瞬間瞬間はアツくなって対峙していた。
言い過ぎたり気にかけすぎたり、それを反省したり、同じ失敗を何度も繰り返しながらやっていた。
そういう真剣勝負を重ねていくことが自分のスタイルだが、ヤツらがそれで押しつぶされることなく大人になったのは、途中記載したような色んな人との出会いのおかげであり、大きく捉えれば神様のご加護だったのだと思う。一方、こっちの気持ちが真剣だったから神様も守ってくださったのか、とも思う。


やや脳天気な言い方で恐縮だが、精一杯悩みながら子供と日々正面から向き合いなはれ、しんどいけど今しかできへん喜びでっせ、やいやい言ってもええやん、イライラしてもええやん、それが親であり、いつかその真剣な気持ちが伝わったり報われたりする日がきっとくるよ、と思う。

(今回はちょっと文字数オーバー。気持ち入れすぎ。反省)

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予告>
#89 眠れない夜
#90 37年前の9月15日
#91 物欲
#92 柔らかいこころ
#93 やる気のないヤツ

(続く)

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