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晴れの日も雨の日も #147 おでん屋にて#4 待つ 

いつものおでん屋での店のスタッフ(みんみん:仮名 アラフィフレデイ)との会話。

私            ここのすぐ近くのあの店、いつも昼飯時並んでるなあ
みんみん あそこ人気店やねん
私            昼飯食うのによう並んで待つわ?
みんみん そう?私、並ぶの平気やで
私            えー??マジ?オレはあり得へんわ
みんみん だって食べたいもん食べたいやん。
私            その気持ちが「待つのイヤ」に勝つっちゅうことか
みんみん そう。別に2時間も3時間も待つわけやなし
私            なんか待つための秘訣とかコツってあるん?
みんみん そんな難しくないで。だって必ず自分の順番って来るやん?
私            なるほど。必ず来るってわかってれば待てるっちゅうことか
みんみん そうそう。だって間違いなく来るんやもん

と、ここまで他愛もない会話をしたところで、他のお客さんからの注文を聞くため、みんみんは私の前から離れた。私は一人でぼんやりと続きを考えていた。

なるほどなあ。絶対来るのであれば待てる、か。ふむふむ。
じゃあ、多分来るやろ、だったらどうなんだろう?
来るかもしれん、でも待てるんだろうか?
来ないかも?なんて思ったら待てないよなあ。
来るかどうかわからん、やったら待つアホはおらんかな。

などと思いを巡らせているうちに、「待つ」って「並んで順番を待つ」だけじゃないよな、「人を待つ」もあるよな、と当たり前のことに気づいた。それは信じるということと通底するんじゃないの、という発想につながった。

信じることができれば待てる。逆に言えば待つためには信じることが必要。

「信じる」か〜。むずかしいなあ。何をもって人を信じればいいのだろう。

私は会話すなわち言葉を扱うことを生業としている。言葉の重要性は人一倍認識しているつもりだ。だが、言葉は必ずしも真実を表すとは限らない。相手が言うことをそのまま安意に信じるのはいかにも危なっかしい。

それよりは日常の行動の方が間違いがないかな?これはその場の言葉だけより信頼性がある気がする。だが、人はいつもいつも本当の心に従って行動しているのかというと、違う気がする。いろんな思惑や事情等で心の声を捻じ曲げて行動していることもありそうだ。

そうすると、どうやってその人の本当の底みたいなものを見たらいいのだろう?
もっと全体的にその人を見るということが必要なんだろうか。
たとえば、ほんの一瞬の目の色が見せるものが一番確かだということもあるような気も?
そんなものを本当に信じて良いのか、実に頼りない話だ。しかし、例えば心が開いているかどうか、と言う事についてなら、こういうことはバカにならない気がする。

その人を本当に表しているものを見るには、実はこんなことが出発点なのかもしれない。
言葉を注意深く聞く、日常の言動を注視するというのは間違いなく大事だが、相手を深く知る上ではそれだけでは不十分で、深く知らなければ本当に信じるということは難しいのではないか。心を扱う専門家を目指す私は、相手のそういうかそけきサインを見逃さない姿勢が大事なんだろうなあ。

と思っていたところで、みんみんが戻ってきた。もうそろそろ私の酒も適量オーバーだ。最後の一本を頼んで早々に引き上げよう。と思ったが、この後まだもう一幕が待っていた。明後日投稿予定の次号に続く。

20年あまり通り慣れた道で群れ咲く水仙に初めて気づく。去年までのオレは何を見てたんや?


今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
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