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「晴れの日も雨の日も」#102 孤独とつきあう

私は人と交わるのが好きだ。人と関係性を築いていくことも比較的苦にならない。しかし、矛盾するようだが、一人でいることもあまり苦痛ではない。走ったり勉強したり、一人での取組に傾斜していた頃があり、一人でいることへの慣れがあるのだろう。孤独への耐性は比較的高いほうだと思う。

が、同時に一方で、サミシガリでもあったりする。
なにかの拍子、たとえば「あー、オレは理解されていないんだ」などと思った時にはめちゃめちゃ孤独感を感じたりする。そういう時は、誰かがそばにいてくれれば孤独感が癒やされるというほど単純な話ではない。大勢の人と一緒にいたって、寂しさはつのるばかりだったりする。本当につながっていたい相手と確かなつながりを感じられない時にも、絶望にも近い孤独感に襲われる。

「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも一人し思へば」
若い頃は万葉集の詩を読んで感傷的になっていたこともあった。

皆川久美香さんが「孤独は必ずしも排除すべきものではない、という話」という記事を投稿されていた。孤独から得られるものもある、という。孤独は悪ではない。孤独とどうつきあうかというのはとても大事な問題なのだ。

ひとりでもわたしは生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかにちがう
強気で強気で生きてる人ほど
些細なさびしさでつまづくものよ

中島みゆき 「誕生」

会社を卒業すると属するところがなくなる。
必然的に一人の時間が増える。
それまでは、なんやかんや言っても職場の仲間がいた。一緒に仕事をし、メシを食い、雑談をする相手が身の回りにいた。それがなくなる。
趣味の仲間でもいればいいが、それもなければ、いやでも孤独と向き合わなくてはいけなくなる。

その苦しさのあまり、誰かにすがろうとするのはカッコ悪いだけでなく、人サマのご迷惑になりがちだ。家族だって同じだ。奥さんや家族と急に距離を縮めようとして、結果、かえって関係がギクシャクするなんてのは、人生の終盤に来てホントに辛い。

会社というのは、働いている時には「早く辞めたい」と思うこともあるが、実は、自分を守ってくれている場所なのだ。そうしてこんなことに気付けるのは、皮肉なことに、辞めてからだ。
65歳定年時代というが、65歳になってからあわててこんなことを考えるのではなく、そのもう少し前から、いずれくる「卒業」の日に向けて、少しづつ心の準備をし、軟着陸を心がけたほうがいいように思う。



では、どうすれば、孤独とうまくつきあえるのか。


人は一人で生まれて一人で死んでいく、という。
この冷酷な現実を正面から見つめて、それが人間の本来の姿だと呑み込むことができればベストだ。言うは易く行うは難しなのだが。

そのためのはじめの一歩は、月並みだが、一人の時間を楽しむということだと思う。
拙note#21「五感+1をフル動員して生きる」で五感を存分に働かして、日常の中にちょっとした変化や「オモロイ」を見つけるということを書いた。自分次第で、一人でもオモロイことに出会うことはできる。今を楽しむこと。これが一番王道だと思う。

そうして、そこで気付いたことをnoteにでもアップすれば、何人か共有する相手もできる。それを励みに、さらに日々の気づきを充実させて生きる。

自分のために、自分の心の窓を開いて今日を精一杯生きる。
そういう習慣ができれば、孤独は恐れる必要はない。
そういう人は凛としてカッコいいと私は思う。


また、最近のリモートワークの普及で、現役でも孤独を感じる人が増幅しているという。こちらはコミュニケーションのとり方の問題だろう。コーチの出番かもしれない。

追 福島さんに拙noteを取り上げて頂いた。そんなことは全く想定していなかった。びっくりしたし、とっても嬉しかった。おまけに激賞と言うか、お尻がむず痒くなりそうな過分のご紹介をして頂いた。福島さん、力づけていただきました。誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#103 オマエ一体ナニモノやねん
#104 可能性を信じ切る
#105 放下著
#106 人生が二度あれば

(続く)

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