「晴れの日も雨の日も」 #133 人生ゲーム
正月には家族が集まる家が多いことと思う。
拙宅も東京にいる長女はなかなか帰ってこれないが、同じ阪神間に住む息子#2や娘#3、家大好きの娘#5が帰ってきて、ワーワーやる。
昔はみなが集まると人生ゲームやトランプをよくやった。
べべはコンビニスイーツを全員におごるというのがながい家のルールだ。子供たち、特に#3は勝負事に結構ムキになる。で、だいたい何をやっても勝負弱い私が負けて、みんなに奢らされることが多かった。
寒い中を一人トボトボコンビニに向かうと、老域に入ったことをヒシヒシと感じさせられたりする。
人生ゲームはもう何年前に買ったものだろう。
我が家の長寿品の一つだ。
人生ゲームはもちろんだが、フツーのすごろくもよく出来たゲームだと思う。
人生には努力が必要だが、努力だけで何とかなるほど簡単ではない。むしろ、サイコロの目のような、ちょっとした運や出会いが大きく人生を左右することが少なくない。運という言い方は実はあまり好きではないが、運命の分かれ道、という言い方なら、「あるよな〜」と思う。めぐり合わせと言うなら間違いなくあると断言できる。
それは出会いという狭義の意味だけではない。
サイコロのちょっとした目の出方で、「1回休み」になったり、「3個進む」になったりする。
「1回休み」の時は、他の人がどんどん進んでいくのを指を加えて見ていなければならない。腐ってもしょうがない。自分の出番が来るのをじっと待つしか無い。
すごろくに興じていた子供の頃はわからなかったが、こんなこと人生にあるよなー、と思ってしまう。
「1回休み」はまだ可愛らしい方だ。「振り出しに戻る」になるとホントにガクッと来る。せっかくここまで進んできたのに、もう一度一からやり直し。しかも自分だけ。できればもう1回サイコロ振り直させて、と言いたくなる。
が、これも実は人生で起きうる。
努力が水泡に帰すかのような思い。
マジかよーと空を仰ぎたくなる。
ひどい時には、人が振ったサイコロで自分が振り出しに戻されるように感じることもある。涼しい顔しているソイツの顔を見ると、「クソ、このガキャー!」と思う。自然な感情だろう。でも、サイコロは振られてしまった。戻るしか無い。あとは、そのことを自分でどう飲み込んで、この先どうするか、でしかない。
そして、それでも、人生はまだゲームオーバーしていない。
もう一度自分の足で歩みだすしか無い。
頑張ってれば、そのうちどこかで「3つ進む」が連続して起きるかも知れない。
いや、もっと言うと、すごろくのゴールは一つしか無いが、人生のゴールは一つとは限らない。私のゴールと子供たちのゴールが全然違っていたって何の不思議もない。私のゴールはすごろくのみんなのゴールより遥かに手前にあっても全然構わない。ゴールをきめるのは自分なのだ。
「振り出しに戻る」は確かにガクッと来るが、「原点回帰」ということは時に必要なのではないか。糸がこんぐらかってどうしようもなくなる時がある。道に迷ってしまうこともある。そういう時は原点回帰が一番の近道だったりする。初心忘れるべからず、という面だってあるだろう。
なんだか、たかがすごろく、されどすごろくなのだ。
そうして人生は人生ゲームよりもっとドラマに満ち満ちている。
さあ、今年はどんな目が出て、どんなことが起きるのだろう。
今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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♯134 subtitle
#135 コーチングをお届けしてみたい人
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(つづく)
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