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Efficency Slave-効率化の奴隷

こんにちは、長濱由成です。学校に朝行ったはいいものの雨が降ってくることを知らず、現在学校のラウンジで銀行強盗かのように立て籠っている長濱です。誰かこの雨を止めてほしい。
#この記事が読まれている頃には意味ないやろ

さて、今日は「Efficency Slave-効率化の奴隷」というテーマでお送りしていきます。一見意識高い系だけが気にしがちな時間の効率化ですが、実は全ての人にとって嬉しい出来事だということを3000文字かけて解説していきたいと思います。

今回の内容は前回の記事「手抜き」と「楽をする」は全く違うの続きです!良ければ以下から覗いてみてください。


まず大前提として、効率化するとはどのようなことか。1時間あたり可能な作業量を増やす、そもそも仕事をクリアするまでの時間を短縮する、など色々な表現の仕方があると思う。そもそも「その仕事って必要なんですか?」という姿勢のタイプもあるしもうメチャクチャだ。

そして効率化に対して浮かぶもうひとつの疑問として、意外と「効率化」という単語が嫌われがちだということだ。それは今の自分の仕事の仕方が効率的じゃないと否定されてる気がして嫌気が差す場合もあれば、そもそも効率化とかいうのは虚言とか魔法に過ぎなくて実際には根気とかやる気だろって思われてる場合もあるし、効率化したら人の温かみが減ると怖がっている人もいる。これは大学に入ってから顕著に感じている違和感である。

さて、ではなぜそんなことを分かっておきながらなぜ長濱由成という男は効率化が重要であるといつまでも説いてるのか。他人から見れば効率化に取り憑かれている奴隷(efficency slave)のようにしか見えないかもしれない。けど、個人的には正当な理由があるから実行している。今日はそんな話だ。

効率化することを意訳すると、仕事に掛ける時間を減らすということだ。それは短縮であり消失である。時間という尺度は非常に難しく、人間というのは1日あたり24時間しか与えられていない。その中には睡眠も食事もお風呂も余暇も当然ある。そう考えると仕事に充てられる時間というのは本来少ないはずだ。こんなことは誰もが分かっているし、本来誰も仕事なんかしたくない。アダムとイブが仕事を罰として与えられたように、人間というのは別に仕事を好きなわけではない。もちろん落合陽一みたいにWork as lifeを推奨する人もいるがそれは少数。現実は、あらゆる人がワークライフバランスを主張するという地獄絵図が毎日毎秒巻き起こっている。

さて、仕事は恋愛や友達関係とは違って成果物というのが存在する。言い換える(i.e.)ならノルマみたいなものだ。そう考えると、仕事を効率化すればするほど自由に使える時間というのは増えてくる。そしてチームを率いる人や仕事を主導的に回していく人はこの成果物をきちんと用意することが最終の仕事である。

ふー、ここまで色々言ってきているがサッと結論を言ってしまう。「多くの人にとって仕事は辛いものだ、ならとりあえず効率化してみて問題点は後から考えてみよう、時間を短縮することで不幸になる人はほぼ誰も居ないから」、文章にするとこんな感じだ。書いてて我慢できなかったのでつい結論を書いてしまった。本当は2500字くらい書いたところで「いよいよ!」みたいな感じで発表したかったが、それこそが相手の時間を奪っているように感じたのでつい。

でも、この考えは結構大事だ。時間を効率化するのは相手の時間を守ることに直結するのだ。逆に言うなら、効率化しないということは相手の時間をひたすら奪っていることに他ならない。とかく、相手が家族や友達と過ごす時間、他の仕事をする時間、趣味に充てる時間などを奪ってまでもあなたと仕事することは重要なのか。はたまた、その人の大事な財産である時間をあなたは奪う覚悟と自信があるのだろうか。効率化しない人というのは僕からすればそんな風にしか見えない。

ただ、一方的な主張というのは大抵怖いものだ。どこかの前提が狂っていたりヒューマンエラーが起こってたりするからだ。詳しくは以下の記事に書いてあるので少し見てみてほしい。

まぁ上記の記事を要約すると、白黒ついてるものは大抵嘘だし白黒つけることが人間は特に苦手だという話だ。そう、白黒ついている二元論の主張には大抵の場合、見逃している問題点がある。

今回の効率化の奴隷(efficency slave)の話においては、そもそも成果物を早く出すことだけが仕事に求められていることではないというのがすぐに分かる課題点である。仕事によっては、必ず1時間行うからこそ価値を発揮するものもあるし、そうでないものも勿論ある。

例えば、僕が行なっている対話型鑑賞においても短時間で済ませるというのはあまり効果的でない場合が多い。30分ないし1時間ないしそれ以上やるからこそ見えてくる世界もあるし、見えない世界もある。このことを考えていると、創造的な世界ではあまり効率化するべきではないのかもしれない。事務作業や工場のような流れ作業ではもちろん効率化するのが良さげだけれどクリエイティブの世界においては実はそうじゃなさそうだ。

確かに僕も毎日noteを3000文字書いているが、この時間を1/3にしてくださいとか無理な話だ。音声入力とかしても良いけれど、実際に入力するからこその作り方やこだわりが存在する。毎日の記事というのを常にひとつの作品として見ている僕からすればnoteの更新を辞めろとか時間を短くしろとかは受け付けない話だ。

あぁ、このことを周りの人は僕に言っているのか。効率化の奴隷はだから嫌われているのか。こうやって自分の非に気づくためにはnoteで2日分、6000文字と実際に向き合うからしか不可能である。

こんな感じで、自分がどうしてもこうなはずだと思っている世界というのは一歩外に出れば本当にどうでもいい常識だし価値観だ。自分が重要だと思っていることを隣の人が大事だと思っている可能性は極めて低く、それは誕生日が同じより確率低めだろう。

さて、自省が始まってしまった。ちなみに、僕はnoteを書くことで自身の考えのズレや違和感に気づき、その度に価値観の更新を行うように善処している。ただ、その更新が更なるミスを呼んでいる場合も結構ある。効率化の話とか典型的だ。アテンションエコノミーとかもそれに近い話である。

ただ、一個今でも良いなと思っているのは頑張っている人を応援すること、そして心から他人の成功を願うことである。最近僕の友達がnoteの更新を再開したのでここに載せて陰ながら応援させて頂く。

ゴルフの超人にタイガーウッズという男性がいる。彼は人と競う時、常に相手の勝利や成功を願っているようだ。対戦相手がホールインワンをすることを心から祈っているし、そこに自身の勝ち負けは考慮されていないようだ。

このマインドセットを聞いた中学2年生以降、僕はいつになったら彼のようなメンタルになれるのかと頭を抱えている。もちろん今も人を応援する一方で、自身がどうしても勝ちたくなってしまう。もちろんその向上心やプライドが悪いものでは当然ないしむしろ力になっている場合も多い。けれど、いち人間としての成長を考えれば一度ウッズのようなレイヤーに移ってみたいなとも思ったりする今日この頃である。

さて、今日は3000文字来たので終わりとする。

では、また!

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