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一人称の変遷を辿る

どうも、あさまんがです。あけましておめでとうございます🎍🐯
とてつもない期間が空いて、ようやく更新できました。すみません!

年末年始や大学の期末テスト・レポート期間で苦しんでいました。
愛用している手帳でスケジュール管理をしているから、「いや、余裕をもって進められるっしょ!w」とか意気込んでいたんですが…

カレンダーが課題リストと化しただけで、僕の怠惰はやる気と化しませんでした。

あさまんが ~新春の後悔の念を添えて~

〆切ギリギリで作業を終わらせるのは、ほんとうに心が疲れちゃいますね。(まあ…早めに始めとけよってツッコミは後で受け付けますので…)

社会人になってもこんな感じで納期に追われるんでしょうか。

とはいえ、なんだかんだで楽しいものです。やっぱりタスクを片付けていくのは達成感がありますし、重圧から解放された気分になれるのは悪くないです。

さて、例えばレポートやを受けていると、こんな書き方をすることがよくあります。

「私は、~~~(中略)であると考える。」

あさまんがが昨日書き終えたレポートより引用

まあしょっちゅう見かける表現だと思います。学術的な文章には特に多い印象です。でも、この言い方を普段からしている人はいないんですよね。

このとき、僕は「一人称ってこんなにコロコロ変わるものなのか」と面白く感じました。なので今回は、一人称について少し深く考えてみようと思います。


カジュアルな「俺」、やわらかい「僕」

「この前、俺のパソコンが…」
上のセリフを見て、みなさんはどんな人に対しての発言だと予想しますか?

おそらく、ある程度は親しい関係にある人に向けられたものであると考えた人が多いかと思います。

僕自身も、友達や家族、パートナーとの会話では自分のことを「俺」と呼びます。逆に言えば、その人を前に自分のことを「俺」と呼べるのであれば、その人は「俺」にとって親しく思っているということです。

また、「俺」は相手との距離を詰めたいときに使うことがあります。

例えば、後述する「僕」を使う相手に対しても、「俺、○○なんですよね…」と言うことで、距離を詰める意志を見せることができます。
※相手がどう思うかを考慮すべきですが

対して、「僕」というと、「俺」よりも幾分かやわらかい印象を与えます。

なぜこの印象が生まれるのか、自分なりに考えてみました。

まず、「俺」という言葉の語源をググってみました。

「俺」はもともと男性がくだけた場面で使う一人称。このため、「俺の」ネーミングは男性向けというイメージが強くなるが、歴史をひもとくと「俺」が男性専用となったのはそう遠い昔ではない。「明治時代ごろまでは、女が使うこともあった」(岩波国語辞典第7版新版)、「現在も地方によっては、年輩の女性が使う」(日本俗語大辞典)。中国語の「俺」も中日辞典によれば女性でも使用する。男女の区別がない一人称として宋元代に生まれた北方方言が語源になっている。

さらにさかのぼると、古代から中古(平安時代)にかけて「俺」は相手を指す二人称だった。それが近世以降、自らを指す一人称へと変わっていった。相手に呼び掛ける用法での「おのれ」が「おれ」に変化したともいわれている(異説あり。

↓下に出典記事を示しています!

なんと、「俺」という一人称はもともと、男女関係なく用いる語なのだそうです。このことを僕は知らなかったので、とても驚きました。

さらに、「俺」は相手を指す言葉、すなわち二人称だったそうです。「おのれ」という発音が「おれ」へ変化していったのだ、という説もあるそうです。本当にことばって面白いなぁ。

そして、ここに「俺」という言葉のカジュアルな印象の根拠があるように思います。勝手な考察ですが、「俺」という言葉が性別を超えて使われ、さらには元は二人称であったということは、「自分」と「他者」の境界線があいまいになる可能性が高いのではないでしょうか。

そう考えると、「俺」が与える親しみやすさにも納得がいく…ような気がします。

対して、「僕」という言葉についてはこのような検索結果が得られました。

もとは男の召使いを表す謙譲語で、平安時代には「僕」と書いて「やつがれ」と読みました。「ボク」という読み方は明治時代以降に書生(使用人を兼ねた学生の居候)の間で広く使用されるようになり、一般にも広まりました。

↓下に出典記事を示しています!

「僕」という言葉は謙譲語、すなわち「自分を下げて相手への敬意を示すことば」であったそうです。相手への奉仕の精神が見えるということでしょうか。

そう言われると、「僕」という一人称が「俺」よりもやわらかい印象を与えるのも自然なことでしょうね。潜在的な意識に、根拠がくっついた感じがして面白いです。

フォーマルな「私」、後輩としての「自分」

では、「私」はどんな時に使うか。

あさまんがの場合は、何かしらのサービスを利用するために電話でスタッフの方と話す時や、大学などの先生方へメールを書くときに使います。みなさんはどうでしょうか?

スタッフの方・大学などの先生方。こういった人々は僕にとってどのようなかかわりがあるのかを考えてみました。

出てきた答えは、「僕に対して何かを授けてくれる人々だ」ということです。今回で言えばスタッフの方は僕に「サービスそのもの・サービスを使う方法」を授けてくれますし、大学などの先生方は「知識や実践」を授けてくれます。

では、偉大なインターネットを使って「私」について見ていきます。

「わたくし」は中世前期頃まで、「公(おおやけ)」に対する「個人」の意味で用いられ、一人称の代名詞として用いられ始めたのは、中世後期以降である。
「わたし」は近世以降に見られる語で、現代では男女共に用いるが、近世には女性が多く用い、特に武士階級の男性が用いることはなかった。

https://gogen-yurai.jp/watakushi/

例に漏れず面白い。

「自分」を使うのはレアケースです。笑僕であればバイト先の先輩に使うかもしれないのですが、だいたいはそういった人に対しても「僕」の方を多く使っているからです。

「自分」についても、語源を見てみます。

自分の「分」は、本来備わっている性質を意味する「本分」の「分」で、「自分」は自らの力量をさす語であったが、古くから「私自身」を意味する言葉としても用いられた。

https://gogen-yurai.jp/jibun/

この解説を見て僕は、おそらく「ある状況において、周りと自分を区別し、それを強調したいときに使うのかな」なんてことを考えました。

相手に合わせた一人称

こんな感じで一人称について深堀りしてきたわけですが、思いのほか国語の授業みたいな感じになっちゃいました。

自分がどんな場面で一人称を切り替えているのか意識すると、なんというか、「メタ認知」みたいなものが深まるのではないでしょうか。

「私」の中では「俺」だけど、他の誰かにとって「自分」は「僕」なんでしょうか。

……




……




う~~~~~~ん…




複線回収(うまいこと言おうとした)が難解になっちゃったので悔しいです…

まあ失敗は引きずらずに切り替えて、ゆっくりしようと思います。笑
最後まで読んでいただきありがとうございました!次回もお楽しみに~!








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