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「変革に立ち向かう力」を養う。 −NHK土曜ドラマ『わげもん』より−

新年1月8日にスタートするNHK土曜ドラマ『わげもん~長崎通訳異聞~』は、幕末の国際都市・長崎が舞台、オランダ通詞(※)の若者が主人公のドラマです。その時代考証を担当したのが多文化社会学部の木村直樹先生。ここでは、木村先生にドラマの魅力とともに、現代の若者にもつながる「変革に立ち向かう力」について話を聞きます。

※通詞とは江戸時代の言語の専門家のこと。通訳や翻訳だけではなく、外国との商談や交渉、情報収集などの役割を担うこともあり、扱う範囲は幅広かった。

↑江戸時代、日本で唯一西洋からの入り口であった出島の現在の様子。

-幕末の人間模様を描いたドラマは数多いですが、これまで表立って取り上げられることがなかった“通詞”が主人公になっている点にはどんな意味があるでしょうか。

 幕末は日本全体が世界からの荒波にさらされた時代です。情勢が混沌とするなかで、それぞれの立場の人たちが、それぞれの視点からどうあるべきかを必死に考えて変化に挑み、新しい仕組みを築いたのです。明治維新を作ったのは歴史で習う英雄だけではありません。当時の言語の専門家たちの活躍、生き様を見てほしいです。

-幕末、通詞たちはどんな変化をしなければいけなかったのでしょうか?

 長崎で活動していた通詞はオランダとの翻訳、交渉が主な仕事ですから、使っていた言語はオランダ語でした。しかし、幕末になるとアメリカ、イギリス、ロシア、フランスとの交渉が求められるようになり、急激に多言語に切り替えなければならなくなりました。日本のあちこちへ派遣され、欧米諸国との外交交渉にも当たっています。現代でいう新しい技術を身につけることが要求され、貿易のシステムや街の構造までも変えさせられる大変化を強いられたのです。そして彼らの奮闘は、取りも直さず日本が近代化する上でどのように欧米の文化を受け入れていったか、ということにも重なります。

-街の構造までも変わったとのことですが、長崎の街も変わったのですか?

 大きく変わりました。それまでの長崎は幕府の元で貿易を集約されている特権的な場所でした。つまり、守られながら貿易のためだけの街が作られてきたのです。しかし、幕末になり横浜、函館なども開港したことで、長崎は西洋への唯一の入り口ではなくなります。役割の比重も落ちました。貿易港が崩壊とまではいかないまでも、大打撃を受けたのです。

-当時の人々は想像を超える変化に翻弄させられたでしょうね。そんな中、通詞たちはどう活躍したのでしょうか?

 ドラマ『わげもん』で小池徹平さんが演じる“森山栄之助”は実在の人物です。実際の歴史の中でも、変革が迫られる情勢と、急変を拒む旧体制との間で奮闘した人です。
 現代人の視点から見ると旧体制は悪く捉えられるかもしれませんが、当時の人たちにとって、それまでのやり方や風習を維持したいと考えることは当然の話です。時代に追いつこうと必死になる人、形を崩したくない人、どちらが良い悪いではなく、折り合いをつけながら、より良い方向に導くことが大事といえるでしょう。森山栄之助は激動の幕末にそれを実践した一人です。
 ただ、このような対立する組織の間に立つ状況は、激動の幕末だから起こったことではなく、現代でも直面しうることだと思います。

-現代の大学生にも彼らと同じ様に『変革に立ち向かう力』が必要と言うことでしょうか。

 もちろんです。困難を克服して問題を乗り越えていく胆力とともに、これからは立場が異なる相手に対して、その背景を理解できる資質を養うことが必要になってくるでしょう。
 そのために、長崎大学多文化社会学部では、高度な外国語運用能力を身につけるための指導に加え、リベラルアーツ教育も使命と捉えて、二本柱で取り組んでいます。言語は道具として考えてほしいのです。その道具を使って、いかに相手を理解しながら実のあるコミュニケーションをするのか、つまり話の中身を充実させることが大事なのです。言語や文化が違えば価値観が違います。相手の価値観を理解して、背景まで目配せしながら物事を進めて、ドラマの主人公と同じように新しい時代を作っていくための知識や力を身につけてほしいと思います。

-まさに未来を担う現代版通詞の育成ですね。多文化社会学部の教育、心強いです。ところで、ドラマでも描かれているように、長崎は“かつての国際都市”ですが、長崎で多文化社会学を学ぶことにはどんな魅力がありますか?

 長崎は形を変えてはいますが、今なお現在進行形で海外との関係を持つ国際都市だと私は感じています。今年は長崎開港450周年を迎えました。それほど長く海外と繋がっていた町だから、海外に対して寛容さがあります。また、現在は新型コロナウイルスの影響で激減していますが、世界中から観光客が訪れる求心力を持った街でもあります。以前は路面電車に乗れば必ず1人は外国からの観光客を見かけました。当時の学生からはバイト先などで外国人とのふれあいがあったと聞いています。私は国際交流とは肩肘はって行うものではないと思っています。学生は学外のあちこちで生きた国際交流ができる、多文化社会を学ぶのに理想的な環境です。新型コロナウイルスで海外との交流は中断している状況ですが、海外と繋がりを持っている長崎の特徴は今後も変わらないでしょう。

↑木村先生がゼミ生とフィールドワークで出島を訪れている様子。長崎大学広報誌choho vol59より。

 海外との交流は拡大していく時代です。そして、これからは自分たちが海外に行って取引するだけではなく、海外からの訪問者も多く受け入れる相互の流れが一般化するでしょう。長崎は既に外国からの受け入れ体制ができている街です。学生にはこの環境を活かして生活感覚で海外の人と付き合い、目の前で起きる実体験として国際交流を経験してもらいたいと思っています。

 -今に続く国際都市長崎で、変革に立ち向かう力を養ってほしいですね。木村先生、ありがとうございました。

↑幕末のオランダ通詞の活躍をまとめた木村先生の著書。吉川弘文館より。

NHK土曜ドラマ『わげもん~長崎通訳異聞~』についてはこちらから。

書籍『〈通訳〉たちの幕末維新』についてはこちらから。

↑木村先生の授業『リサーチ基礎(アーカイブ)』(2年生向け実習型の授業)の様子。実物の古文書から、紙質や字の大きさなどを確認し、文面以外の情報を読みとる意味や技術を学びます。

 木村直樹先生が開講している「地域史料論」は歴史学の中でも現存する文書を元に、歴史の真相を紐解いていく学問です。例えば、江戸時代の長崎奉行が書いた手紙、あるいは長崎と密接に繋がっていた佐賀藩の帳簿などを読み解き、その内容から当時の長崎がどんな位置付けであったのか、日本とオランダがどんな関係であったかなどについての事実を導き出します。
 また、長崎の街も教材です。木村先生が「長崎は歴史研究の素材に満ち溢れ、学問をする上でとても魅力的な土地」と話すように、長崎市内にはあちこちに歴史を伝える石碑が残されていて、近代化に向かっていた時代の痕跡を街中で見ることができます。木村先生の授業ではそれらの石碑を調べて時代を考察する課題もあります。

↑長崎市立図書館前にある「活版伝習書跡」と「唐通事会所跡」の石碑。

多文化社会学部のWebサイトはこちらから。



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