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2023.12.14 月明かりの下で踊るピッピ


 娘と息子に寝る前に絵本を読んでいて、それぞれ1冊ずつ、何日か同じのを読んで、飽きたら今度はこれ、と子どもが持ってきたのを読む。
 息子に今読んでいるのは幼稚園でもらった『おちばきょうそう』という、男の子とたぬきで落ち葉をどれだけ集められるか競争するという話で、娘には『ポケットモンスター ピカブイのほっこりDAYS』というのを読んでいる。『おちばきょうそう』の方は普通の絵本ですぐ読み終わるんだけど、「ピカブイ」の方は見開き1ページで1話完結のカラー漫画になっていて、それが13話入っていて1コマ1コマのセリフを読んでいくと結構な分量になるので全部は読まずに1日3話読むようにしている。
 その「ピカブイ」の中の「まてまてピッピ」という話を昨日は読んでいて、それはピカチューとイーブイとピチューが一緒にいる前をピッピが走っていって、ピカチューたちは「どこに行くの?」とピッピに話かけるんだけど、聞こえていないのか聞こえているけど無視しているのか、ピッピは立ち止まらずに走り去って、ピカチューたちがそれを追いかけ、途中バナナの皮を踏んで転んだり、穴に落ちたりして、ようやくたどり着いた先では、たくさんのピッピたちが月明かりの下で踊っていて、楽しそうだ、とピカチューたちも一緒に踊り「ピッピのダンスをみるとしあわせな気分になるね」というイーブイの一言で締めくくられる。
 それで、最後に、小さくおまけのひとコマみたいなのがあって、目を輝かせたピカチュー、イーブイ、ピチューの絵に「しあわせすぎてこわい!」いとう文字が添えられているのだけど、そこのコマを読んだら娘が「しあわせすぎてこわいって、どういう意味?」と訊いてきた。
 わたしは、スマートフォンで「幸せ過ぎて怖い 意味」と検索しようとして、いやいや、「幸せ過ぎて怖い」は、意味もなにも、「幸せすぎて怖い」ということだろうと、画面を切り、考え、「幸せ過ぎて怖いって、どういうことだろうね」と質問に質問で返してしまった。
「幸せ過ぎる」という状態は、子どもにとっては「幸せ過ぎる」というそのままの状態として受け取られ、そこに「怖い」が直結する意味がわからなかったのだろう。
「幸せ過ぎて怖い」という状態には、2パターンあると思う。ひとつは、幸せな出来事が重なり過ぎて、それ自体が単純に怖い、というもの。もうひとつは、幸せな出来事が重なり過ぎて、こんなに幸せなことが続くということは、きっとこのあとは悪いことが起こるはずだ、という予測からくる怖さ。娘が寝てから、こういうことをずっと考えていて、まあでも咄嗟には説明できないし、朝になったら娘は忘れているだろうな、と思いながら寝た。しかし、何歳ぐらいからわたしは、この「幸せ過ぎて怖い」という言葉の感覚を理解できるようになったのだろう。
 絵本に出ているピカチューはメスなのだと娘が教えてくれて、なぜかわたしはドキッとして、なににドキッとしたのかはわからない。

 買い置きしていたじゃがいもから芽が出てきてしまったので、今日はコロッケを作ろうと思う。 

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