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【俳句・私見】破調(字余り・字足らず)、句またがり

先般、「句またがりをやってみたい!」という生徒さんの声を受けて
「だったら、破調(字余り・字足らず)もこの際に!」と
それらの形式の特徴と効果に関する俳句講座用の資料を作成しました。

資料を作ってみて痛感したのが、経験で分かっていることを言語化して説明することは難しい! ということ(^^;

私は俳句講座などに行かず、句会で経験しながら色々覚えたクチ。
「わかっていても、いざ説明するとしたらどうしたらよいのか」
1つずつ検証したり、既存の解説本を参考にして考えたり。
結果的によい機会となりました😊
それらを覚書として、こちらに掲載いたします。

なお、本稿はあくまでも筆者の私見です。他の方の考えや意見とは違うかもしれませんが、あらかじめご了承をお願いいたします。

正調と破調

対岸に(5)/火を焚く男(7)/春の闇(5) 中村苑子

五七五(十七音)の俳句は「正調」。上記のような俳句がそうでしょう。
五七五の3パートにきれいに言葉が分かれて収まっている。
定型のスッキリした調べとかたちの美しさがあります。
(関係ないけど、掲句、中村苑子の作品の中では内容が比較的わかりやすい部類のような気がする)

対して破調は音数にプラス/マイナスがあるため、定型に「破れ」がある。
破調の俳句は正調に比べると凸凹としていて、幾分不格好で不安定な印象を読者に与えます。

【字余り】
音楽漂う(8)/岸浸しゆく(7)/蛇の飢(5) 赤尾兜子

【字足らず】
虹が出る(5)/ああ鼻先に(7)/軍艦(4) 秋元不死男

字余りの赤尾兜子の句。
上から一句ごとに語(音)が減っていくためか、
全体で20音あるにもかかわらず、長さを感じさせない。
また、「音数が減る」=「飢」とイメージが重なり、
世界観が一つに収斂していくようにも思えます。

さらに「8/7/5」という構成を見ていくと、八音という頭でっかちな導入「音楽漂う」で豪奢な旋律の響きを感じさせる(私の勝手なイメージではブルックナーの交響曲第9番)。
しかし、二句目で正調(中七)に転ずるとそのリズムが句の中心点として一句の危ういバランスを保ち(さらに具体的な描写を中七で行うことで、読者の視点を引き付ける効果)、ラストの五音で蛇の姿に作者の並々ならぬ心情が重なるような強烈なインパクトを与えている。

一方、字足らずの秋元不死男の俳句。
ラストの「軍艦」という言葉の衝撃的な映像
(日常における非日常の突然の出現)。
しかも、五音ではなく四音。
一音の不足が突然の物語(世界)の終結を告げているかのようで、
不穏で不気味な印象をもたらしている。
さらに「ぐ」という二つの「ん」の連続が、音の心もとなさと相俟って「消えゆく何か(あるいは断絶)」を象徴しているように読めなくもない。

そして、この作品は上五・中七までは正調の展開を見せているが、
「虹が出る」と美しい具体的な描写で始まりながら、中七の冒頭に「ああ」と感嘆が入ることで、独特のリズムを表わすとともに作者の心情を垣間見せる効果を出している。

定型を破った表現から見えるもの

私見ですが、字余りの句は音数が過剰であるゆえに、感情が込めづらい俳句形式に(言葉では表現しきれない)感情の表出をもたらす効果があると思います。
また、全体に重たい印象が出るため、一句の中のリズムに性急な感覚(または速度)が生まれ、時として作家のメッセージ性が強くなる印象があります。

一方、字足らずの俳句は「言葉(音)が欠けている」ことが、「俳句の中に書かれていない事柄(感情や世界)が空白の部分にあるのではないか」という印象を与え、作品の奥行きを生む効果があると思います。

次に、句またがりについてです。

「指折り数えて」ではなく、ひとつながりで十七音を掴む

句またがりの俳句として有名なのは、下記のようです。
海暮れて鴨の声ほのかに白し 松尾芭蕉

さまざまなテキストの例句としても見る作品。
二句目ラストの「ほの」、三句目冒頭「かに」と「ほのかに」という一語が二句にまたがっていることで不思議かつ心地よいリズムを生み出しています。
そして、海の律動を感じさせるかのようでもあり、視覚と聴覚が交錯して詩的な映像を読者の脳裏に結ぶことに成功している作品といえましょう。

そんな句またがり。
個人的な実作経験からですが、字余り・字足らずの俳句よりも
句またがりの俳句のほうが作りやすいのではないか、と思っています。
作りやすさだけで見ると、私の場合は
 正調>句またがり>字余り>字足らず となります。
字足らずは狙ってやろうとしてもなかなか(というか私の場合は全く(^^;)できない。
音(語)が多い字余りの方が、初めから少ない字足らずよりもやりやすい印象です。

「どうしたら句またがりを上手に作れるのか?」

実際に上記のようなことを生徒さんに聞かれたことがあります。

句またがりでは17音全体にリズムが自然と行きわたっている必要がある。
それによりスムーズなしらべも生まれる。
故に、いわゆる正調とは違う世界観を生みだすことが可能となる。
そのためにも「言葉をここで分けました」というようなつなぎ目が見えないように作る必要がある。

よって、私の経験からは以下の段階を踏む必要があると思います。

①正調できちんと作品を作れるようにする。
その時に17音を「指折り数えて」作るのではなく、「感覚的に17音をひとつながりで掴む(引っ張り出せる)」ことができるようにしておく。
②①ができたうえで、その中の音数(リズム)感覚をマスターする。

また、「韻を踏む」俳句を自然と作れるようになっておくのもよいかもしれません。

上記の中で特に
「「指折り数えて」作るのではなく、
「感覚的に17音をひとつながりで掴む(引っ張り出せる)」ことができるようにしておく」
ここが肝心だと思います。
これができるか、できないかが、句またがりが得意になるか否かの分かれ目になる印象があります。

字余り・字足らず、句またがりに共通して言えること

字余り・字足らず、句またがりの俳句に共通して言えるのは
「理の通った言葉(あるいは常識)では表現しきれない世界観を表わす」
際に有効な作り方であり手法という点ではないでしょうか。

実際に作って作品として成功させるのは難しいと思いますが、ゆえに成功した作品のもたらす魅力は正調の俳句とは異なり、多くの読者をひきつけてやまないのかもしれません。

最後に。
過去に下記の2本の記事を書いております。
今回の記事ともリンクしているかもしれません。
ご笑覧願えれば幸いです😊


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