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8月は賞の季節

俳句や短歌では、8月は主要コンクールの1つ である「角川俳句(短歌)賞」が発表される月。
同じ月、フラメンコでも新人賞のコンクールが毎年開催されています。
それは、日本フラメンコ協会主催の「新人公演」。
3日間にわたり、ギター・歌・踊りの3部門を対象に選考が行われます。

新人公演はコロナになって中止等もありましたが、今年は久しぶりに有観客で開催。
私は観ていないので後から結果を聞いたところ、現在の教室の先生の友だち(A先生)が見事、踊りで受賞しました! 
さらに、昔少しだけ教わったB先生の生徒さんも受賞!(こちらも踊り)

おめでとうございます!!🎊

A先生はずっとチャレンジされていたそうで、念願叶っての受賞。

私はフラメンコはただの素人愛好家ですが、受賞については俳句方面の経験から(個人的に)思うことがあり、A先生の結果を聞いたときは嬉しさとともに妙にしみじみしてしまいました。

以前も同じような記事を書きましたが、「賞」って本当にわからない。
自分の力でやれるだけやって、でも最終的に自分の力ではどうにもならない要素も強い。
誰が選考委員か、でも結果が変わってくるし。

自分と向き合って、作品世界を探りながら「何を自分は言いたいのか、それをどう第三者に伝わるように表現すればよいのか」と格闘する日々。
試して考えて、わからなくなって、勘に任せたりして。いろいろやり過ぎてぐるぐるしている矢先、ふっと次への道が見えてきたりする……

もちろん、挑戦により新しい世界を獲得する充実感はあるし、格闘による経験により作品が変わり、自分が開かれる。そんな得難い栄養やパワーを賞への挑戦はもたらしてくれる。

でも、一方でシンドイ(^_^;) 自己嫌悪に陥るし。
何より挑戦は「恐い」。自分が信じられなくなったり、これまでやってきた表現が本当にこれで良かったのかと疑うこともあって。

フラメンコと私が表現の主軸とする俳句はジャンルが違うから、一概に同じとは言えないし、比較できないところも当然あると思います。

でも、挑戦する過程で味わう喜びと恐怖は、表現ジャンルに関わらず共通する感情ではないだろうか。

そして、A先生も挑戦に纏るそんな葛藤を経験し、その度に自分の目指す方向や作品の世界を決断されてきたのではなかろうか。

そんなことを自分の経験と重ねてつい思ってしまい。嬉しいんだけど、切なくもなって….こちらの手前勝手なセンチメンタリズムかもしれませんが(^_^;)

ちなみに上述のB先生、ご自身もかつての受賞者。ニ代続けての受賞、スゴイ!!
踊り手としてだけでなく、教授側としての力量をも証明、ただ脱帽です。

作品を作ること、表現をすること。そして、第三者に己の世界を開示し「評価」を仰ぐということ。
そのことを思うと、まるで宇宙に独りぼっちでいるような恐さがいつも胸に湧き上がります。
でも結局、そこから歩きはじめなくてはならない。今年は尚更そんなことを思う残暑です。

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