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十七音の包容力と瑞々しさ:黒岩徳将句集『渦』

煌めきながら切ない、この十七音たちは、この感覚は何なのだろう。
本句集を読み終えての第一印象はそんな感じだった。

青島麦酒喧嘩しながら皿仕舞ふ
強きハグ強く返すや海苔に飯

たとえば、上記の句が表す言葉の組み合わせと映像が与えるインパクト。
そして、季語を重んじながら同時にオリジナルの視点によって作品に立体感を与える季語の独自の使い方。

作中の言葉は静か、巧みな技術。でも、完成した十七音はスマートながらどこか愛嬌のある表情をしている(そう、人間くさいのだ)。
だから、同じようなシチュエーションではなくとも「いつか、こんな景を見た」「こんな体験を自分もした」と読者それぞれが心象や記憶を重ね合わせて共感できる作品になっているのかもしれない。
そしてその繰り返しが十七音に反射して、読者の心をキラキラ揺らしているのかもしれない。

感銘句を、全五章より二句ずつ。
鶏頭の真下のみづのすぐ乾く
口笛となるまでの息冬桜
風船に透けて風船売昏し
職捨つる九月の海が股の下
夜の雲を祭太鼓が押し返す
OBもゐる小春日の合唱団
おやすみと電話を切つて金魚見る
寒林を鳥の見えざるところまで
陰見せて羊しづかに毛を刈らる
追伸に雪だよと書き投函す

個人的には「Ⅳ」章の作品群が特に好きだ。
他の章も好きだし佳句ばかりだが、「Ⅳ」から著者の作品の顔つきが明らかに変わったというか、言葉や季語の陰影が深くなった手触りが感じられる。表現も、より洗練された印象があるのだ。

でも、日常や人を十七音の裡に包容し、瑞々しく描き出している点は一貫して変わらない。

読みながら、忘れていたことを黒岩作品から引き出されて句の前でふっと立ち止まってしまったり、ふうっと小さく息を吐いてしまったり。
遠くなってしまったあの日々が確かに今も自分の中にあること、だからこそ今、自分が此処にいるということ。
そして、同じ俳句を現在進行形で作っているということ。

そんなことを『渦』の俳句たちは思わせてくれて、じんわりとした。
そして、「俳句ってキツイけど、やっぱりいいな」「私も「誰かと繋がることのできる」作品を作りたいな」と思った。

現在、「NHK俳句」の出演などますます活躍著しい著者。
現代俳句協会青年部長でもあり、同じ協会の末席に名を連ねる者として本句集の誕生を嬉しく思います。

ご恵贈、ありがとうございました。

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