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【小説】秋の森できみとチェスを


 ゴウンゴウンと腹の底を揺らすようなけたたましい音。曖昧で聞き取れないアナウンス。ビリビリと痛む足の裏。…錆びた、鉄の匂い。
 車窓に映る光が右から左へ流れていくのをわたしはぼんやりと眺めている。どうやらこの鉄の箱は地下を走っているようだ。窓ガラスに反射しているはずの自分の顔はうまく認識できない。
 途端に電車がガタンと急ブレーキをかけて、警笛をブァーンと鳴らした。わたしの体は強く揺さぶられたことには反抗せず、反動に任せてシートに身をゆだねる。すべすべとしたベルベットの生地は悪い触り心地ではなかった。

 電車が傾斜に従って少し上向く。その昔電車通学していた時のことを思い出したわたしは、身を任せるように目を閉じた。やがて瞼の裏側がかぁっと赤くなって、わたしは目を開ける。ベルベットの生地の滑らかさはもうどこにもない。ただただ枯れ葉の積もった匂いがした。

 寝転がってぼんやり木々の隙間を眺めているわたしの頬を、少し冷たい風が撫でていく。段々と体温が奪われて身震いした。
 わたしは起き上がってスカートについた落ち葉を一つ取り除く。そして秋めく森をぐるりと見渡した。
 穏やかな場所だ。燃え盛っていたのが嘘かのように、閉ざされた世界だ。
 どこからか楽し気な声が聞こえて来る。話している内容は全くわからない。わたしが知っているのは、ここはオベロンが内包する世界だということだけだ。

「~~~~~~~~~??」
「~~~~、~~~~~」

 楽し気な声はだんだんと近づいてきて、わたしの前にひょっこりと姿をあらわす。

「~~~~~~!!」
「~~~~~!~~~~~~!」

 言葉はわからなくても、わたしの袖をぐいぐいと引っ張る様子から、何を伝えたいのかなんとなくわかった。彼の元へ案内してくれるということなのだろう。
 わたしは彼らにいざなわれるがままゆっくりと歩を進め、道中彼らを観察する。

 柔らかそうな緑色の大きな体。小さな翅を揺らして鱗粉を周囲に散らしている細い体。ここへ来るときはいつも、彼らがオベロンのところへ案内してくれる。正直案内が無ければこの森を迷わずに進むことはできないだろうし、彼らのたのしげな声にはいつも助けられているのだが。

 …わたしはちょっと不満だった。ここは彼の世界であることは重々承知しているし、勝手に入って来られていい気分がしないことは想像に易いが、一度くらい迎えに来てくれたっていいのではないか。

 生い茂っていた木々が開けて、いつもの場所にたどり着く。正確には、いつもの場所かどうかなんてわたしにはわからないけれど、真ん中に置かれている木のテーブルだけは以前から変わらなかった。

「はぁ~、また来たの?ほんと飽きないよね、君」

 …そして、そのテーブルでいつも出迎えてくれる彼も、以前から変わらなかった。
 わたしを案内してくれた妖精たちは、彼の周りをクルクルと飛び回ってから、森の奥に散っていく。こういうドライなところがわたしはとても好きだ。

「『呼ばれもしないのに勝手に来るな』、とは言わないんだね」
「言ったところで君は気にせずズカズカ入って来るだろ」

 わたしは向かい側に律儀にセットされた丸太に腰掛けた。スカートがささくれに引っかかって横につっぱったので、わたしは一度立ち上がって座りなおす。

「そうだね」

 わたしはオベロンに向かって頷いた。
 わたしは目の前に座る彼を観察する。カラーブラウスと王冠を腕にひっかけただけの無造作な姿だ。継ぎ接ぎの重い翅は脇に脱ぎ捨てられている。
 まあ、彼が「紅茶でも飲むかい?」なんて言った日には碌なことにならないだろうけれど。
 マロン色の木のテーブルの上には何もなかった。
 彼はくしゃくしゃの髪をさらにひっかきまわして、あからさまにイライラしてみせる。わたしはそれをぼんやり見ていたのだが、それに加速された苛立ちがついに爆発したのか、彼はドン、と机を乱暴に蹴った。

「足癖悪いね」

 彼は盛大に息を吐き出して大げさにのげぞった。全身が「また面倒なことになりそうで嫌だ」と主張していた。

「飽きもせずによくもまあ。そんなに負けるのが好きかい?それはそれは結構なことだ。迷惑千万、よそでやってくれる?」
「とか言いつつ、チェス盤出してくれるオベロンであった」
「まあ、ここに居ても暇なだけだからね。飽きるまでは付き合うさ」

 彼はチェス盤を乱暴に机に置いてから、駒の入った箱をチェス盤の横に置く。そして右手で駒を並べ始めた。わたしも自陣の駒を手に取って盤に並べ始める。

「まったく、どこまで勝気なんだか」

 オベロンは机の上で腕を組んで、その上に顎を載せる。やる気の無さそうなものぐさなしぐさにわたしは決意を新たにした。


「チェックメイト。わたしの勝ち。」

 わたしはこの秋の森でオベロンとチェスをしている。そして今回が初めてではなく、そして最後でもなく。わたしは連勝を飾っていた。

「おッかしいだろ!なんでこんな強くなってんだ!」
「さては舐めてたね?」
「当たり前だ!何回俺が勝ったと思ってるんだ、君が勝つ日なんて天地がひっくり返っても来ないと思ってたのに!」
「それはさすがに言い過ぎ。」

 想定外の連敗を喫したオベロンは、やる気を失ったのか机に突っ伏す。

「もう一回試してみる?」
「いいとも!受けて立とう」

 突っ伏したままのオベロンは口だけは威勢が良かったものの、起き上がって駒を並べ直す様子は無い。

 『――――――――!』

 いつだかの夢で見た、半べそをかいてわたしに言葉を投げつける彼がオーバーラップする。しかし言葉は思い出せない。その涙を二度と見なくていいように、と決別を決めたのだが、いつまで経ってもその瞬間は訪れなかった。
 いつかはこの言葉を告げる日が来るのだろうか。こんな穴だらけの答案を交換する瞬間がやってくるのだろうか。いや、わかっている。自分から吐露しない限り、その瞬間は文字通り永遠に来ないことだろう。

「で君はいつ帰るの?そろそろ目覚めたほうがいいんじゃないのか」

 オベロンは机に向かって話しかけているのだろうか。わたしの方をチラリとも見ようとはしない。

「そうだね。でもまだ帰れないかな」
「ふーん?」

 わたしはナイトの駒をくるくると指先で転がす。
 心のどこかでオベロンのせいにしている。彼が言わないのならわたしが言えばいいだけなのに、それができない。それができないまま、何度も同じようにチェスをする。そしてコテンパンに負かされて、言いたいことも言えないまま中途半端な目覚めを経験してきた。不変は心地がいいのだ。
 でも今回は違う。わたしは彼に勝ったし、言いたいことも言う、…つもりだ。
 わたしが伝えるべきことが1つ。オベロン・ヴォーティガーンが気づくべき事が1つ。
 何故こんな簡単な事実に気づかないのだろう、オベロンは。わたしはどうして、こんな簡単なこと1つすら言えないのだろうか、不思議でたまらない。

「そんなに此処が心地よいのなら、もう二度と入れないようにしてもいいんだ」

 オベロンはやる気のなさそうな声をくぐもらせた。
 ほら、また思ってもないことを。
 先ほどからオベロンに対して疑念を抱いていたからだろうか、わたしは思わず鼻で笑ってしまった。
 パチパチと、少し離れた場所から燻る厄災の匂いがする。これから始まる戦いの狼煙が上がったことがわかった。

 オベロンはようやく頭を持ち上げて、心底軽蔑したように眉をひそめた。わたしの不躾な態度にさすがに堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 一方のわたしは転がしていた駒を盤上から降ろし、代わりにオベロンの前に置かれた、彼の持ち駒を一つ摘まみ上げる。挑発が過ぎると頭では理解しているのに、どうにも止められない。

「心地よい夢に揺られるのがそんなに楽しい?」

 わたしはありったけの皮肉を込めてやり返す。
 黒くなった指先につまみ上げられた駒はオベロンの前に置かれた。
 オベロンは微かに目を見開いてから、ハッと短く息を吐き出す。
 駒はドロリと輪郭を溶かして、グチャリと潰れた。

「チェックメイト。答え合わせをしようか」


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訣別のかたち|nado

次回

盤上で踊らされているのは彼かわたしか|nado

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