【小説】盤上で踊らされているのは彼かわたしか
「呆れた、本気でこんなとこまで追っかけて来たんだ?物好きを極め過ぎじゃない?」
ムッとしたわたしが「来たくて来てるわけじゃないけど」と言い返すとオベロンは不満そうな表情でわたしを見る。
「とうとう俺にまで隠そうとするようになったか?無駄だってわかってるくせに健気だよね、君」
「きみの方こそ、いい加減気づいてるんでしょ?いつまで目を逸らすつもり?」
オベロンは視線を落とした。熔けてしまった駒を眺めている。そんなにわたしを見るのが嫌なのだろうか。それほど、口にされることが嫌なのだろうか。
でも逃げられない。わたしにも次は無い。そのくらいの覚悟でなければ、今頃対峙できずに心を折られていたに違いない。
向き合うことから逃げていたって、誰も叱りはしなかっただろう。あのまま、そう、自分だけが恥ずかしいと自責するだけであれば。
正直に話すことと、正直な気持ちを聞くことは全く別物だ。絶対前者のほうがマシだった。いつまでも曖昧なままではいられない。だから、かろうじてここに居るのだけれど。
「わたしは腹をたててるんだよ」
理性は聡かったが、自己保身は脱ぎきれなかった。そうやって違う言葉に逃げる。
今まで怠惰でいることを許されていたから、弱々しくて頼りないくせに強がる自分を認めてくれていたから。そう思い込んで、「じゃあいいじゃん」と逃げたくなる。彼の前では裸で立っているのと同じだから、だからこそ無意味に隠したくなるのだ。
「自分が禄でもない夢を見ているってことに、気づこうとしないきみが一番どうかしてる」
隠せないと気づいたら、途端に攻撃し始める。私が言うべきこと1つを、オベロン・ヴォーティガーンが気づくべきこと1つに巧みにすり替えて。
どれほど愚かなことだろう。相手がどういうつもりかも知らないくせに、知った気になって決めつけて。どうせ気づいていないと決めつけて。自分が告げるべき言葉とその責任から逃げ出そうとして。
「きみのせいでわたしは終われなかった」
相手のことは深く知ろうともしないくせに、自分のことを解ってくれないのは許せないのだ。
どうして彼女に告げたときのように素直に言えないのだろう。意固地にならないと自分を守れないと思っているのだろうか。
たった一言が言えないから、相手を深く抉ることで自分を刻みつけようとする。
—どうでもよかったら、こんな気持ちも矛盾も生まれなかった。あの奈落で、もう終わったものだと割り切れていたら、今ここに居なくてよかった。どうしてなのだろう。どうして、割り切れなかったのだろう。
「正気か?君が今口走ったのは、君がもう居ないってことだ」
「まず自分の正気を疑ったほうがいいよ。いつまでも抜け出せないで、しがみついてさ。お終いが来ない物語なんて無い、そのことはきみが一番よくわかっていると思っていたのに、どういう体たらくなの?」
わたしの言葉を聞いたオベロンは乱暴に頭を掻きむしった。
「あの夏の夜は無かった。あの白い部屋も、霧も、整えられた庭も、縁側も、何もかも!」
わたしはとうとう口にしてしまう。もう引き返せない。
そう、きみが贈ってくれた復讐ですら現実には存在しない。全てはきみの頭の中の、都合のいい夢でしかなかった。もう一度、を願った彼の再現でしか無かった。「こんなはずじゃなかったのに」、の形を帯びた、ただの幻想だった。
劈くようなわたしの言葉は鬱陶しくてたまらないことだろう。彼の鉛のような表情が崩れた。その細い喉から唸るような言葉が溢れ出す。
「だから何だって言うんだ!そんなのとっくに気づいてたさ!君が何を見ていたのかも、全部だ!」
「未来の自分がどう思うのかも、全部わかってたって?そんなことが聞きたいわけじゃない」
お互いにエスカレートして、感情の収まりどころが見つからない。わたしの結末を呪って、忘れないことを自分に課していた彼のやり方が気に食わないし、彼もまたわたしの及び腰が気に入らないのだろう。
たった一言だ。たった一言、告げてくれたなら良かったのに。たった一言を伝えられれば良かっただけなのに。そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
彼がおしまいを認められなかったというだけで、こんなに心を乱されてしまうなんて。笑って「いいよ」と許せないだなんて。
「どうしろって言うんだ、自ら破滅に向かって突き進むようなやつの面倒なんか、見てられるかよ!」
「だったらなんでわたしに」
「胸の内を全部喋れば良かったって?生憎、本人に向かって悪口を言うほど腐ってないからね」
オベロンは鼻で笑った。
「夢を見ても、願望を押し付けても、どっちにしろ君は怒るだろ。それも俺に対してだけだ。だったら死ぬまで黙ってるほうが得策だと思わないか」
「黙ってたからこうなったんでしょう」
そう、彼だから許せない。他の人ならどんなに「こうなってほしかった」と思われたところで、申し訳ないと思うだけで済む。腹が立ったりはしないだろう。
不毛な責任の押し付け合いだった。やることなすこと全部捻じ曲がって、一つとして彼の思い通りには伝わらないオベロンと、素直になれない上に観念して自白することもできないくせに、偏執だけは捨てられないわたし。両者に一体何の違いがあるのだろう。
いっそ言葉ではない別の何かで、気持ちをぶつけ合えていたら——、あるいはあの奈落での出来事は、そういう意義があったのだろうか。
そんなことを考えるものの一切冷静にはなれず、口先は言い返す言葉を探してムカムカしていた。
「きみがいつまでも夢に呼び出すせいで、何度同じ言葉を言ったことか」
「それは残念だ。嫌がらせが出来たようで嬉しいとも。ああ、笑っちゃうくらいにはね!」
「さっさと出ていけ」とオベロンは言った。それと同時に、今まで目の前にあった木のテーブルがついに跡形もなく消え去った。
文字通り、言葉通りに出ていってしまえば、もう二度と機会は訪れないことだろう。わたしはもうどこにも居ないし、彼はあの奈落を墜ち続けるだけだ。
だから、今告げるしかない。
それなのに、ふつふつと込み上げてきたのは言葉ではなく怒りと後悔だった。今わたしが何をすればいいのか、途端にわからなくなってしまった。
どうやったら普通に言いたいことを言えるのだろうか。わたしはちっとも素直じゃないのに。オベロンにばかり、「こうすればいいのに」なんて理論を押し付けてしまうのに。
ごめんね、とたった一言告げられたら良かったのに。
「君の思い通りにならなくて当然だ。他人だからね。ねじ曲がろうが、俺にだってこころくらいはある。何でもかんでも理論通りにいって堪るか。」
「わたしがもう居ないことから目を逸らすくせに!いつまでも後悔してるくせに!」
わたしの口から転がり出てきたのは、オベロンを傷つけるための言葉だった。
後悔しているのだ、本当に。それは嘘なんかじゃない。カルデアにいるうちに、例えばすれ違った廊下で、何気なくその言葉を言えていたなら。自分が何を考えているのか、ちゃんと言葉に出来ていたなら。わたしに相応しくない、わたしが知らない、返すすべを知らない、その一言を告げられたなら。
後悔を語るための言葉は尽きない。自分のゆく宛のない怒りを全て説明することなど不可能だ。ましてやそれを他人に理解してもらおうなどと。
「目を逸らしてるんじゃない。後悔するのは生きてるやつの特権だろ。本当に後悔しているのはどっちだ、よく考えてみろ」
オベロンは冷たく言い放った。
「思い出の中なら生きてる、とか言うつもり?」
口にしてから、自分が的はずれなことを言っているのに気がついた。
一気に北風が冷たく感じた。
太陽のぬくもりなど感じなかった。
わかっているつもりで分かっていなかったのは、実は自分のこころだったのだ。
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