苺のパンケーキ
夕方。数寄屋橋の交差点で立ち止まると『不二家』の看板が目に入った。
次の約束まで随分と時間があったので、お昼も食べ損ねたことだし、どこかで食事でもしようと銀座方面に足を伸ばした矢先のことである。
そうだ、苺のパンケーキを食べよう。
思い立つより先に、あのふんわりと温かい甘さが口のなかに広がった。次の瞬間、信号を渡って、向かいのビルの二階を目指すわたしがいた。
子供の頃、母に連れられてよく通った不二家は、名古屋駅の地下街から豊田ビルに入ってすぐの場所にあった。ケーキ売り場の先には、広いレストランがあり、らせん階段の先には中二階もあった。白い木枠のあるバルコニーのような席から階下で食事を楽しむ人々を眺めることができる、その独特なおとぎの国のような空間は、子供心に入るだけでわくわくしたものである。
母とわたしが注文するのは、苺のパンケーキと決まっていた。バナナや桃や、チョコレートがかかったものもあったけれど、必ず「苺」だった。
もしかすると苺だけ特別で、生クリームがほかのものより多かったのかもしれない。
母はとにかく洋菓子のクリームが大好きである。この店のパンケーキがお気に入りだったのは、生クリームとカスタードクリームが両方たっぷりのっていたことも理由のひとつだっただろう。
わたしが子供だった昭和50年代、生クリームのケーキは今ほどポピュラーではなかったように思う。高級ホテルならいざ知らず、街のケーキ屋さんではロールケーキもバタークリームだったし、生クリームを使っていたのはショートケーキくらい。モンブランは別として、カスタードを使っているのも、シュークリームやエクレア、プリンくらいだったのではないだろうか。種類も今ほど多くはなかった。だから、ホットケーキに生クリームなんてとてもスペシャルな気分がしたものだ。しかも『パンケーキ』という名前は、新しい響きをもって、あの頃のわたしたちを惹き付けていた。
そして、母は注文を終えるといつもこう言った。「ここは頼んでから焼くでね、だから美味しいんだで、ちゃんと待っとろうね」
銀座の不二家で「焼くのに6分ほどかかります」というウエイトレスさんに「大丈夫です、待ちます」と答えたわたしの気分は、小学生のときと同じだった。
いまはもう、らせん階段のある不二家も、豊田ビルもなくなってしまった。
名古屋のあの店で最後に食べたのは、高校生の時だっただろうか。
何十年ぶりかに再会した『苺のパンケーキ』は、昔と同じく焼きたてで、生クリームとカスタードがたっぷりのっていた。
けれど、どこか違う。
わたしが交差点で思い浮かべたあの味ではなかった。なぜだろう?
たしかに美味しかったけれど、うまく言えないけれど、違うのだ。
メニューをよく見ると、「ホットケーキ」とある。「パンケーキ」じゃない。見た目は同じなのにどうして「ホットケーキ」?わたしの記憶が間違っているのだろうか。
判然としないまま、店を出た。
レシピは同じなのかもしれない。
いやきっと、同じなのだろう。
銀座じゃだめなんだ。
わたしは無理やり、納得することにした。
あの、らせん階段のある店じゃないと同じ美味しさを感じられないのだ。
あの頃の、今のわたしより若い母とテーブルを挟んで座る、小学生のわたしじゃないと。
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