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あ、から始まる戌年 2018

新年を迎える買い出しをしていた大晦日。
花屋を覗くと、正月用に誂えたアレンジ花の真ん中で、小さな可愛い犬の置物が鎮座していた。おちょぼ口が「あ」と開いている。閉じている「うん」より縁起がいい。肝心の花よりその犬が気に入り、わが家へ持ち帰った。

神社の境内には、一対の狛犬がいる。右側に口の開いた「あ(阿)」、左側に口の閉じた「うん(吽)」。インドのサンスクリット語で「阿」は最初の音、「吽」は最後の音で、宇宙の始まりと終わりを表すという。
小学生か中学生の頃、大好きな向田邦子さんのドラマのタイトルで、この「阿吽」の意味を初めて知ったとき、へえと驚いた。というより、愕然とした。
神社には初詣で必ず行くのに、狛犬にも毎年会っているはずなのに、「あ」と「うん」がいるなんてことすら、気づいていなかった。母に確かめるとあたりまえのように「そうだよ、阿吽の呼吸っていうでしょ。辞書を引きなさい」という(「辞書を引きなさい」は、母の口癖だ)。言われた通り辞書を引きながら、世の中は知っているようでいて知らない、謎だらけの世界なんだと子供心に感じた。翌年の初詣で、狛犬をまじまじと見比べたのは言うまでもない。

新年を迎え、今年は元日の今日、早々と2つの初詣を済ませた。
1つめは、近所の氏神様。
小さな神社なので元日の1日しか社務所が開いておらず、今日を逃すとお札が買えなくなってしまう。去年は1日に行けず、おととしのお札を納めつつ、新しいものを購入した。「毎年買わなきゃ」と思いつつ、抜ける年もある。その程度の信心で申し訳ないが、東京の自宅にいるときはかならず夫婦で行くようにしている。ちなみに、この氏神様にいる眷属(けんぞく)は狛犬ではなく「狼」だ。顔つきもちょっと険しい。

2つめは、浅草へ。本格的な『初詣』は毎年、浅草神社と決めている。
なぜ浅草神社なのかは語ると長くなるので割愛するけれども(また機会があったときに)、元日に行くのは、初めてじゃないだろうか。

さすがに元日ともなるとお参りも長蛇の列。
夫もわたしも後厄で「厄祓い」をしていただいたので、参拝の列には並ばなかったが、中でお祓いをして頂いている間、背中にたくさんの方々の願いが飛び交っているような気がして、ちょっとソワソワしたほどだ。

浅草独特の賑わいをぷらぷらと歩き、いつものようにカレンダーを買って、今年はもんじゃとお好み焼きを食べて帰った。
毎年、初詣に来るたびに、来年も恙なく来られますようにと願う。
浅草はわたしたち夫婦にとって、そんな街である。

そして今年は「いいこと」に恵まれそうな予感が。
年男の夫が、恒例のおみくじで『大吉』を引き当てたのだ。
氏神様ではなんと『大大吉』(そんな大が重なるのは初めて見た)。わたしも『大吉』だった(浅草では「末吉」だったけど)。

幸先がいいのは、おちょぼ口の「あ」の彼のおかげかも。
運を呼び込んでくれているような気がする。
花が終わっても、小さな可愛い彼は神棚へ上げよう。
そう心に決めた、1月1日の夜。
戌年の始まりである。

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