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人に頼れることこそ、強いことだと知って、幸せになった私のストーリー

はじめまして、一人で何でもできるようにならなきゃと思う人生から、人に頼って助けられる人生に方針転換をしたことで、離婚のどん底から回復、好きなものや人に囲まれ、心からの笑顔で幸せだと言えるようになった、蒼井なこです。

ここでは
小さい頃から
「人の役に立つのよ」
「自分より人の喜ぶことを優先するのよ」
という教えを頑なに信じて実践し

誰かが喜ぶならと、身を削って医師の仕事をしていた私が
女性の唯一の「幸せのカタチ」だと信じ込んでいた結婚に失敗し
30代半ばでの別居、離婚をへて大きく方針転換の舵を切り

世間一般の「幸せのカタチ」より
自分が考える「幸せのカタチ」を大切にし
自分がどうしたいかに向き合って本心に気づき、自分の喜びを優先し
できない自分をさらけ出して、人にどんどん頼ることで

今では困った時には助けてくれる大好きな人たちに囲まれて、心からの笑顔で過ごせ、幸せに暮らしているという
離婚当時の自分が知ったら驚くであろう、人生大逆転できたストーリーを書いていきます。

今の私のプロフィールを簡単に紹介すると

・40代だけど見た目は-10歳
・天は二物を与える、才色兼備が形容詞
・週に半分だけ医師の仕事をし、半分は好きなことをしてる
・仕事は朝が苦手な自分にあわせたスケジュール
・収入の柱を多数持つことで金銭的自由を獲得
・今までの人生で身につけた、センスの良いライフスタイルや学びをシェアするサービスを展開
・好きなことを生かす自分ビジネスで最高月商290万
・100名参加の女子カネ起業塾を主宰
・6年越しの夢を叶えて、女性医師が幸せに生きるための講座を主催
・100人以上の女性医師限定コミュニティを主催
・300名以上の女性限定オンライングループを運営
・憧れだった東京タワーの近くの、隅々まで好きなインテリアにあふれた家に住む
・お気に入りの服や靴が並ぶワードローブから、気分にあわせて好きをまとう生活
・苦手な家事は家事代行さんにお任せ!隅々までピカピカに!
・料理は一切やらず、好きな友達と楽しくおしゃべりしながら美味しいごはんを楽しむ

before-afterで言うと

・自分に自信がなく実力がバレるのが怖いと怯える日々→できないことは素直に伝えて助けてもらえる
・誰も相談する人がいなくて孤独→プライベートから仕事の相談もできる医療業界以外の友達がたくさん
・役に立てない自分に価値がない→私が幸せでいてくれるだけで嬉しいと言う友達に囲まれている
・頑張りや努力が必要な世界→好きや得意なことだけする世界
・何でも自分でできなければならない→弱さをさらけ出して人に頼れる
・離婚で人生詰んだ→何があっても自分は幸せでい続けられるという自信
・モテないバツイチアラフォー女医→アプリで500いいね以上、年下パートナーに甘やかされた生活

こんな感じです。

年々、自分のことが好きになり、心の底から人生を楽しんでいます。笑顔が増えた影響で、肌艶が良く、40代ですが、年々若返っていますw

人に頼るな!
人の役に立つ!
人の幸せを優先!

という声を信じて生きていた過去の自分が見たら、きっと驚くような、自分の好きなことだけをして許される、ゆるく優しい世界に生きています。

今では、毎日自由で楽しそうで、わたしといると元気になる、こんなイキイキしてるお医者さん見たことない、と言われる私ですが、離婚で悩んでいた時は、頼る人も相談する人もおらず、旦那さんが出て行った暗い家に毎日トボトボと帰り、孤独感に押しつぶされそうで、消えてなくなれたら楽なのに…と何度も思っていました。

ここでは、数年前には人生詰んだと心から思っていた私が、どのように舵を切って、心からの笑顔を手に入れたのかについて、お話したいと思います。

医師だけでなく、バリバリと働いている女性の皆さんが、世間一般の常識や幸せを疑い、自分の「幸せのカタチ」を見つめ直し、自分が心からのぞむ「幸せのカタチ」を見直すお手伝いができればと思い、筆を進めました。

少し長いのですが、私の物語をお読み頂けたら、嬉しいです。



1、メリットデメリットを考え医師を目指す

小さい頃から
「人の役に立つのよ」
「自分より人の喜ぶことを優先するのよ」
と言われて育ってきたわたしは、成長するにつれ、この言葉を実践しなければと思うようになりました。

さらに当時としては珍しく、結婚出産を経ても常勤で働き続けていた母は、私の未来をも案じ

「結婚出産しても続けられる仕事につきなさい」
「万が一のことがあっても1人で子育てをできる仕事につきなさい」

が口癖でした。

母が考える女性の「幸せのカタチ」は結婚出産し、自立して働く人生。

そんな私が、大学受験を控え、将来の仕事について考えた時、父と同じ身近な職業であり、かつ、人の役に立てて、人に喜ばれ、女性として自立できる医師の道を選ぶことは自然の流れでした。

高校時代に父が医院を開業したことでも拍車がかかり、
「一人っ子の我が家で、医院を継承するのは私しかいない」

「やっぱり医者になるのが一番いい」

そう決意が固まりました。

小学校の時に卒業文集に、心からワクワクしながら女優か医師になりたいと書いた私は、大学受験時には、ワクワクした感情よりも、生きやすくなることを最重要項目に据え、損得勘定で医師という職業を選択しました。


2、自己評価と他人からの評価の乖離に苦しむ

一浪の末、医学部に合格。

持ち前の記憶力の良さと、要領の良さで、医学部時代の成績は良好。
記憶力を最大限に駆使する医師国家試験も難なく合格。

この時代は勉強すればするほど、点数に跳ね返ることがゲームのようで楽しかった。
しかし、頭が良いかと問われると、自己評価では決してそうは思えていませんでした。

本当に頭のいい人は、他にいっぱいいる。
自分はたまたま記憶力と要領が良いだけ。

そんな風に思っていました。

研修病院を決める就職活動では、受験した一般病院には軒並み採用されず、結局、母校の大学病院での初期研修に。

「やっぱり、自分は大したことないんだな」
そんな気持ちを強くした一件でした。

その自信のなさは、研修医になっても拭えませんでした。

上級医に質問されて、たまたま正解の答えを言えてすごく褒められたけど、たまたま合っていただけなんだよな〜。
要領よく仕事ができるし、愛嬌もあるから、上級医や看護師さんに気に入られて、うまく立ち回れているだけど、実力は全然ないな〜。

まわりからの評価は常に高かったのですが自己評価は驚くほど低く、心の中では
「本当の自分の実力がバレたらどうしよう…」
そんな焦燥感にいつもかられて、勉強の手を抜けませんでした。

初期研修後に働いた一般病院の内科では「本当に頭の良い」同僚や先輩に囲まれて、やっぱり私はたいしたことない…と比べては、感じる日々。

自分にできることは努力だけ。
遅くまで病院で勉強したり、カルテを書いて、終電で帰るのが日常でした。

医師になってからの各種の資格試験でも「蒼井先生は絶対受かるでしょ」というまわりからの何気ない言葉をプレッシャーに感じ「なんとしてでも受からなければ」と必死に勉強をすることを繰り返していました。

「もし、落ちたら、みんなにどう思われるかわかんない」

「たいしたことないっていう、本当の実力がバレちゃう」

いつもそんな自信のない不安な思いを抱えていました。

とは言え、医師の仕事は、患者さんから感謝の言葉をダイレクトにもらえ、人に喜ばれ、人の役立つことができている実感がある、本当にやりがいのある仕事でした。


3、幸せの絶頂から転落へ

33歳で同僚の医師と結婚。

彼の笑顔や、誰にでも分け隔てなく優しい態度、頼り甲斐のある仕事ぶりには友人時代から惹かれていました。

自信のなさからくる、それまでのイケテナイ恋愛経験を払拭するような、憧れの彼に溺愛されての交際、結婚は嬉しかった。

ものづくりやデザインが大好きなわたしは、持ち前のセンスの良さとこだわりを発揮して、軽井沢で海外のガーデンパーティのような結婚披露宴、東京での歴史的建造物を貸し切ったフルセルフプロデュースの1.5次会を執り行いました。

お互い忙しい日々でも、洗濯と食器洗いは「僕の仕事」と決して私にさせてくれなかった彼。最寄駅で、必ず立ちながら小説を読んで、わたしの帰りを待つ彼を見つけては、小走りで駆け寄り、近くの大戸屋ややよい軒でご飯を食べながら、その日の報告をしあって帰る。

そんなフツーの日々が、本当に幸せで楽しかった。

彼と話がしたくて、彼の笑顔を見たくて、片道2時間かかる職場からも毎日帰宅していました。

「なこは今日もかわいいねー」
「仕事頑張っててえらいねー」
と、どんな私でもかわいいと褒めてくれ、仕事の頑張りを労ってくれる彼によって、それまで全く持てなかった自信を、少しずつ身につけていた私は、このとき、幸せの絶頂にいたと言っても過言ではありません。

そんな幸せな日々も、1年半で終了。

実はわたしの
「人の役に立つのよ」
「自分より人の喜ぶことを優先するのよ」
という実家の教えのベースには宗教がありました。

結婚前に宗教をしていることは伝えたものの、日本に流れる宗教を疎む雰囲気が苦手で、深い話はしていませんでした。

思い起こせば、ここでありのままの自分をすべて自己開示をできないまま結婚してしまったことが、彼や彼のご実家を、そしてわたし自身も苦しめてしまった要因でした。結婚後に彼とご実家の偏見とも言えるような、強い宗教嫌いが発覚して、別居、離婚へ発展しました。

宗教の強要はもちろんしなくても、私が宗教をやめたとしても、そもそも宗教という背景のある家との繋がり自体が無理という彼とは、幾度となく設けた話し合いでも平行線を辿りました。

私自身は彼と出会った時から、何ひとつ変わっておらず、彼が大好きと言ってくれた私と何ひとつ変わっていないのに、宗教というレッテルだけで拒絶された。

とても悲しい出来事でした。

「しばらく離れて頭を整理したい」
「なこの顔を見るのがツライ」
と別居を希望した彼が、離婚という結論に至るまではそう長くはかかりませんでした。

自分の欄を埋め、ご両親の名前が証人欄に揃って書かれ、私が書くだけとなっていた離婚届を渡された時の、衝撃は忘れられません。あんなに可愛がってくれた彼のご両親からも拒絶されたという感覚、そして、彼にとって不要な人となった自分へ抱いた無価値感は、いま思い出しても震えて泣けてきます。

彼が褒めてくれる、という支えによって、保たれていた自信も地の果てまで落ちました。

そして、母から教えられていた女性の「幸せのカタチ」である、結婚出産し、自立して働く人生が、もう叶わなくなると感じていました。

幸せのレールから、私は金輪際、外れるんだな、もう二度と幸せになれない。地の果てまで落ちた自信のなさと、当時持っていた「離婚=不幸」という思い込みも拍車をかけ、人生詰んだな…と思いました。

「なこが決められるまで、いつまででも待つから」

そう言ってくれた彼に甘えて、それからは自分の心を納得させる期間となりました。

離婚届を渡されたにも関わらず、離婚が受け入れられなかった私は、彼が出て行ってしまった2LDKのだだっ広い家に1人で残り、もう彼は帰ってこないにも関わらず、2時間の通勤を続け、しばらく暮らしていました。

なぜなら、2人をつなぐ場所がそこしかなかったから。

自分にとっては、そこが幸せの思い出の場所であったから。

自分のすべてを受け入れ、褒めてくれ、労ってくれた昔の彼の面影を感じる場所はそこしかなかったから。

真っ暗な広い家に帰りながら、未来に希望を見出せず、消えてなくなったら楽なのになぁ…とマンションの廊下から地面を覗き込むことも何度もありました。そのたびに、生きたくても生きられずに見送った患者さんたちの顔や、私を頼りに治療を続けている患者さんたちの顔が浮かび、なんとか踏みとどまれました。

結局、彼と別居して、1年近くその家に住み続けていました。


4、真逆の考えを取り入れて人生が変化

そんな人生のどん底にいた私は、なんとか解決の糸口を見つけようと、インターネットで離婚修復や夫婦関係改善の記事を読み漁りました。

離婚の関係修復コンサルタントに、30万円以上を支払い、メールで数通だけのアドバイスをもらったこともありました。払ったことのない大金を、ためらいもなく支払えたのは、まさに藁にもすがる状態であった証でしょう。「心からの謝罪を〜」のような、アドバイスを実行しても、聞く耳のない彼に響くはずもなく、効果が得られませんでした。

そんな暗中模索の中、出会ったのが、小田桐あさぎさんのブログでした。

え、2週間でプロポーズされて結婚?
え、家事育児をしたいときだけで夫とラブラブ?
え、好きなことで稼いで海外を飛び回る?

あさぎさんの面白くて学びになる文章に引き込まれ、気づけば、1日でブログの全記事を読破していました。

男性はしてもらうより、女性に何かしてあげたい生き物
ありのままの自分をさらけ出した方がうまくいく
やりたくないことをしないことが世のためになる

目から鱗すぎる記事の連続でした。

パートナーシップ改善の目的で読み始めたブログでしたが、旦那さんに溺愛されている姿だけでなく、嫌なことをせず、だめな部分も開示して、ありのままで多くの人に愛され、好きなことで稼いで、生き生きと暮らす姿に憧れを抱くようになりました。

こんな風に自分も生きてみたい!

あさぎさんに会ってみたい!と虜に。

少しずつ離婚への歩みを進めていたものの、自信のなさからくる未来への不安でいっぱいだった私は、やっぱり直接学びたい!という思いが募り、あさぎさんの講座を受講するに至りました。

講座の内容はそれまで歩んできた人生のやり方を、すべて捨てて、真逆でいくようなものでした。

・自分より人の幸せを優先する
まず自分を幸せにしてから人に与える
・努力して自分でなんでも頑張る
できないことは努力せず、周りに頼る
・役立つことやメリットのあることを思考で判断する
やりたい、好きという感情で判断する

頭は混乱しました。

今までの人生で染み付いていた損得勘定で考える思考が優位に立って、なかなか行動できない私に「なっちゃんは本当に変わりたいわけ!?」とあさぎさんから、厳しくも愛のある言葉を頂いて、方針転換の舵を切り、怖いながらも、それまでの人生とは真逆の選択をしていくようになりました。

当時は、自信のなさを背景に、唯一、価値を提供できていると感じていた仕事で、何とか役に立たなければならないと、完璧主義を発揮していました。

病棟チーフの役割を全うしようと、全患者さんの状態や指示の漏れを確認するために、みんなが帰った後に全カルテを隅々までチェック。漏れを埋め、関係各所への連絡をし、完璧に仕事を仕上げてから帰宅。寝ている間に仕事をしてくれる小人のように、仕事の残りを片付ける毎日でした。

診療報酬請求のための準備(レセプト)や、カルテや書類書きで夜遅くまで作業をしているときは、みんなが帰ってるのに、なんで自分だけこんなことやってんだろう…と涙が出そうになることもありました。
でも、まぁ独り身だし、みんなが早く帰れて幸せなら、それでいいかと「自分より人の喜ぶことを優先するのよ」という幼少期からの教えを愚直に実践していました。

そんな私も、あさぎさんとの出会いをきっかけに、徹底的に自分の感情と向き合い、損得勘定ではなく、好きややりたいの感情を大事にしたり、他人より自分をまず大事にすることや、できないことは無理せず周りに相談することを実践していきました。

まずは、自分の身を削って夜遅くまで働いて、全患者さんを把握することをやめ、後輩たちの力を信じて困ったことがあれば相談してもらうスタイルに変更。すると、後輩たちがメキメキと力をつけていきました。小人のように仕事をしていた私が、彼らの成長の機会を奪っていたことに気づきました。
また、たとえ私が残業して仕事を完璧に仕上げても、患者さんが早く回復するわけでも、早く退院できるわけでもないことに気づき、それまでの自分の行為は、ただ単に完璧主義者の自己満足であったと知りました。

また、時間外の緊急手術では、対応する人が足りているときは、先に帰ることにしました。「緊急の時に残るのは当たり前」と決めつけていましたが、ふと気づけば、緊急手術に残っているのは、手術が好きな人や、勉強したい意欲のある人でした。
そこはかとなく漂う、帰れない雰囲気に飲まれて、毎回残っていた私でしたが、「手術は好きな人や得意な人に任せて、自分は他の仕事で価値提供できればいい」と考え、サクッと帰れるようになりました。自分の嫌な仕事が、他の人にとっても嫌な仕事だとは限らないということを体感できました。

平均的な力をつける日本的な思想で、なんでも自分でできることが、一人前の医者のあるべき姿だと思い込み、自分の苦手な部分のマイナスをゼロにすることばかり考えていました。しかし、苦手や嫌いなことは、誰かの得意で好きなこと、誰かが活躍できる部分だと思えるようになり、できない仕事をお願いすることに罪悪感が薄れていきました。

そのほかにも、頑張ればこなせていたレセプト作業も、辛いと上司に相談し、自分の限界を開示して担当を増やしてもらいました。できる仕事を自信の拠り所にしていた私にとって、あえてできない自分を開示して、誰かに頼ることも、価値を出せる自負があった仕事を、あえて手放すことも、本当に怖い作業でした。

また、体調が悪いときは、自分のことを優先し休む。
朝は弱いので遅刻も常習犯になりましたw

こんなふうに、能力的にはできるけどやりたくない仕事や、そんなに得意ではない仕事を手放すことで生まれた、時間や体力の余白を使って、医局全体のマネジメントに取り組んだり、好きなことができるようになりました。

また、できないことを頑張ることや、無理することをやめ、自分を甘やかせるようになったので、まわりにも完璧さを求めなくなりました。

以前は「〇〇くん」と後輩に呼びかけただけで「ヤベー、なんか間違えたことしたかな???」と後輩を震え上がらせる、バリバリつよつよ女医だった私は、だんだんと、ゆるゆるしなやか女医に変化していきました。

もちろん、その過程は、常に恐怖との戦いでした。

できない自分がバレたら、嫌われるかも。
みんなに幻滅されるかも。
医者なのに自分を優先するとか医者失格かも。
今までの信用がなくなるかも。

しかし、ふたを開けてみると、幻滅なんて、ちっともされなかった。

「いつもレセプト大変そうだから、少しやっておきました!」
「朝は頭働いてなさそうだから、朝は声かけるのやめてました!」

むしろ、優しい世界が広がっていることに気づけました。

また、ずっと自信がなかった私でしたが、それまで絶対に人にはバレてはいけないと思っていた、できない自分をさらけ出していく過程でむしろ自信を徐々につけていけました。「なっちゃんが笑顔でいてくれるだけで嬉しい」と能力を度外視して、私の存在を認めてくれる人に出会うたびに、小さな自信が積み上がるのを感じました。

さらに、常にまわりと比べて、優秀でない自分に凹むことが多かったのですが、人の持つ魅力や得意なことが、それぞれ異なることを実感するようになると、「優秀さ」というひとつの評価軸で比べることが、滑稽に思えてきました。優秀だと評価されている人は、その人の得意なことや魅力が輝く場を見つけ、いかせているだけ。

今でも、まわりの優秀な人たちを心から尊敬していますが、比べて自分が劣っていると凹むことはなくなりました。なぜなら、見えていない評価軸では、自分の方が優れていることもあるはずと確信できるから。まだまだだ、と自分を律することはあっても、私の理想とする自分だけの山を登るべきで、誰かかスゴイと言う画一的な山をみんなで登る必要はない、と今では思っています。

悩んでいた当時、多くの人と出逢ったことで「幸せのカタチ」も人の数だけあり、結婚しなくても、子供がいなくても、仕事バリバリでも、専業主婦でも、とにかく幸せに暮らす人たちがたくさんいることを知り、自分がしがみついていた結婚出産自立という世間一般の「幸せのカタチ」が、いかに視野の狭いものであったかも気づくことができました。

別居当初、真っ暗な部屋に毎日帰って、誰にも相談できないと孤独に押しつぶされそうだった私は、気づけば、困った時には包み隠さず自分の心を話すことができ、ありのままの私を愛してくれる、大勢の仲間に囲まれて、心からの笑顔で過ごすことができるようになっていました。

もう、この先の未来はどんなことがあっても大丈夫、たとえ1人でも幸せに生きていける、と自分で自分のことを強く信じられたとき、すなわち、何にも、誰にも、頼らなくても自信を持てたときに「離婚届を出しておいてー!」とやっと旦那さんに伝えることができました。

決して離婚を急かすこともなく、手元にあった離婚届を勝手に出すこともなく、いつまででも、わたしの心の整理がつくことを待ってくれていた彼には、今でも感謝しかありません。


5、肩の力が抜けたいまのこと

離婚成立後、世間一般の「幸せのカタチ」ではなく、常に自分がどうしたいか?を問うて行動を選ぶことができるようになっていた私は、気づけば、一度は住んでみたいと思っていた、大好きな東京タワーの近くに住み、好きなインテリアに囲まれ、毎日お気に入りの服をまとい、憧れのバッグや靴を身につけ、その日の気分に真剣に向き合って食べたいものを食べ、大好きな人だけに囲まれる日々を過ごしています。

離婚をきっかけに医療業界という狭い世界を超えて、他業界、他業種の友達が飛躍的に増えました。それとともに自分の可能性も信じることができるようになって、やりたいことの幅もグンと広がりました。

各業界で活躍する方々に知り合えたことで、自分も何か大きなことを成し遂げたいと焦ったこともありましたが、それはただ周囲に認められたいという承認欲求にすぎませんでした。

すでに、ありのままの私を好きでいてくれる仲間に囲まれ、幸せで満ち足りた生活ができていることに気づいてからは、肩の力が抜けて、まずは、自分のまわりの人たちを幸せにしたいという思いが、フツフツと湧き上がりました。

現在は大学病院を退職し、父の医院で診療をするとともに、リサーチや分析の能力を活かして、経営にも取り組んでいます。父の医院を手伝うようになってから3年、蒔いた種が芽を出しつつあり、売上は前年比1.3倍、最高収益を叩き出せるようになりました。

これからはもっともっと、働いてくれるスタッフがやりたいことを叶え、そして通ってくれている、昔の自分のように頑張りすぎちゃう女性たち、ママたちを救えるようなクリニックにしていきたいと思っています。

また、大学病院を退職して時間ができたことから、2020年に診療や医院経営の傍ら、ライフキャリアを支援する女性医師限定の100人以上のコミュニティの運営を開始。それと共に、友達を中心に大好きなクリエイティブを通して今の幸せを感じる体験(マインドフルネス体験)をするアートワークショップや、ライフスタイルをシェアするグループを開始したことがきっかけとなって、理想のライフスタイルを叶えるための講座などを主催するようになりました。

こんなふうに、自分の感情を頼りに、本当にやりたいことを見つめ、得意なことや好きなことに注力してきた結果、現在では、自分だけの「幸せのカタチ」を徐々に実現しつつあります。

ビジネス開始初期に描いた、2024年に始まる医師の時間外労働規制を見越して、医師以外として働きたくなった仲間が増えた時に、助けになれる自分になっていることも、気づいたら叶っており、現在では、医師をはじめとした医療従事者にビジネス講座を提供したり、ビジネスプロデュースを行っています。

教えている方の実績も、ビジネス経験ゼロからファーストキャッシュを得るところから、月商100万円を達成したり、最高では月商200万円以上を売り上げた方もいます。

ビジネスプロデュースは、チームで請け負っており、実業経験を踏まえた講座の構想からお手伝いをし、ブランディング、マーケティングから、プロモーションまで行い、1回で1100万円以上を売り上げました。自身では到達していない、1つのプロモーションでの1000万円越えを経験したことは、チームでお互いの得意を生かし、頼りあったおかげだと実感しました。

そのほか、過去の自分のような医師を助けたいと、女性医師一人ひとりが「幸せのカタチ」を見つけ、実現していくための長期講座「My Well-beng」を主催し、長年の夢であった女性医師の幸せに携わることができています。

また、私の人生を変える出逢いであった、小田桐あさぎさんの最新刊、初版脅威の7万部、出版クラファン1.25億と個人最高を達成した名著、「女子とお金のリアル」を教科書として、自分のライフスタイルの中から、ビジネスのタネを見つけていく「女子カネ起業塾」は100名以上の方にご参加いただきました。

現在は私自身が幸せになった1つの原体験である、自分の五感を喜ばせて幸せを体感していくための、月額制のライフスタイルサロン「five senses」を運営しています。サロンの仲間は本当に大好きな人ばかりで、定期的にオフラインのイベントを開催し、星付きレストランに行くような極上体験から、絵を描くワークショップや、フラワーアレンジメントなどのクリエイティブな体験など、幅広く五感を刺激して、楽しんでいます。

サロンを通して、もっともっと、一人ひとりの女性がやりたいことをやり尽くして、豊かに幸せに、楽しく人生を送るお手伝いを引き続きしていきたいと思います。

発信やいろんなサービス提供を通して、本当にありがたいことに、今ではSNSを通じて私を知ってくださった多くの方に、会いたい、好きだ、憧れると言って頂けるまでになりました。わたしの方が、たくさんの幸せを頂く毎日で、別居当時、孤独だった私には、きっと信じてもらえないような、夢みたいな日々を送っています。

では、私が昔の自分に比べて、何かを身につけてすごい人になったのか?と言われると、決してそうではありません。

昔に比べて、人の喜ぶことよりも自分の喜ぶことを優先しているし、人の役に立たなきゃとも気負っていません。できないことはたくさんありすぎるので、まわりに頼りまくって生活しています。

家事は家事外注さんにお願いし、食事は外食かお惣菜、もしくはパートナーが作る美味しい手料理。すぐタクシーも乗るし、節約を考えずに好きなものを買う。ご褒美という名のもとにケーキを食べまくるし、癒しという口実で都内のラグジュアリーホテルに泊まる。一見、生産性のない絵を描くことや、ものづくりに没頭したり、花をいけることに時間を使いまくる割には、人との待ち合わせ時間には相変わらず遅れちゃう。

昔の自分に比べて、むしろ、だめな自分になっています。

では、何が違うのか?

それは、昔はひた隠してバレてはいけないと思っていた、だめな部分をふくめて、ありのままの自分をまわりに開示していること。
そして、何でもできるようになる人生をやめ、困った時は素直に誰かに頼れる人生を選択したこと。
自分がどうしたいかを中心に据えて、損得勘定を捨て、他人より自分の感情を優先するようにしたこと。

自分の感情に素直に生き、ダメな部分も含めて、ありのままの自分を開示し、得意なことを生かして、できないことは誰かに頼る、そんな人生を歩めているおかげで、すごい自分に変化していなくても、私自身、自分のことが大好きだと言えている。そして、そんな私を好いてくれる人しか周りにおらず、心からの笑顔で暮らすことができています。

6、過去の自分を幸せにしたいという願い

さて、これをお読みの皆さんは、自分では気づいていないかもしれませんが、スーパーウーマンに違いありません。

仕事もしながら、家のこともする。時短家電や外部リソースを巧みに使いつつ、結婚して子供が生まれたら育児もこなす。マルチタスクを何なくこなせる能力の高い女性たちは、自分に無理をさせていることに気がつきにくく、きっと頑張りすぎていることと思います。

仕事のタスクが溜まっていて辛くても、みんな頑張っているし、と飲み込んで人を頼ることを控えちゃう。家のこともキャパが超えていても、旦那さんも忙しいし、お願いしても無駄だし、自分の方が効率よくできるし、と助けてもらえない証拠を探しまくっては、どんどんと誰にも頼れないつらい世界にハマっているのではないでしょうか。

自分のキャパシティを悔しいながら認め、できなさを開示するのは楽なことではありませんが、その先には、手を差し伸べてくれる人がたくさんいる、優しい世界が広がっています。それまで暮らしていた世界より、格段に優しい世界です。

先日、公的な援助に頼らず、ホームレスを続けて、事件に巻き込まれた女性の記事を目にしたとき、いまの日本に必要なのは、1人で誰にも頼らないで生きようとする強さよりも、辛いから助けてもらえたら嬉しい、と素直に自分の弱さをさらけ出せる強さなんじゃないかと再認識しました。

本当に強い人は何でも自分でできる人ではなく、困った時には人に頼れる人なのではないでしょうか。

本当に豊かな人生は何でもひとりでできる人生ではなく、困った時に頼れる人がたくさんいる人生なのではないでしょうか。

ハーバード大学成人発達研究での75年間にわたる研究結果でも、幸福な人生を送るために一番大切なものは「良い人間関係を築くこと」と報告されています。

私たちは一人で何でもできるように、という自立するような教育を受けがちですが、本来、人は一人では生きていけません。食べ物ひとつをとっても、農業や流通、小売などさまざまな人の手を通って、私たちのもとに届いています。結局、私たちは一人では生きていけないのです。

だとしたら、一人で何でもできるような人生よりも、人に頼りお互いに助けあい、それに感謝しあう人生に切り替えた方が良いのではないでしょうか。一人で頑張らなきゃという人生から、誰かと生きる豊かな人生にし、それぞれが、得意なこと、好きなことをいかしあって、1つの社会を創り、優しい社会に共に生きる。

自分の特別な、すごいところと、できないところが、他人の特別な、すごいところと、できないところが組み合わさって、パズルのピースのように、組み合わさる世の中を、一人でも多くの人と創れたらなぁと思っています。

くわえて、本当はもっとこうだったらいいなぁと思うけど、世間一般の「幸せのカタチ」には十分当てはまっているし、と自分を納得させているようであれば、世間一般でいう幸せも常識も、あなたの正解ではないということも伝えておきます。

たとえ、世間一般として恵まれていたとしても、それを幸せかどうか、納得するかどうかを決めるのは、自分です。

私自身、医師という仕事があり、十分な収入もあり、社会的地位もある。そんな私が、医師としての暮らしをそこそこの幸せだと思うことは、「足るを知る」視点から言えば、贅沢な悩みと言われるかもしれません。

でも、私自身は、お金があったとしても、時間に追われて暮らす毎日を正直、幸せだとは思えませんでした。外的に見れば、満たされた人生だったかもしれないけど、内的にはまだまだ、そこそこ満たされたレベルの幸せでした。

だからこそ、私は自分の時間をもっと増やしたいと考え、自分のビジネスをはじめ、時間の自由を手に入れつつあります。

自分の幸せを見つけるには、世間一般から見て幸せかどうかではなく、自分がどうしたいのか?を見つめ、自分が考える「幸せのカタチ」を実現していくことが重要です。今の幸せにそこそこ満足している、ではなく、心から幸せだと言う人がもっと増えていったら嬉しいです。

そのために必要な、自分だけの「幸せのカタチ」を知るための、自分の感情から本心を知るコツや、半歩先の理想のライフスタイルに近づける方法は「naco letter」からお届けしています。

「naco letter」では皆様からのご質問などにも答えていく予定です。繰り返しになりますが、人に頼れる人は弱い人ではなくて、自分の弱さを認められる強い人なので、安心してご質問くださいね!

現在ご提供中のサービスのご案内や、個別コンサルなどのお問い合わせは、主に蒼井なこの公式ラインで行っております。新しいサービスのご案内も、公式ラインからしていますので、ご興味のある方は登録して下さると嬉しいです。

それでは、長々と最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

みなさんが、過去の私のように、自分でなんでもできるようにならなきゃと頑張るのではなく、できない自分がバレないようにと暮らすのではなく、まわりに頼る強さを持ちながら、心から自分がのぞむ「幸せのカタチ」を手に入れられることを心から願っています。

蒼井なこ

ーー最後にお知らせーー

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サポート内容の詳細が知りたい方や、魅力覚醒講座に関して質問がありましたら、こちらのラインまでどうぞ→
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