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面接で自分の思いを伝える度に涙が溢れ出ていた過去

前回の父との関係性の振り返りから派生して
大切な気付きがもう一つ。



以前のブログでも綴っている通り、
とにかく私は自分の思いが強い子どもだった。
自己主張が強く、言いたいことをズバズバと言い、
聞きたいことは納得がいくまでとことん聞く。
そしてやりたいと思ったことはとことんやる。
いつも自分の心のままに生きていた。

そんな私が小学校に上がり、
自分の心で思うことを言ったりしたりすることに
制限をかけなければいけないと知る。
社会で誰かと共に生きていく上で
必要な協調性を学んでいった。

幼いながらに友達付き合いに悩むこともあった。
それでもまだ、ド直球に相手に思いを伝え、
子どもながらにコミュニケーションを学んでいった。

まだ純粋で素直だったが故に
物事をありのまま受け入れ、
心で思ったことを相手に直接伝えられていた。


そして中学と、思春期を迎えるも
家庭環境が不安定な時期に入る。

あれだけ常に自己主張をし、
自分の思いを心に留めることを知らなかった私が
この頃から心の内を人に言わなくなっていった。


言える環境になかった。


部活での悩みも、友達関係も、恋愛も、
些細なことから大きなことまで。

小学校の頃よりも考えることが多くなり、
その多くが悩みだった。

常に思考でいっぱいだった頭や心の内を
吐け出す場所もなければ
吐き出す習慣もなかった。

そして当時の悩みの解決策は、
”もっと頑張る”ことだった。
何においても。

”努力すれば報われる”

”結果が出ない、思うようにいかないのは
私の努力が足りないからだ”

そう自分を責めては望まない現実を変えようと、
努力でカバーしようと必死だった。

他にやり方がわからなかった。


その後も高校生、大学生になっても
”努力して結果を出す”考えは変わらず。

手を抜いたり休んだり、
楽な道を選択することが悪いことのように感じていた。
そんな自分を想像もできなかったし
そんなことをしたらいけない、許されない
そこかでそう思う自分がいた。

常に満たされない思いを抱えて生きていた私は
より一層、その空虚感を埋めるため
努力を積み重ねるようになっていった。



大学3年になり、就活の時期を迎えた頃
初めて自己分析というワードに出逢い、
自分自身と向き合う。

自分を知っていくという行為が初めてで
ぎこちないながらも過去の自分を振り返り
自分の好きなこと、得意なこと、強みを探る。

もっともっと自分を高めたい、成長させたい
そうしなければまるで自分には価値がないかのように
感じていた当時の私にとって大切な価値観って何だろう。




”人との関わり合いの中で自分を成長させてきた”

これまでの経験を通じて、自分と関わるすべての人へ
常に感謝の気持ちで一杯だった私は、

”私も誰かの人生に良い影響を与えていきたい、
そんな存在になりたい”

という思いに行き着いた。
これが最終的に、私の大切な価値観だということを知った。


何の仕事でもいい。
とにかく人と関われる仕事であれば、
そこで自分と関わる人たちを元気づけたい、
勇気づけたい、励ましたい、そして時に癒したい。
どんな形でもいいから、
自分の存在が誰かのプラスとなることが私の望みだった。

軸が定まった私は就活をスタートさせ、
面接でその思い、そしてその思いに至るまでの
それまでの自分の過去の経験について語った。


面接は好きだった。
面接官の人柄を知るのも
その企業との相性を見るために質問することも。
そして自分の思いを言葉にするのも得意だった。
はずなのに、
気付けばいつも涙が溢れ出て
こぼれ落ちそうになるのを
必死に堪えていた。


ーなんで?

なんでいつもこの瞬間に涙が出てくるの?
泣きたいわけじゃないのに。




当時を振り返ると、
実はそれまで一度たりとも、私は
自分の思いを誰かに話したことがなかった。
自己分析という名の自分の深掘りをした後に
見えた自分の大切な思いや価値観を。



昔から、悩みがあっても誰にも打ち明けることなく
いつも自分一人で考え、消化させてきた私。

完全に消化できていたかはわからない。

それでもいつも、
”答えは常に自分の中にある”
これが自分の中にあった。

いつしかそれを自分のモットーとし、
強く生きようとしていた。


心の内を人に話さなかった理由、
それは、話せる環境になかったから。

もっと深掘りすると、

何を話しても大丈夫なんだと
自分をあるがままにさらけ出しても大丈夫だと
安心を感じられる環境にいなかった。


環境を理由にして仕舞えばそれまでだけど、
話さないと決めてしまっていた自分もいた。


ーなぜ?

それは、否定されるのを恐れていたから。


これ以上、自分以外の誰かの言葉で
自分を傷つけたり苦しめたりしたくなかったから。

これが本当の理由。



常に否定的だった父の元で育った私は、
否定の言葉を浴び続けていた過去の経験が
いつしかトラウマとなっていた。

それに気付いてすらいなかった。



そんな状態で年月だけが流れ、
そして初めて自分の内なる思いを
言葉にする場が面接。

これまでの経験から学び得たこと、
それを通して知った大切な価値観、
そしてそれらを活かして貢献したいという決意、
どれもこれも、ポジティブな思いであるにもかかわらず
それを面接官に伝えようとする度に
気付けばいつも涙が溢れ出ていた。

涙がこぼれ落ちないようにと必死にこらえ、
いつも涙ぐんでいた面接。



何でいつも自分の思いを伝えようとすると
思いが昂り、涙が溢れてくるのだろう?



当時は特に深掘りもせず、
自分の性格の一部、あるいは癖として捉えていた。

厄介だなぁ、いつも涙が勝手に出てくるなんて。
そのくらいにしか思っていなかった。
直したくても、その方法どころか
原因さえもよくわからないし。
その程度だった。



私たちは役者でない限り、基本的には
生理現象としての涙は食欲や眠気と一緒で
コントロールできない。
お腹空かせたいと思って空かせられないし、
眠くなりたいと思って眠くなれないのと一緒。
泣きたくて泣くことはできない。

にもかかわらず、泣けてくる。

ここには必ず原因があって、
無意識の領域にある”泣く”という行為。

自分の自覚していない潜在意識に
原因となっていることがある。



コーチングを通して学んだ2種類の意識
顕在意識と潜在意識のうちの一つ、
私たちの思考の97〜99%を占めると言われている潜在意識。

これについて学んだとき
初めてこの”泣きたくないのに勝手に涙が溢れてくる”
行為の裏側に自分の本音が隠されていること知った。



ずっと”自己開示”ができなかった私。

”ありのままの自分を相手へさらけ出すこと”


本当は言いたかったけど言えなかったこと
ありのままをさらけ出したかったけど
できなかった過去の経験

否定されるのが怖くて、
自分の心を閉ざし、
ずっと心に抱えたまま生きてきた。

癒えない傷と共に。

そしていざ、解放する瞬間がきたときに
思いと共に溢れ出てきた涙。


ずっと、聞いて欲しかったんだよね。
受け入れて欲しかったんだよね。
ジャッジをせずに、あるがままに。


自分の思いは自分の心そのもので
心は自分の命そのものだから。



私の心はいつもわかっていた。
何よりも大切なのは自分の心で、
それをあるがままに受け入れられることが
何よりも自分が望んでいたことだということを。



教えてくれてありがとう。

体が教えてくれた。
涙という形で。


隠れた自分の本音に気づいて欲しかったんだよね。



”こころと体は繋がっている”

改めて、腑に落ちた瞬間だった。



逆も然りで、
体がサインを出して教えてくれる時もあれば
心が、心の中の違和感として
サインを出してくれる時もある。

大切なのは、
自分の心と体、両方に耳を傾けること。

そんなサインを見逃さないで。
蔑ろにしないで。

自分のことは自分にしかわからないからこそ、
ちゃんと自分が自分を労ってあげて。


当時の私に伝えたいこと。
そして今どこかで同じように悩む人、
過去の傷が癒えずにいる人に伝えたいこと。

必要としている誰かにこの言葉が届きますように。


自分との対話、
心と体との自己対話が
セルフケアの大切な一歩であり、要。


そしてセルフケアを通じて
心と体を整えること
健やかに保つこと

それが土台にあって初めて、
自分の本当のしあわせに繋がる。
内なるしあわせへと。



この世界を生きる人が一人でも多く
内なる愛と調和で満たされますように。




With love and gratitude




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