「あなたの好きな色は何ですか?」 小学生の頃から自己紹介のときや 友達同士の会話でよく聞かれていた質問。 その時からずっと、 この質問に対する私の答えは決まっていつも 当時の”好きな人や彼氏の好きな色”だった。 このシンプルな質問に対してさえも 自分の答えがない私。 わからない私だった。 明確に覚えている。 小学生の頃、当時プロフィール帳というものが流行っていた。 自分の好きなことや嫌いなことを書く項目がいくつもあって、そこには決まっていつも”好きな色”の欄があった。
前回の父との関係性の振り返りから派生して 大切な気付きがもう一つ。 以前のブログでも綴っている通り、 とにかく私は自分の思いが強い子どもだった。 自己主張が強く、言いたいことをズバズバと言い、 聞きたいことは納得がいくまでとことん聞く。 そしてやりたいと思ったことはとことんやる。 いつも自分の心のままに生きていた。 そんな私が小学校に上がり、 自分の心で思うことを言ったりしたりすることに 制限をかけなければいけないと知る。 社会で誰かと共に生きていく上で 必要な協調性を学
物心ついた時から自分の思いの強さを自覚していた私は、常に自分の欲求や意見をはっきりと周りへ伝えていた。 そんな風に自分の心に従って行動する私のことを母はいつも、わがままで自分勝手と表現していた。 一方で、いつもそこには私の思いを必ず受け止めてくれる父の存在があった。 4人兄弟の二番目、長女として生まれた私は年子の兄が家族や親戚中から可愛がられる中、父親からの愛情を独占していた。 兄は当時、CMに出るほど可愛らしい顔立ちで体もぷっくりとしていて愛らしかった。 ほぼ言葉を発さな
いつも私の体だけなく心までもを整えてくれる、 色んな意味で恩人の整骨院の先生からの言葉。 私にとってメンターのような存在の先生の言葉は いつも多くの気づきを私に与えてくれる。 「誰かの命のために頑張っている人には、無理をしてほしくないんだ。」 そう、優しくあたたかい言葉をくれた。 ここで先生のいう命とは、単に体のことだけでなく、 誰かのこころや人生を含んでいた。 この言葉を聞いて、自分を失いかけた5年前、 オーストラリアにいたあのときを思い出した。 最愛の人との別れ
自分を愛し、自分軸で生きられるようになった私のパートナーシップにおける最大の変化 それは、 自分を全肯定してくれていた彼と喧嘩する度に ”私にはどうせ存在価値なんてない” そう思っていた私が、パートナーや他人からの承認を得ずとも自分自身で初めて、心の底から”私はありのままで素晴らしい”と思えるようになったこと。 そしてこれを前提とした上で ”自分の価値を自分で決められるようになった”こと。 ”自分の価値は自分がよく知っている”という状態になれたこと。 私のことや私の
”自分との関係を見直すことで人生はより豊かになる” ”自分との関係を良くすることで 他者との関係も良くなるばかりか、 人生のあらゆることが好転していく” 心からそう確信しているから。 どれだけの人が自分を愛し、 本当の意味で自分を大切にしているだろう。 少なくとも、これまで30数年生きてきた人生で 私が出逢ったのはほんの数人。 私がコーチングを受けて気づいたことは、 多くの人が対人関係ばかりに目を向けて、 自分との関係の改善に努めようとしない。 きっとそれは、これ
ー私は一体何のために生きているんだろう。 誰かによって”生かされている”という感覚を得つつも、この世に生まれてきた意味を見出せずにいた。 そんな漠然とした思いを抱えなが日々過ごしていた私は、最愛の彼との別れをきっかけに、自分がこの世ですべきこと、できることを必死で探した。 約2年もの間、”私にとって彼がすべて”という想いで生きていた私は生きる意味も目的も、完全に失っていた。 ー誰のために生きよう。 何のために生きよう。 自分にとっての使命とは何か。 とにかく、生きる
2024年の上半期も終わり、あっという間に一年の折り返し地点。 そして下半期の幕開け。 ということで、7月から良い流れにのっている最近の私ですが、実は密かに考えていたコーチングを本格的にやっていこうと動いている最中。 なぜ私はコーチングをやろうと思ったのか? それは、 私の使命を果たすにはそれが一番実現可能な方法だと思ったから。 使命? なにそれ? 誰かから与えられたの? これが誰から与えられるでもなく、ある時自分の中に降ってきたというか、内側から出てきたというか、
私がホリスティック栄養学を学んだ時、 文字通り、人生のどん底にいた。 ずっと夢見ていた海外留学に失敗し、 人生で初の挫折をオーストラリアで経験。 その後、最愛の彼ともお別れし、 生きる希望や目的を完全に見失っていた。 こころも体もぼろぼろだった私は とにかく現状を変えたい一心で 自分を変えるための方法を探す日々。 ”自己肯定感”という言葉と頻繁に遭遇し、 自分にできていないもの、足りていないものを 必死に補おうとしていた。 ありとあらゆる方法を見つけては書き出し、 共
「取り越し苦労」 ここ数日、よく耳にしていたこの言葉。 意味は ”未来に対する不安に悶々とすること” あぁ、これこれ。 ”過去に対する執着”の次に、私を苦しめていたもの。 ”まだ見ぬ未来に対する不安” 執着心と共に手放せたと思っていたけれど、 つい先日、ある料理家さんとの出逢い(Youtubeの動画)でハッと気付かされる。 「1週間分とかの献立をなんとなく考えながら買い物をしていると、明日はこれにしよう、その次の日はあれにしようとか考えるんだけど、結局その”明日”
前職を辞めて約二週間、様々な出逢いがあった。 しなければいけないことから解放されて自由さを得たことで、本当に多くの豊かさがもたらされる。 それまで見えていなかったことが見え、より自分の五感に敏感に、そして心に正直になれる。 そんな私は、最近では以前にも増して心が赴くままに行動するようにしている。 朝起きてまず、”最高の一日になる”と宣言をすることから始まる。 そして自分が今どんな気分であるか、心に問いて、体の状態を見て、 その日したいことを決める。 最近のお気に入りは浜辺
「どんな姿でも可愛いよ。」 ある日、美容院を終えて新しい髪型で帰宅した時に母から言われたこの言葉に衝撃を受けた。 30歳を過ぎ、生まれて初めて母の口から聞いた言葉だったからだ。 「え?私もう30歳過ぎてるけど?可愛い???」 驚きを隠せずそう言う私に母は、 「当たり前じゃん。生まれてからずっと、いつだって誰よりも可愛いよ。 私の娘だもの。この先もずっとね。」 この瞬間に、過去の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。 30年以上が経ち、 子供の頃に私が求めていた言葉、
「”自分を信じる”と書いて”自信”。 だから自分自身が自分のことを誰よりも信じてあげて。」 生徒へよく伝えていた言葉。 言うのは簡単だけど、 行動に移すのはなかなか難しいことも分かってる。 だからこそ、誰よりも子供達の可能性を信じ、 何度もこの言葉を繰り返し伝え、応援していた。 たとえ生徒の両親ですら、 彼らの可能性を信じていなかったり、 彼らの将来に不安を感じていたとしても。 「不可能なことなんてない。 心でやりたいと思ったことは全て叶う。 絶対に、大丈夫。」 自
こうして丸二日間、人生で初めて食べ物が喉を通らないという体験をしながら一生分の涙を枯らすほど泣き尽くした直後、私はある決意をすることになる。 当時私たちの関係をよく知っていた福岡の親友、福岡時代の同期に泣きながら電話をした。 それまで、人に全く相談というものをしてこなかった私(もちろん彼とのことも)が初めて人を頼った瞬間だった。 自分でもなぜ彼らに電話をしたのか、 わからなかった。 ただ一つ言えるのは、 その時私はまだ別れを受け入れられていなかったということ。 これが何かの
これまで生きてきた34年間の自分史の後半戦 ということで、前回の続きを。 東京への異動を決めた私は、残された福岡での時間を噛み締めながら日々過ごしていた。 そんな中、思いもよらない出逢いが訪れる。 私に初めて”愛する”ことの意味を教えてくれた彼との出逢いだった。 彼は、当時私が働いていたカフェの別の店舗(同じ建物に2店舗あり、フロアが違った)で同じくバリスタとして働き始めたばかりだった。 カナダに5年ほど住んでいた彼は日本に一時帰国し、その後また海外へ足を伸ばそうと目論
残すところあと2週間、今の仕事の終わりがやってくる。 この約1ヶ月は、生徒や保護者、講師たち、この業界で関わる人たちへ最後のご挨拶をさせてもらっている。 ショック、悲しい、寂しい、嫌ですなど、日々様々なリアクションを受け取りながら、彼らにとって自分がどんな存在であったか、どれほどの影響を与えていたのかを深く考えさせられ、認識させてもらっている。 とても有り難く、有意義な時間に感謝が溢れる毎日。 そんな中、先日とある生徒へ辞めることを伝えるとひどくショックを受け、受け入れられず