ずっと一緒にはいられない。再びの青春を共にする仲間たちよ
生まれてから住む場所が幾度となく変わる生活を送っていた私には、幼馴染と呼べる人がほとんどいない。
いわゆる転勤族で、名古屋 → ニュージャージー → カリフォルニア → オハイオ → 名古屋 → オハイオ → 川崎 → 名古屋 → 東京と、学校も毎年のように変わりながら多感な時期を過ごした。
物心ついた頃からそんな生活だったので、いつか来る別れと新たな出会いを繰り返すことが当たり前になっていた。
ある場所に住んで2年も経とうとしていると、よく父親に「次はどこ引っ越す?」と聞いていたものだ。
そういうとき、父は少し驚いた表情をしながら「平気なのか?すまないなあ、友達と別れるのも毎回辛いだろうに」と言っていた。
親の仕事都合での引っ越し・転校なので、別れを告げるタイミングは自分次第でどうこうできる問題ではない。
決まる時は割と突然で、仲良くなったお友達の誕生日パーティーに参加した次の日には空港に向かっていたし、取りたかった選択科目も入りたかったスポーツクラブも諦めた。
これからも一緒にいたかった人ややりたかったことから、半ば強制的に離れるのはとても辛かった。送別会後の車の中、行き場のない感情が溢れ涙を流す私を見て、母親も泣いていた。
でも、悲しいことばかりではなかった。
新しい環境に行けば、また一からスタートを切れる。
ある意味何度も「新しい私デビュー」ができるわけで、この子はこういう子、という決めつけからも逃れられる。
誰の目も気にすることなく新たな挑戦を人生で何度も経験できていたことが、今の自分にとってはすごく大きい。
・・・
そんな幼少期とは反対に、社会に出ると、自分自身で進む道を決めることができるようになった。
これまで自分の意思ではない外部要因で行き先が決まっていたけれど、突然委ねられた。
そこにいたいと思えばいられることは、とっても新鮮だった。
新卒で入った大手企業から、当時は誰も知らないスタートアップにジョインした時も、自分の意思で決めた。
そこで働く生活は、二度目の青春そのものだった。
何もないところから手探りで創り上げていく感覚。明日の保証なんてなかったけれど、私たちはいつか来るであろう未来にワクワクし、確かな手応えも感じながらがむしゃらに手足を動かした。
その中で会社が注目を集めていき、新たなメンバーも次々と加わった。
ビジョンに共感する同世代の仲間と、朝から晩まで時間を共にする。
寝ても覚めても、考えることは事業のことばかりだ。
月曜が全く苦じゃない。そんな社会人生活を送れるなんて、恵まれすぎじゃないかな。
この仲間たちとずっと一緒にやっていきたいと思ったし、一緒なら何でも乗り越えられると心底思っていた。
・・・
でも大人になるということは、どんな風に生きたいかを選べるということで、人生は人それぞれなのだ。
だから、ずっと一緒にはいられない。
この前まで共に走ってきたとしても、違う道を選ぶことが思ったより普通にある。
それをこの数年間、痛いほど知った。
幼少期、常に見送られる側だったところから、今は誰かの去っていく背中を見ることが多くなった。自分の意思で残っていて、やりたいことがまだまだ沢山あるからここにいるのに、どこか置いていかれているような。
昼も夜も、毎日のように食卓も共にしているものだから。思い入れが強くなってしまう。私たちは本当に仲が良かった。
二度目の青春もやっぱり一瞬で、一緒に過ごせる時間は限られてたんだなあ。
そんなことを思いながらも、このコロナ渦で少なからず影響を受けている私たちは前を向いていくしかない。
留まっているからと言って、停滞しているわけじゃないんだ。
今は離れてしまったいつかの仲間たちも、どこかでまた道が重なる時が来るかもしれない。
何を選んだとしてもきっと正解、
ずっと一緒にはいられないけど、ずっと仲間だ。
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