【ファミリア】

遠くで、母の子守唄が聞こえる、そんな映画でした。

【あらすじ】
陶器職人の神谷誠治は妻を早くに亡くし、山里で独り暮らし。アルジェリアに赴任中の一人息子の学が、難民出身のナディアと結婚し、彼女を連れて一時帰国した。結婚を機に会社を辞め、焼き物を継ぐと宣言した学に反対する誠治。
一方、隣町の団地に住む在日ブラジル人青年のマルコスは半グレに追われたときに助けてくれた誠治に亡き父の面影を重ね、焼き物の仕事に興味を持つ。
そんなある日、アルジェリアに戻った学とナディアを悲劇が襲い……。


元々素敵な俳優であることは百も承知だけれど、それでも年月を重ねるごとに、褪せることなく進化し続ける役所広司さんの演技が素晴らしい。
『すばらしき世界』でも、これは今まで見た中で最高の役所広司さんなのでは、と思っていたけれど、今回もそれと同じくらいにとても素敵だった。
勿論、息子役である吉沢亮さんや、脇を固めるキャスト陣の演技も素晴らしく、作品の内容と併せて、土の匂いがしそうな映画だった。
ただ、ストーリー全体としては矛盾しているところや、なぜそうなったのか疑問に思うところがぽろぽろとあったのが残念だった。


轆轤を回す学の手に、誠治がそっと手を重ねる。
お互いの手は泥に塗れて、撫でていくうちに形作られていく器。
このシーンのあまりの暖かさが、瞼にこびりついている。

好きなドラマの中のセリフで、ずっと覚えているものがある。
「人間なんて切り開いて皮を剥げばただの肉の塊だ。死ねばわかる。」
本当にその通りだと思う。生きているうちは、国籍や、肌の色、性別、血液型、性格……いろんなもので区分されてしまう。
そこには無意識の偏見や差別が少なからず蔓延って、私たちは自分が思うよりも深く、その差別化の元に生きていると思う。
「日本人っぽい性格してるよね」
「女らしく」
「女の子なんだから」
「A型ってそういうところあるよね」
「我が強い人ってこういうところあるらしいよ」
そんな言葉を受け止めながら、いつも心の奥底で思うのだ。あなたも私も、でも死んだらただの肉の塊なのにね、と。

今回の映画は何度も何度もそう思いたくなるシーンがあった。ブラジル人であることで必要以上に恨まれてしまうマルコスを筆頭に、日本で働く外国人労働者の姿が描かれている。
たまたま日本人なだけで、たまたまブラジル人なだけで、憎しみの矛先が向いたり、学とナディアのように、遠い異国で出会ったとしても、双方を慈しみあって生きていくこともできる。
そういった偏見や差別を飛び越えて、血縁や国籍も関係なく、わたしたちはいつだって家族になれる。
同じものを見て感動して、同じ食事を囲んで、同じ音楽で踊る。傷を心配して、時にお節介をして、たまには強い言葉を吐いて、それでもごめんなさい、という気持ちは共通で。
あなたが心配だよ、という優しい眼差しは、そういったことを全て差し置いても自分を包み込んでくれる。
ブラジル人であっても、ナイジェリア人であっても、日本人であっても、私たちはただの肉の塊で、人間で、だから、家族になれる。
これを読んでくれているあなたにも、例えば一般的に家族と呼べるような、あたたかなものではなかったとしても、
少なくともあなたを産んだ親がいて、それまで育ってきた環境があって、願わくば今は、あなたがあたたかな布団で眠れる穏やかな時間と場所があればと思うし、人間に限らずでもいい、家族と呼べるようなものがあったらいいと思う。

映画を見ている中で、思い出した人がいる。
小学生の頃通っていた英会話スクールの、カナダ人の先生。
男性で体が大きく、先生の口髭が大好きでいつもさわらせてもらっていた。
姉も同じ英会話スクールに通っていて、私はわがままを言って姉と同じクラスに通わせてもらっていたのだけど、
同じ問題も勿論解くのだけれど、時たま姉の年代の子達が別の問題を解く横で、私はまた個別に、その先生がレクチャーしてくれていた。
それはきっと面倒だったと思うし、それでも、その先生はいつもニコニコと教えてくれて、
スクールから帰る際は先生とじゃんけんをして勝たないと帰れない、という、ちょっとしたゲームがあったのだけど、
私は勝った後も、その先生の懐に入って背を預けて、先生がみんなとじゃんけんするのを見ていた。
先生の大きな体はいつもあったかくて、少しきつい香水の匂いがした。体毛は光に透ける薄茶色だったことも覚えている。
私にとって先生は、生まれてきて初めてできた、外国人の父のような存在だった。

先生に限らず、私はたまたま、とても恵まれている家族の元に産まれることができた。
季節の行事や礼節には厳しい家だったけれど、それは大人になった今とても感謝しているし、やりたいといった習い事は全て経験させてくれた。
バイトや学校への送り迎え、毎日のバランスの取れた食事、姉弟とも仲がよく、未だに実家に帰りたい、と時々思えるのは、それだけ愛を持って育ててきてくれたからだと思っている。
通っていた小学校でも恩師ができ、それは第二の母のようだったし、田舎だったこともあり、幼馴染の家族はまるで自分の家族と同じくらい大切だった。
そうやって生きてきた。
それぞれのコミュニティで、家族のように生きてきた。
そういった「家族」が、あたたかな存在と居場所が、できればこれを読んでいるあなたにもありますようにと思ってしまう。

母が歌っていた子守唄を思い出す。
土と、雨と、季節の香りがする風景を思い出す。
どうか、どうかと、途方もなく祈りたくなる映画でした。

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