【夏へのトンネル、さよならの出口】

失くしたものは、失くしたからこそ愛おしい。

【あらすじ】
ウラシマトンネル――そのトンネルに入ったら、欲しいものがなんでも手に入る。
ただし、それと引き換えに……

掴みどころがない性格のように見えて過去の事故を心の傷として抱える塔野カオルと、芯の通った態度の裏で自身の持つ理想像との違いに悩む花城あんず。ふたりは不思議なトンネルを調査し欲しいものを手に入れるために協力関係を結ぶ。

これは、とある片田舎で起こる郷愁と疾走の、忘れられないひと夏の物語。


ラストはきっとそうなるのでは、という想像はできた。
できてはいたけれど、それまでのストーリーや表現がとても丁寧で、気づいたら涙がそっと浮かぶような、そんな映画だった。
沢山の伏線が貼ってあり、ちょっとした表現や余白にも意味がしっかりとある、とても魅力的な魅せ方をする。
もう一度映画館で、その余白や伏線、「繰り返す」という表現に含まれた部分を見返したいと思った。

何かになりたい。
特別になりたい。
私も、何度そう思っただろう。
平凡なしあわせが愛おしいと思える日も少なからずあるというのに、でもそれ以上に、何かになりたい。
私だけができること、私を必要としてくれるもの、そんな物があったらいいのに、と、何度も何度も思った夜がある。
だからあんずの気持ちは手に取るようにわかる。
自分の不必要さよりも、自分より眩しい存在を、自分以外の誰かの為にも手に入れようと思うカオルの目に映る世界を、私も知りたい。
それは例え罪悪感からくるものだったとしても、自己犠牲が過ぎるが故に何処か遠くにいるカオルに、絶対に自分はなれないと思うからこそそう思う。

なんでも手に入る、というのは、一見とても魅力的に見えて、実はとても不自由だ。
『それ』が現状、自分にはないのだと改めて自覚することになる。
自分にはないもの、才能や、人に愛される何か、自分の不必要さ、誰かと比較してしまう自分の弱さ、そんなものと対峙することになる。
私は欲しいと渇望するものが沢山ありはするものの、それを向き合って、今の自分の醜さを真っ向から見つめることができない。
それに葛藤しながら、あるいは何の迷いもなく、ああやってトンネルに飛び込むことができるカオルとあんずは、すでにその時点で特別なのに。

丁寧に、丁寧に、それぞれが失くしたもの、手にしたいもの、そんなものを不器用に手に広げて、でもこれが愛おしいんだと言える関係。
それ以上の時間を失っていく、10秒のキス。
そんなものがとても眩しくて、とても優しくて、でも手に入れたいものがしっかりと、お互いの握り締めた掌の中にあると自覚できたなら、それはどれほどの価値があるのだろう。

自分の欲しいもの、足りないものは、だけれど実はもう側にあって、こちらを見ているのかもしれない。
そう気づかせてくれる、夏の匂いがする映画でした。

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