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隣の芝生は、あなたが青く見ている!


「うわぁ!あの子いいな!こんなことできるなんて。」
「あの子はもう、みんなとなじんでるよ。」
「あの子なんかもう先に進んでるよ!!すごい!」

ほんと、、みんなってすごいよね。
「あああ。どうせ、私なんて。」って言ってしまう。

うーん。なんだろう。隣の芝生って青く見えちゃうよね。

大多数の中から見たらそうでもないのに、
近くに、隣にいる子を見れば見るほど、
いいな!!と思ってしまう。

うらやましい。この一言に尽きるんよね。

あなたのいいところ、隣の友達の良いところいくつ挙げられますか?

自分のいいところが多い人。
自分の方が少なくて、友達の良いところが多い人
友達の良いところしか挙げない人

本当にそれぞれなのかなと思う!

逆の立場でかんがえてみよう!
もし、私が隣の子だったら、きっと隣の子は私も見る。
そして、隣を見る私は、逆の立場でも、隣を見るだろう。

何が言いたいかっていうのは。
隣が青く見えるではなくて、隣を青く見るという選択をしてるということ。

もう一度いうよ!
隣は青く見えるんじゃなくて、自分が青く見ようとしている。
自分自身を青く見るのがあまりにも見えないもので、無知だから、

誰しも、自分を見るとき、鏡をみるでしょ??

自分は、鏡を見ないと、自分自身を見ることができない。
でも、隣は、鏡がなくとも見える。

自分の心は、己に問いかけなければわからない。
でも、相手の心は、言葉や行動や、表情でわかる。

自分というものは、目に見えないし、自覚しずらいけど存在するもの

だからこそ、見えてしまう隣を見て、青いと思う。
自分というものの「青さ」に気づかぬまま。

だけど、「私」を直接的に見えなくても、「私」を知ることはできる。
「私」を見てくれている隣の人に聞いたり、
鏡に今一度焦点を「私」に向けてみたり。
そして、見てしまう隣の子の立場になって「私」を見ようとしたり。

いつもすごい姉と、妹に囲まれて生きてきて、
一度も誰とも比べない自分を見てこなかった私。
だからこそ、昔も今もいつだって、隣の芝生は青く見てしまう。

でも、周りに大切な人が多くできて、
素敵だね。と私を見てくれる人がいて。

私を想ってくれる大切な人達のためにも、
もちろん。私自身のためにも、こう思うことにしたんだ!😊

隣の芝生は確かに青い。そんな青く見える私の芝生もきっと青い。

最後まで読んでいただきありがとうございました!!😊
自分を見つめてあげることって本当に難しかったりするけど、
無理に見つめようとせずに、
少し見つめてみようかな?そんな気持ちになれたとき、
もう。あなたはとっても素敵な芝生を見ています!🌹🌹

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