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おかんと座右の銘を考えてみた

今日も東京から湘南に遊びに来た友人とのサーフィンを終えて、久々に実家に帰ってきた。色々用事があって帰ったんだけど、もろもろ必要なものを全部忘れたので、ただの「Say hallo」帰省となった・・・。

久々の実家、おかんの手作り料理は・・・まあまあ美味い。我が家のおかんの料理はフィーリングで作るので、めっちゃ美味い時もあればあんまり美味しくない時もある。今日も5品あるうちの3品は最高で、2品は微妙。この不安定さがとてもいい。まあ何もせずにご飯が出てくる時点で感謝なんだけどね。

さて夕食も終わり、おかんとの夜更かしタイム。(昔から家族の中で俺とおかんが夜行型で親父と弟が朝型)
今日も様々なテーマを話したんだけど、メインテーマは座右の銘決め。
座右の銘ってのが自分の中で今まで特に決めてなかったので、おかんとブレストして考えてみた。うちのおかんはとても尊敬する博識な人で困った時に意見をもらう相談相手でもある。
そんなおかんとのブレストを経てついに自分の座右の銘が決まった。

「足下を掘れ、そこに泉あり」

これはおかんから10個くらいの名言が出てきた中の最初の1つ目のもので、結局これがすごくしっくりきた。というかしっくり来すぎてその後2つ目以降の名言はまったく聞いてなかった。
この言葉はニーチェさんが昔言った言葉らしく、ググったら以下のような解釈だった。

人は大抵、自分の足下(あしもと)なんかには、たいしたものは埋まっていないと思うものです。
しかし、灯台下暗し、素敵なもの、価値あるものは自分の身近なところにあるのです。
自分の身の回りを注意深くじっくり観察してみましょう。
普段見落としてた価値あるものが見つかるでしょう。
そして足下を掘ってみましょう。
きっと、「黄金の泉」が湧き出てくるはずです。

教科書的な解釈は置いておいて、言葉から感じ取れる自分なりの必殺拡大歪曲解釈が以下の3つだ。

・「自分の足下に大したものはないだろう」という常識を疑え
・自分の身の回りの人やものごとを大事にする
・この世の中で唯一無二である自分を信じる

座右の銘って、決めることで自分の考えや行動の幅を制限してしまうのでは?と言う気がしていたけど、最近色々と考えていることが比較的この言葉で表現されている気がしたので、設定してみて良かったんじゃないかなと思う。もちろん将来変更可能な前提で。

こんな感じで今日もお喋り同志の俺とおかんのディスカッションは座右の銘決め以外にも盛り上がってしまい、日曜夜恒例の週末片付けておくべき残仕事を白目でやるタイムがこの時間になってしまった。

いっぱい元気をもらったので来週も頑張ろう。そしてありがとう、おかん。まだまだ元気でいてくれよ〜

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フランスのビーチでワインを嗜む両親


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