見出し画像

日常の空港と非日常の私たち

新潟空港。
休日の暇な時間、私は妻に「どこに行く?」と聞くと妻はこの場所をよく選んだ。

「空港」=「旅行」の図式があるのか、この場所を選ぶ旅行好きの妻はいつも楽しそうだ。
こんな感じで、新潟空港という場所は新潟市に住む私たち夫婦の「いつもの楽しい場所」になっていた。

今年の2月。私は転職のためしばらく大阪の会社に勤務になった。
妻は新潟での勤め先を継続するため、私たちは新潟と大阪のそれぞれの地で暮らしていくことになった。
私たち夫婦には子供がいないため、こういう身軽さはあるのだが、最低1年以上は離れ離れになるという事実の重たさを痛感したのは、私が大阪に旅立つまさに当日だった。

あんなにいつも楽しい場所だった新潟空港が、今日はなんだか大人びいた雰囲気を醸し出す場所になっていた。
出発ロビーと一般の人たちが待機する場所とはガラス1枚で仕切られていて、出発ロビーで待機する私を、ガラスの向こうのベンチに座る妻がじっと見ていた。
直接話せないため、出発時間までスマホのメッセージでやり取りを行う。
いつもの何てことはないやり取りが、出発時間が迫っていることを忘れさせるためのやり取りに思えてくる。
飛行機への搭乗が始まり、妻への最後のメッセージを送る。
ガラスの向こうにいる妻の顔は、これまで見たことのない、悲しいのか、泣いているのか分からない、ただただ私をまっすぐに見つめる顔だった。

私を乗せた飛行機は、新潟空港の滑走路を全速力で走り出し、そして飛び立った。
胸が苦しい。どうしても気持ちが抑えきれない。

たった1年ちょっと。毎日電話だってできる。ちょっとだけ遠くにお互いが住むだけじゃないか。なんで泣いているのか俺は。

そう自分に言い聞かせても、出てくる涙を止めることができなかった。

結婚して今年で20年。
1日、1ヶ月、1年。
積み重ねて、積み重ねて、2人で築き上げてきた夫婦という形は、お互いがいつもそばにいて当たり前という形を作り上げていたようだ。

私を見送る妻は、新潟空港の屋上から飛行機を見送っていた。
小雨が時折降るその日の不安定な空は、飛行機が動き始めたときには日が射しはじめていた。
そして、飛行機が飛び立とうとしたとき、遠くに見える海の向こうに、虹が出ていたらしい。

そのことを私が大阪に着いてから妻に聞いた。
大阪の新しい住居に着いてから、私はスマホのカメラを使って妻に部屋を見せていた。
新天地では分からないことだらけだけど、その分、毎日妻との話題につきないだろう。
きっといいこともたくさんあるに違いない。
だって、飛行機が飛び立つときに虹が出るなんて、ドラマみたいな最高のスタートだと思うから。

サポート頂いたものは、全面的に寄付に回しま・・・せっかくなので大切に私が収めさせて頂きます。