見出し画像

【読書コラム】うちはうち、よそはよそ、だけどみんな仲良く - 『格差は心を壊す 比較という呪縛』リチャード・ウィルキンソン、ケイト・ピケット著/川島睦保訳

「うちはうち、よそはよそ」なんて子どもの頃はよく親に言われたけれど、実際、正しい考えだったのかも。

直感的には皆知っている「他人と比較することの無意味さ」をこの本は科学的に検証している。

そもそも、いつから人類は自分と他人を比較するようになったかと言うと、農耕社会が始まってからなんだとか。

要するに農業というのは、自然や知識に左右されるもので、収穫量にばらつきが生じ、それが格差となって表れてきたのだという。

ということは、格差は最初から「経済格差」だったのだ。

狩猟採集社会の頃は、大きな動物を倒すなど、みんなで協力せざるを得なかった関係で、自然と平等な社会になっていたんだとか。

実際、結婚という概念もなく、好きなもの同士がセックスをし、生まれてきた子どもは社会全体の子どもであり、誰の子どもかなんて考える必要もなかったみたい。

それだけ聞くと、プラトンが理想として掲げたユートピアそのものって感じだけど、さて、ことはそう簡単ではなかったそうだ。

実際のところ、狩猟採集社会でも富を蓄えたり、政治的な権力を握ったりする者もいたようだが、彼らはみな、寝ている隙を狙われるなどして、軒並み殺されてしまったんだとか。

狩猟採集社会の平等は「出る杭は打たれる」システムで、他人と異なる存在を物理的に排除していただけなのだ。

そう考えると、格差が存在している社会というのもある意味健全なのかもしれない。

ただ、どんなに栄養のある食べ物も摂り過ぎると毒になるように、格差も広がり過ぎたら問題が生じてくる。

格差社会の恐ろしさは、上ではなく下に攻撃が向かうところだ。

マルクスの階級闘争だったら、攻撃は上に向かうべきなんだろうけど、現実問題、人は自分よりも恵まれている人たちについては見て見ぬフリをしてしまう。

比べたところで得がないから。

じゃあ、誰と自分を比べるのか。

比べ甲斐のある相手、つまり、自分より惨めな人たちを見るようになる。

あいつらよりは自分はマシだ。
あいつらよりは恵まれている。
あいつらよりは幸せだ。

格差社会で自我を保つため、人は常に、自分が一番下ではないと確認しておきたいのだろう。

つまり、格差社会における人々は、「他人より上になる」ためではなく「他人より下にならない」ための振る舞いをする。

その最も効率的かつ簡単な行動こそ、弱者に対する差別なのだ。

ここまでくると、なぜ格差は心を破壊するのか、だいたいのことは見えてくる。

この本が特徴的なのは、そのような現状把握をした上で、個人ができる解決策を提示しているところで、そこにはアドラー心理学の考えが用いられている。

畢竟、「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」ってやつで、格差は近い立場同士で発生する。

故に、解決策はコミュニティの拡大にあるのだ。

結論部分では、SDGsを思わせる具体的な施策案がたくさん出てくる。

うまくいくか疑わしい部分もたくさんあるけど、格差を緩和するために必要なのは、共同体のつながり強化なのは間違いないだろう。

「うちはうち、よそはよそ、だけどみんな仲良く」というあどけない方針が大切なのかも。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,141件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?