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【ショートショート】夢の中だから (1,620文字)

「キャー!」

 悲鳴が聞こえて瞳を開けると俺はバスに乗っていた。一番奥の角に陣取り、窓ガラスに体重を預けて、どうやら長いこと眠っていたらしい。顎がやたらと痛かった。

 外は爽やかに明るかった。なにがなんだかわからなかった。というのも、俺はさっきまで忘年会で気持ちよく酒を飲んでいたはずで、なぜ、自分がこんなところにいるのか、まったく思い出せなかった。

 本当はあれこれ悩みたかったが、前の方から、

「黙れ。殺すぞ。静かにしろ」

 と、興奮した男の怒声が響き渡って、そんな暇はないみたいだとすぐに悟った。

 車内に騒然とした空気が広がった。俺は恐る恐る視線を上げて、何が起きているのか様子を窺ってみた。運転席のそばで目出し帽をかぶった男が女子高生を人質にとり、首もとにナイフを突きつけていた。

「いいか。このバスはジャックした。言うことを聞かないとこの女を殺す。わかったな」

 みんな、驚き、怯え、慌てふためいていた。近くにいたおばあさんなどガタガタと震えて、いかにも可哀想だった。

 一方、俺は冷静だった。なにせ、この光景を知っていたから。

 もちろん、予知能力があるわけじゃない。そうではなくて、俺はこれとまったく同じシチュエーションを繰り返し、繰り返し、何度も妄想してきた。犯人の見た目も、女子高生の雰囲気も、ガタガタ震えるおばあさんに至るまで、なにもかもが完璧に一致していた。故に、既視感でいっぱいなのだ。

 想像していた通りのことが現実に起こるなんて、果たして、本当にあり得るだろうか。いやいや、普通はあり得ない。つまり、これは現実じゃない。

 そのあたりで夢を見ているだけだと察しがついた。

 はいはい。忘年会の途中で俺は眠ってしまったのだろう。部長に褒められ、経理の佐藤さんにも褒められ、かなり気分が高揚し、飲み過ぎてしまった自覚はあった。そして、その盛り上がりから、ヒーローみたいに活躍したいという中学生時代の妄想が夢に出てきてしまったのだろう。

 そうとわかれば、話は早い。この後の展開は未だに丸々把握していた。

 犯人は運転手に止まるよう指示を出す。人質になりそうな若い女以外は降りるように命令してくる。他の男たちはビビってしまって、言われたまんま、そそくさバスを降りていく。俺は震えて動けないおばあちゃんを手伝おうとする。犯人はそんな俺に腹を立て、ずかずかと近づいてくる。これはチャンスと俺は女子高生に向かって叫ぶ。

「逃げろー!」

 女子高生は機敏に車外へ。犯人は慌てて、女子高生を追おうとする。結果、その背中は隙だらけ。俺は勇気を振り絞り、そこに必死で体当たりをかます。犯人はバランスを崩し、包丁を落として倒れ込む。俺は激昂する男を取り押さえ、車内に残った若い女性たちに警察を呼ぶように冷静な指示を出す。そして、なにもかもは一件落着。めでたし、めでたしで俺は警察に誉められ、マスコミの取材も受け、命懸けの行動をとることができた理由について問われる。

 中学生の頃はここでカッコいいスピーチを披露するつもりだったけど、さすがに俺も三十歳を迎えたわけだし、空想の出来事とは言え、それを口にするのはあまりにも恥ずかし過ぎた。そのため、

「理由もなにも。夢の中だから、どうせ死なないと知っていたので」
 
 と、照れ隠しのつもりで言ってみた。

 さて、本来はここでエンディングを迎えるはずだった。なのに、そうなる気配は全然なくて、マスコミの人たちは俺を囲んでポカンと不思議そうな顔をしていた。

 そのとき、聞き慣れた声が俺の名前を呼んだ。

「高橋くん!」

「あれ? 部長?」

「おいおい。なにをとぼけているんだよ。みんな、心配していたんだぞ。突然、飲み会から姿を消したと思ったら、ずいぶん、勇敢なことをしたみたいじゃないか。ニュースを見て、驚いたよ」

 俺はほっぺたをつねってみた。しっかり、ちゃんと痛かった。どうやら、あり得ないことが起こったらしい。堪らず腰が抜けてしまった。

(了)




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