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【料理エッセイ】食券は渡さない!

 年末なので、足立区に暮らす祖母を訪ねた。夕飯を一緒に食べる約束をしていたので、昼は西新井駅のホームでラーメンを食べることにした。

 普通、立ち食いといったらお蕎麦屋さんで、メニューの中にラーメンもあるというところが多い。でも、珍しく、西新井駅にはラーメン専門店がある。

 わたしは重度な蕎麦アレルギーなので、麺を茹でる鍋が蕎麦と一緒だったり、店内に蕎麦粉が舞っていたり、ちょっとしたことで蕁麻疹が出てしまう。そのため、立ち食いのお蕎麦屋さんとは縁がなかった。

 客観的に言えば、立ち食いの蕎麦なんて食べられなくても問題はないのかもしれない。だけど、中学生の頃、押井守監督の『立喰師列伝』を見たせいで、個人的に立ち食いというものに憧れてしまった。

 一回、チャレンジしたことがある。新宿駅の立ち食い蕎麦屋に入ってみた。さすがに蕎麦はダメだとわかっていたので、うどんを食べた。一口で喉がおかしくなった。数秒後には食道の内側がかゆくなった。かきたいけど、かけなくて、ひたすら冷たい水を飲み込んだ。やがて、頭皮が痛くなってきて、慌ててトイレに駆け込んだ。胃の中が空っぽになるまで吐きまくった。端的に言って、最悪だった。

 やっぱりダメなのか……。本当は押井守が生み出したケツネコロッケのお銀というキャラクターみたいに、蕎麦を華麗に食べてみたかったのに……。

 誰にも理解されないけれど、けっこう切なかった。ただ、蕎麦が無理な以上、どうすることもできない。残念だけど、諦めるしかなかった。

 そんな中、祖母の家に行く途中、乗り換えで利用する西新井駅に立ち食いのラーメン専門店があると知った。

 灯台もと暗しにもほどがある!

 ここなら、心置きなく、立ったまま麺をすすりまくれるじゃないかと大興奮。以来、年末になるたび通っている。

 店名はわかりやすく西新井ラーメン。創業は1969年らしく、東武伊勢崎線ユーザーに長年愛されている。

 だいたい、どんな時間に行っても大混雑。今回もお昼時を外したけれど、ホームは人であふれていた。

 食券を買って、整理番号の紙を取り、順番を待つ。さすがは立ち食い。回転が早い。あっという間にスペースが空き、そこに入ったらカウンターに食券を置く。中にはおじさんとおばさんがいて、手際よくラーメンを仕上げていく。

 で、出てきたのがこれ。

 みんな大好きワンタンメン。

 これぞ、東京の醤油ラーメンって感じの懐かしい見た目。なにせ、ワカメがとっても嬉しい。スープは鶏ガラの旨味に生姜の香りが漂って、気持ちがいいほどスッキリしている。

 チャーシューはトロトロ。メンマはシャキシャキ。ワンタンの中に具はほとんどないけど、トゥルンと楽しく癖になる。麺は少し固めで喉越し抜群。次から次へと食べたくなって、やめられない、止まらない。みんな、ペロリと完食していくあたり、ほんと、立ち食いに特化した究極の逸品。

 改めて、最高だなぁと感動していたら、隣に小学生ぐらいの女の子が立っていた。後ろにはお父さんがいて、

「ほら、いいかげん食券を出しなさい」

 と、注意していた。見ると、女の子は手にぎゅっと食券を握りしめ、ぶんぶん、首を横に振っていた。

「渡さない!」

 頑なだった。お父さんは呆れた様子で、

「食券を出さないとなに作っていいかわからないでしょ。おじさんにラーメン作ってもらうためにも、食券を渡さなきゃダメなんだよ」

 と、説明した。女の子は納得のいかない様子で、カウンターの向こう側のおじさんに、

「メンマラーメン! 大盛り! ネギ抜きです!」

 と、大きな声で注文した。おじさんは困った様子で微笑みながら、

「お嬢ちゃん、わかんなくなっちゃうから、そこに食券置いておいてね」

 と、優しく答えた。お父さんはそれ見たもんかと女の子に再び、食券を出すように促した。

 こうなると女の子も折れざるを得なかったのだろう。泣きそうな表情を浮かべ、食券をカウンターに置いた。

 でも、女の子は落ち着かない様子。ソワソワ、その場で足踏みを始めた。いかにも不安そうな声で、

「あー。ヤバいヤバいヤバい」

 と、つぶやきだした。

 あたりをキョロキョロ見ていることから察するに、女の子は食券が他の誰かに盗られるんじゃないかと心配しているらしかった。

 たしかに、食券には名前が書いてないし、一度、手もとを離れたら自分のものと証明する手段はない。なるほど、それで一生懸命になっていると思ったら、いかにも可愛く、可笑しかった。

 結果、耐え切れなかったのだろう。女の子は慌てて食券を回収し、おじさんに向かって、

「これはわたしの! ラーメンが来たら交換してあげる。それまで食券は渡さない!」

 と、告発するように言い放った。

 ついに、その場にいた全員が吹き出してしまった。加えて、おじさんが申し訳なさそうに、

「お嬢ちゃんは悪くないよ。おじさんがぜんぶ悪いんだ。この世の問題、なにもかも、おじさんのせいだからね。お嬢ちゃんは気にせず、メンマラーメンの大盛り、ネギ抜きを待っててね」

 と、謝るものだから、みんな、爆笑してしまった。

 そのとき、わたしはちょうどワンタンメンが食べ終わったので、お父さんにスペースを譲った。チラッと女の子の横顔が見えた。誇らしげに前を向き、カッコよかった。もちろん、手もとにはクシャクシャになった食券がある。これだけ熱心に待ち望んでくれたら、おじさんも作り甲斐があるだろう。

 なんというか、こういう人情も含めて、下町のラーメンなんだよなぁ。そんな風に後味を噛み締めながら、到着したての電車に飛び乗った。窓の外、流れる景色を見ながら、西新井ラーメンがこれからも続いていくことを強く願った。




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