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【ショートショート】わたしがナスを嫌いな理由 (3,691文字)

「先輩ってどうしてナスが嫌いなんですか?」

 休日、後輩と中華ランチをしたときのこと。酢豚定食を頼んだわたしに、麻婆茄子定食を頼んだ後輩がおかずのシェアを申し込んできた。わたしはナスが苦手だったので麻婆茄子はいらないけど、酢豚を少しあげるねと答えた。すると、不思議そうに尋ねられてしまったのだ。

「どうしてと言われても、嫌いなものは嫌いなの」

「アレルギーですか?」

「ううん。そういうんじゃないの」

「火が入って、トロトロになった食感が気持ち悪いとか?」

「んー。どうだろ。お漬物もダメだし、そんなことはないと思う」

「ってことは食べたことはあるんですね」

「なんで?」

「ナスのお漬物がパリパリだって知っているじゃないですか」

「ああ。それは別に他の人が食べているときの音を聞けばわかるもの。ただ、小さい頃は食べていたから知らないわけじゃないけどね」

「小さい頃は食べてたんだ。なにか、きっかけがあったんですか?」

「ちょっと、なんでそんなに興味津々なのよ。早く、ご飯食べなさい。冷めちゃうし、昼休み終わる前に銀行寄りたいって言ってたじゃないの」

「そうでした! いま、手元に現金が全然なくて。あー、そういや、この店って現金使えましたっけ? 財布の中、リアルに数百円しか入ってないんです」

「大丈夫、大丈夫。奢ってあげるから安心しない」

「マジですか! ありがとうございます!」

「はいはい。とにかく、ご飯を食べましょう」

 そう言って、ランチを済ませたわたしたちはお店の前で解散したわけだけど、コンビニで午後のおやつと午後の紅茶おいしい無糖を購入し、一人、エレベーターで自分の部署に戻りながら悶々としていた。

 ナス嫌いはずっと当たり前。そこに理由が存在しているなんて考えたこともなかった。だが、いざ、あんな風にしつこく問いただされてみると、なぜ自分がナスを嫌いなのか、よくわからなくなってきた。

 まったく。アホな後輩のせいで気が散って仕方なかった。まるで恋をしたときみたいに油断すると頭の中はナスに支配されていて、

「佐藤さん。佐藤さん」

 と、部長に声をかけられても何度か無視を決めてしまった。最悪だった。ますますナスを嫌いになった。

 会議でもやらかしてしまった。新商品のネット広告を出すにあたって、担当者の決めたキャッチコピーに賛成か反対か意見を募るというもので、ぶっちゃけ、わたしとしてはどちらとも言えなかったのだけど、

「ええと。まずは佐藤さんから。これに賛成? それとも反対?」

 と、部長に聞かれ、つい勢いで反対と答えてしまった。その後、他の人たちはみな賛成だったので、意図せず唯一の反対者として注目を浴びざるを得なかった。

 できることなら賛成に鞍替えしたかった。本当、なんとなく反対してみただけで、譲れないものなんてひとつもなかった。しかし、いまさら、やっぱり賛成と弱腰になったら同調圧力に負けるダメなやつだと思われてしまう。そのため、しっくりこないまま、孤高にレジスタンスを演じ始めた。

 弊社の化粧品をご愛用されているお客様は経験豊富ゆえ、本物のよさがなんであるか、その違いをしっかりと理解されています。値段ではなくクオリティ重視なのです。なのに、このキャッチコピーはお手頃価格を主張し過ぎではないでしょうか? たしかに物価高で少しでも出費を抑えたいという需要が増してきていることはわかります。でも、それで弊社が長年かけて積み重ねてきたブランドイメージを毀損していいのでしょうか? ピンチのときだからこそ、守るべきものはなんなのか、慎重に検討しなくてはいけません。

 大演説をぶってしまった。我ながら、よくもまあ、アドリブでそれっぽい言葉が出てくるものだと驚いた。同時に不思議でもあった。心にもない反対意見を口にしていると、もともとは賛成でも反対でもなかったはずなのに、だんだん反対しなきゃいけない義務感が身体のうちから湧いてきたのだ。

 結局、キャッチコピーは保留となった。勝利した喜びに一瞬は満たされたけれど、そのせいで工程が大幅に遅れ、わたしの仕事も進まなくなるとすぐに思い出し、やってしまったと後悔に襲われた。ただ、そんな反応をしたら最後、頭のおかしいやつになってしまうので、然もありなんと言わんばかりに気難しい顔でその場をやり過ごした。

 どうしようもない一日を終え、誰とも話をしたくなかったので、わたしはそそくさと退社した。なんでこうなってしまうのか……。

 料理を作る気力が湧かず、駅中に入っているSoup Stock Tokyoでミネストローネをテイクアウト。コンビニでサラダとシュークリームを購入し、真っ暗な自宅に帰った。爽やかな酸味を摂取してもなお、釈然としないままだった。

 わだかまりを吐き出しため、母に電話をかけていた。体調を気遣うふりをしながら、途中から、ひたすら愚痴を書いてもらった。

「で、わたしが変に反対したせいで、プロジェクトが止まってしまったの。みんなに迷惑をかけたいわけじゃなかったのに、なんだかなぁって感じなんだよね」

「それは困ったことになったわねぇ。ただ、賛成した人たも人たちよねえ。沙耶を説得できないなんて。実は内心、反対だったんじゃないの?」

「あー。あり得る。ってか、みんな、わたしと一緒で賛成でも反対でもなかったんだと思う。どちらか片方の立場を選ばなきゃいけなくなったから、とりあえず賛成しただけと思う。ほら、賛成なら自分の意見を述べる必要ないし、どう考えても楽だからさ。実際、いつものわたしだったら、どっちでもいいときは賛成って言ってる。いやー、本当、うっかりしてた」

「なんかあったの?」

「うん。お昼ご飯食べているとき、後輩から変なこと聞かれちゃってさ。そのせいで今日はずっと心ここに在らずだったの」

「変なこと?」

「どうしてナスが嫌いなんですか、って。中華のお店でその子は麻婆茄子頼んでて、おかずを一口交換しようって言われたとき、わたし、ナスは苦手だからいいやって答えちゃったの。そしたら、なんでなんでって」

「沙耶ちゃん、ナス食べないもんね」

 母は笑っていた。

「そう。子どものときからね。でも、小さい頃は食べていた気もするし、いつから食べなくなったんだろうって考え始めたら、よくわからなくなってきたんだよね。自分がなぜナスが嫌いなのか」

「なに言ってんの。あんた、自分で今日からナスを嫌いになるって宣言したんじゃないの」

「え? どういうこと?」

「忘れちゃったの。あきれた。小四だったか、小五だったか。友だちと自己紹介カードみたいなやつを交換してて、毎日、いろいろ書いていたでしょ。その中に嫌いな食べ物を答える欄があって、ナスと書いちゃったから、今日からナスを嫌いにならなきゃって言い出したんじゃないの」

 そのとき、忘れていた記憶が油田を掘り当てたみたいに噴き出してきた。

 プロフ帳。女子の間で流行りまくった。名前とかあだ名とか生年月日とか、好きな本とかアニメとか、個人情報をこれでもかって書き込むやつ。それを交換することが友だちになるということで、あの頃のわたしは誰にもハブられたくなくて、必死に交換しまくっていた。

 内容なんてどうでもよかった。たくさんの質問に答えたという形が重要で、あなたに自分のすべてを明かせるという姿勢を示すことが目的だった。だから、ひとつでも空白のまま提出するなんてできるはずはなく、おばあちゃんから、

「沙耶ちゃんは好き嫌いせず、なんでも美味しいおいしいと食べてくれるから嬉しいよ」

 と、褒められて育ったわたしは嫌いな食べ物は? という質問に困ってしまった。悩みに悩みまくった挙句、こうなったら、嫌いな食べ物を作るしかないというところまで追い込まれた。

 嫌いになるからには一生食べられないわけで、食パンとかご飯とか、毎日の主食は選べなかった。肉や魚も難しい。そうなると野菜だけれど、玉ねぎ、にんじん、じゃがいもはカレーに使うからダメ。ブロッコリーやキノコはシチューに使うからダメ。みたいな感じで、食べ続けたい料理に使われている食材を外していった。結果、消去法で残ったものがナスであり、わたしは泣く泣くナスを嫌うことにしたのだった。

 以来、嘘をついていることがバレてはいけないという一心で、ナス嫌いを演じてきた。給食でナスが出たら残すのはもちろん、家でも絶対に食べないという徹底ぶりだった。そのうち、演じているということも忘れて、自分の中でナスが嫌いなことはアイデンティティのひとつになっていった。

「……そうだった。わたし、ナスが嫌いだったわけじゃなかった。ナス嫌いになると決めただけだった」

「そうそう。あんたはいつもそうなのよ。高校受験のときも、彼氏ができたときも、就活しているときも、自分で自分はこういう人間と決めてしまって、その通りになろうと無理をする。疲れちゃうでしょ。そんなんやってたら」

 うん。疲れちゃう。そう思いながらも、母の言いなりにはならないと決めた十六歳の自分にわたしは首を絞められていて、なにも言うことができなかった。

(了)




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