謝りすぎ人間
先日、道を歩いていると、背中が完全に丸まった女性に声を掛けられた。
「ちょっとゴメンネ、バス停を探しているんだけど◯◯行きのバスが停まるバス停わかりますか?」
その辺りでバスに乗ったことがなかったため思い当たらなかったが、相当困っている様子だったので携帯で調べてみることにした。
「ゴメンネ~忙しいのに…」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
…なんて、すました感じで返事をしながら携帯を操作していたが、内心は物凄く焦っていた。
私は今まで、地図上でバス停を上手く見つけられた試しがなかった。
(待たせた上にわからなかったらどうしよう…別の人に聞いてもらうべきなのでは…。)
そうは思いながらも、周りに聞けるような人もいなく、交番もない。
頂いた情報を頼りにGoogle先生でなんとか調べようとする。
しかし私の焦りを察したのか、携帯も思う通りに動かない。
(そういえば、このスマホ今月で3年目だったな…。スマホの寿命って2年とか良く言うけど、貴様も所詮ポンコツか…!)
ますます焦る。
このページを開けば何かわかるのに!!というところまでは行ったのだが、何故かそのページが開かない。
他の関連ページも開こうとすると画面が黒くなり固まってしまう。
他のブラウザや起動中のアプリを閉じたり、Wi-Fiの接続を切ってみたり、色々やってみるも動かない。
「ゴメンネ、忙しいのに…」
「いえ…すみません…」
「わからなそうかい?」
「そうですね…すみません…」
「ゴメンネ~忙しいのに…」
「すみません…」
結局、ポンコツ携帯のせいでバス停の場所はわからず、
「すみません、ちょっと調べれなかったので、大変お手数ですが、少し先に地下鉄への道がありますので、そちらで駅員さんに聞いていただけると何かわかるかもしれません…すみません…」
「わかったよ、ゴメンネ~」
「こちらこそすみません…」
というなんとも中途半端な結果となり、その後大変落ち込んだ。
携帯のせいとは言え、何も役に立てなかったこと。
だんだんと心苦しくなり、地下鉄に連れていけば良かったのを見放してしまったこと。
そして、謝りすぎたこと。
昔、ニュースで「「ありがとう」よりも「すみません」と謝ってしまう人が多い」と言っていたのを思い出す。
確かに、例えば前の人が私が行くまでドアを開けてくれているときも「すみません」と言ってしまいがちだし、他の人でも良く見かける。
人の親切に対して謝ってしまうと、親切にした側も「謝らせてしまった感・謝られてしまった感」によって、良いことをしているはずなのに「やって良かった!」と素直に思えないこともあると思う。むしろ場合によっては「なんか逆にすみません…」みたいになるかもしれない。
なんでか親切が爽やかなものになりづらいのは、この「謝りすぎ問題」があるんだろうなあ。しかし思っているのにやってしまっては全く意味がない…。
よくよく考えてみると、最早「すみません」が挨拶なのではないかぐらいには使ってしまっている。
そんな人が「本気で謝っています」なんて言っても、その本気度は伝わりにくいだろうし、「よく謝る人」なんてレッテルもなんの得もしない。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も、大事な時に使うものであって、ただの挨拶にしてはいけない。
いつか取り返しのつかないことになる前に、言葉をもっと大切に使いたい。
そのためにも、このnoteでいっぱい練習していきたい。
気を引き締め直した出来事でした。
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