【超短編小説】黒歴史

「あなたの黒歴史 消します」
古びた看板に、そう書かれてあった。いかにも怪しい風貌をした店。以前までの僕なら、「こんな店、頭がおかしい人しか入らないだろ…」と、思っていたはずだ。そう、以前までの僕なら……

 今日僕は、とんでもない判断ミスを犯してしまった。「あと5分で授業終わるし…お腹痛いけど我慢しよう。」……あの判断を下した自分を、ぶん殴ってやりたい。単刀直入に言おう。今日、僕はうんこを漏らした。
 しょうもないことだと思われるかもしれない。でも、考えてみて欲しい。高校1年生の男子が、授業中にうんこを漏らしたのである。これはもう「終了」である。もう一度言おう。「終了」である。幸運なことに、友達には恵まれ「うんこ漏らし」「うんこマン」等、直接馬鹿にしてくる人はほとんど居なかった。だがしかし、噂は一瞬にして広まる。今後僕が文化祭でカッコよくギターを演奏しようと、体育祭のリレーでみんなをごぼう抜きしようと、合唱コンクールで指揮者をしようと、「でもあいつ、うんこ漏らしてたからな…」と全員から思われ続けるのである。しつこいようだが、「終了」である。

 正直、僕はもう自暴自棄になっていた。「あなたの黒歴史 消します」と書かれた看板の下の、古びたドアを開けた。店の中には、怪しげなベールを被った老婆…などでは無く、白いシャツにネクタイを締め、眼鏡をかけた男の人が座っていた。
「あ、いらっしゃいませ。」
本当にどこにでも居そうな人だ。店の外見からは想像もしていなかった、シンプルで綺麗な内装にも驚かされた。
「こちらにどうぞ」
勧められるままに、男性の正面に位置する椅子に座った。

「本日は、どのようなご用件で」
「あの……今日…ちょっとしくじっちゃいまして…」
「あー、粗相された件ですね。」
「え…?」
なぜ知ってる…?誰かがこの人にバラしたのか…?
「においですよ。」
「え…!」
「冗談ですよ。」
「え…?」
「私は、この世界のこと何でも知ってるんですよ。」
「は…?」
やっぱりヤバい人だった。急激に鳥肌が立つ。
「そんなに警戒しないでください。そんな悪い人間ではございませんから。というか、人間ではございません。」
「え…!人間じゃないんですか?」
「まあまあ、その辺は良いじゃないですか。」
なんだこいつ。
「じゃあ、他に消したい歴史はございませんか?」
「他に消したい歴史ですか?」
「中学生の時に、Twitterにポエムを投稿してたのは消さなくて大丈夫ですか?」
「え、うわ、え?なんで知ってるんですか?」
「何でも知ってるって言ったじゃないですか。」
この人は本物だ…あ、人ではないのか…
「どうしますか?消去しなくて大丈夫ですか?」
「消去でお願いします。」
「他の黒歴史は消さなくて大丈夫ですか?母親に『うるせぇ』と罵声を上げたことは?嫌いな奴の消しゴムをこっそり隠したことは?SNSで嫌いな女性タレントに暴言を吐いたことは?LINEのステータスメッセージにBUMP OF CHICKENの歌詞を書いていたことは?」
「消してください!!」
自分の黒歴史を大量に掘り起こされて、思わず叫んでしまった。
「……全部消してください。」
「畏まりました。それでは、全ての黒歴史を消去しておきます。あ、辻褄を合わせるために、黒歴史と関連する事項もいくつか消去させて頂きますので、ご了承願います。」
「はい。あの…代金とかは…?」
「そんなものは要りませんよ。」
「え、無料なんですか?」
「はい、無料です。」

 実感が湧かないまま、店を出た。本当に自分の黒歴史は消去されたのだろうか。
「ただいま。」
玄関の扉を開けると、母が怯えた表情を浮かべていた。
「え、母さん…?どうしたの?」
心配になり、近づこうとすると、母は一歩後ろに下がった。
「誰ですか…?」
母の声は震えていた。
「は?え?母さん…?僕だよ?啓介だよ?」
「誰…ですか…?」
「どうしたの?母さん、僕だよ?」
僕は、靴を脱いで上がろうとした。
「警察呼びますよ!」
「母さん…?」
「出て行ってください。」
母の目には涙が浮かんでいた。

 僕は家を出て、急いで父に電話をかけた。
「もしもし父さん…?母さんが変なんだ。」
「え、あの…すみません。どちら様ですか?」
「啓介だよ…!」
「あ、多分…間違い電話だと思います。」
「間違いじゃないよ!僕だって!父さん!!」
「すみません。今ちょっと忙しいので。」
電話が切られた。

 僕は急いで店に戻った。店には、先程と同じように例の男が座っていた。
「あの、すみません。なんか、みんなおかしくなってます。」
「はい?」
「なんかみんな、僕のことを忘れてるみたいなんですよ。」
「そりゃそうですよ。全ての黒歴史を消去したんですから。」
「は…?」
「誰かに迷惑をかけたり、恥ずかしい思いをしながら、人間というものは生きているんです。つまり、人間の歴史の殆どが黒歴史なんですよ。今回は、辻褄を合わせるために黒歴史に関連する事柄まで全て消去させて頂いたので、そりゃ忘れられて当然ですよ。」
「戻してください!元に戻してください!」
「それは無理です。みなさんの記憶を、食べちゃいましたから。」
「は?」
「言いましたよね?私は人間ではないと。私は、人間界では『バク』と呼ばれているものです。人間の夢を食べると言われていますが、実際は、人間の記憶を頂いております。」
「何言ってんだ!ふざけんな!元に戻せよ!」
「あなたが消去してくれって頼んできたんでしょ?」
「こんなことになるなんて思ってない!」
「ほら、今まさに、私に迷惑をかけている。クレーマーですね。まさしく『今』もあなたの黒歴史です。」
「は?」
「消去してあげますよ。」

 目覚めると、ベンチに横になっていた。ここは何処だろう。僕は何をやっていたんだ…?あれ…?僕は………誰だ…?



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