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【超短編小説】 嘘日記

 最近、面白いことがない。日記を読み返してみると、毎日会社に行き、仕事をして、帰る…その繰り返しが記録されているだけだった。家族はおろか彼女も居ない28歳の一人暮らし。日記をつける意味があるのだろうかと、「2月17日」の空欄と睨めっこしている。
「嘘を書いてみたらどうだろう…」という考えがふと頭をよぎった。こんな意味のない繰り返しを記録するくらいだったら、嘘を書いた方がまだマシなのではないか?思いつくままに鉛筆を走らせてみた。

2月17日金曜日
 今日は、妻のみゆきの誕生日。たまには贅沢するのも悪くないと思い、美味しいフレンチレストランに足を運んだ。みゆきの笑顔を見るだけで、仕事の辛さが吹き飛ぶ。

 ここまで書いて消した。この世に存在しない妻とのデートを捏造し、日記に残すのは流石に気持ち悪過ぎる。てか、悲し過ぎる。消し跡の残る空欄をもう一度睨み付けた。

2月17日金曜日
 今日は、会社のプレゼンで賞を取った。嬉しかった。課長に昇進する日も近いかもしれない。

 ここまで書いて消した。当然のことだが、取ってない賞のことを記録しても、全然嬉しくない。てか、むしろ虚しい。課長に昇進できる日なんて来る気がしない。なんだか、情けない気持ちになってしまった…。もっとぶっ飛んだことを書いた方が良いのかもしれない。

2月17日金曜日
 突然眩い光に包まれた。空を見上げると、そこには円盤型の巨大な飛行物体があるではないか。「なんじゃこりゃぁぁあ!」俺は思わず叫んだ。

 ここまで書いて消した。理由は言うまでも無い。ぶっ飛び過ぎているからである。それこそ「なんじゃこりゃ」である。
 一度鉛筆を置き、「ふぅ…」と口から息を吐き出し、再び鉛筆を握った。

2月17日金曜日
 今日は、いつも通りの時間に起床し、いつも通り仕事をして、いつも通り帰宅した。風呂に入る前に、溜まっていた洗い物を片付けた。疲れた。

 昨日書いた文章と、ほとんど変わらない文章だった。でも、別に良いのだ。何気ない平穏な毎日の積み重ね。それだけで十分ではないか。等身大以上の幸せを無理に望む必要などない。

 その時、「ドンッ」という爆音が外から響いてきた。
「おい!迎撃準備だ!早くしろ!!」
上官が、テントに向かって叫ぶ。
銃声が轟き、誰かの悲鳴が聞こえて来る。

 わかっていた。この日記に記されている毎日の繰り返しの記録。それら全て「嘘」で作り上げたものだった。平穏な毎日の積み重ねなど、ここには存在しない。ここは、戦争の最前線だ。

 嘘で塗り固めているだけだとはわかっている。こんな日記に意味なんて無いとわかっている。わかってはいるが、平穏な日々を書き記すことをやめられなかった。なんの変哲もない一日を夢見ることをやめられなかった。願うことをやめられなかった。日記を書いている間だけは、命を失うことの恐怖から…大切な人を失った悲しみから…目の前の現実から…目を背けることができるような気がした。

 嘘日記をリュックの中に突っ込み、ポケットから妻の遺影が入ったペンダントを取り出す。
「みゆき…もうすぐ俺もそっちへ行くよ」
妻の笑顔を目に焼き付け、男は再び戦場へと向かった。

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