「昭和史(上)」を読む5 ー超複雑な1918年前後の政治体制ー【内閣は1機関に過ぎない】

 「序章 第一次世界大戦の衝撃」の続き。1918前後の日本の社会体制について。
枢密院
・天皇の諮問機関
・顧問官の多くは官僚や軍人出身の老人
・外交、特に条約の批准について天皇の諮問にこたえる権限があった
・ときの枢密院議長は山県有朋で、議員の大半はその息がかかり山県の意に沿わない提案はほぼ実現しなかった。

司法部
・疑獄の摘発で無視できない存在に
・司法部出身の政治家が勢力を強める

まとめるとこれら機関が天皇のもとに権限を持ち互いに牽制しあっていたというのがこの時代の社会体制だった。

内閣
首相の地位は低かった。隠尾はそれぞれの担当について天皇直属だった。首相は閣員中の第一人者という位置付け。全員一致でないと決定できなかった。→一人でも反対がいれば閣内不一致で総辞職。

元老
このような権限の分立を調整するのが憲法規定のない天皇の諮問を受けた元老だった。1920年には山県、松方、西園寺、大隈の四名が生きていた。山県が首席だった。高齢だが権力欲が強く頭脳明晰だった。文字通り内閣のしめいを制する力を持っていた。

明治憲法下の政治体制複雑すぎる、、。高校のとき日本史選択じゃなかったのでここまでは知らなかった。逆にこれを読んでいろいろな出来事に納得がいった部分がある。逆に明治時代の政治体制が好きな人は何が好きなんだろう、、。

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