『博士の愛した数式』を読んで
先日、小説『博士の愛した数式』を読み終えました。忙しい日々に優しい明かりを灯してくれるような温かいストーリー。80分しか記憶が持たない数学者と、その家で働く家政婦とその息子のやりとりが淡々と描かれています。かなり好きな作品でした。備忘録として感想を残します。
『博士の愛した数式』あらすじ
高校生の夏を思い出した
本作には、数式や記号が幾度も出てきます。素数や√(ルート)など学生時代に習った記憶があるものから、友愛数やオイラーの公式といった、聞いたこともない言葉や数式まで。
高校3年生の夏。当時の数学の先生が妙に怖くて、課題の答えを、授業前に友だちと教え合っていたことを思い出しました。作中で出てくる「” i ”は−1の平方根(iの二乗=−1)」も習ったな、とも。数学にまつわる記憶自体には大した意味はないですが、制服を着て、今はもう入ることのない教室で、じめっとした暑さに悶えながらも、友だちとワイワイ過ごした日を懐かしく思いました。
切ないところ多々だけど心温まるストーリー
読んでいる時も読み終わった時も、ほんのり温かい気持ちになれます。ただ、決して温かいだけじゃなく、切ない気持ちにもなります。けれどそれも含めて、本作の「温かさ」ざ生み出されているのだと思います。
例えば、直近80分しか記憶が持たない博士が、あとから見返すために「こういうことがあった」と分かるようメモに書いて背広に貼るところ。たびたび出てくるこの情景からは、博士の涙ぐましい努力と孤独、周りにいる人がどれだけ想像力を働かせても彼を理解しきれない苦しさが伝わってきます。
日々忙しくしている人にこそ見てほしい
読んでいるとき、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を観たときの感覚と似ていると思ったら、どちらも「子ども × 血縁関係のない老人」の ”友情のようなもの” を描いていました。『ニュー・シネマ・パラダイス』を好きな人は、きっと『博士の愛した数式』も好きになりそう。
『博士の愛した数式』は純文学に分類されるそうで、その対にくるものは大衆文学です。細かい説明を省くと、純文学は「芸術性」に重きが置かれているそう。以下は勝手な解釈ですが、作者が書きたいことを自由に書いているため、大衆文学のような「読者を楽しませよう」という意気込みが少ないように思いました。それゆえ、心情や人間関係の些細な変化が非常に丁寧に描かれていて、「綺麗な文章・物語」になっているのだと思います。
日常生活から適度にスリップできて、読むと温かい気持ちにさせてくれます。ほっと一息つきたいとき、手に取ってみてほしいです。
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