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アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどる『対談本をぜんぶ読む』前編

特別連載 アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどる
『対談本をぜんぶ読む』 佐藤哲朗
(パティパダー2018年4月号)

このたび、映画監督・想田和弘氏とスマナサーラ長老の対談『観察 「生きる」という謎を解く鍵』サンガが上梓されました。その記念として、二〇〇四年の『希望のしくみ』(養老孟司氏との共著)を皮切りにこれまで刊行されたスマナサーラ長老の対談本19タイトル(アンソロジーやムック含む)をすべて読み返してご紹介したいと思います。科学者、精神科医、僧侶、宗教学者、カトリックのシスター、小説家、漫画家、投資家、映画監督など、多彩な分野の方々と語り合ってきた長老の対話と伝道の軌跡を追体験していただければ幸いです。(前編)※後編では一部記載をアップデートしました。

①『希望のしくみ』 養老孟司

『希望のしくみ』宝島社、二〇〇四年十二月(二〇〇六年六月新書版、二〇一四年七月宝島SUGOI文庫) 主要目次:1お釈迦さまが教えたこと/2日本人と普遍性/3正しい生き方/4知恵のない世界/5「生きている」とは/6希望のしくみ/7共同体として生きる/8知恵と方法/9変われる人、変われない人/10「逆さメガネ」と「あべこべ思考」/11「やりたいこと」より「できること」/12仏教のこれから

スマナサーラ長老の出版歴のなかで最初の対談相手は、解剖学者の養老孟司氏(東大名誉教授、一九三七年~)でした。ある時、ひょっこり事務所に現れた宝島社の柳順一氏と長老をまじえたブレストで、養老氏の名前が出たところから、あれよという間に実現した対談(二〇〇四年一月)をまとめたのが『希望のしくみ』です。長老へのインタビューを追加したムック本の予定でしたが、紆余曲折あって対談のみの単行本となりました。結果的に、それが奏功したと思います。

養老氏はこの対談直後から、『真っ赤なウソ』『オバサンとサムライ』『運のつき』などの談話本や雑誌インタビューで「スリランカのお坊さん」との出会いについて何度も言及していました。特に「日本人は生きていない」という長老の言葉が印象深かったようです。対談といっても、当事者同士の丁々発止は少ないです。インタビュアーに向かって二人の賢者がそれぞれの立場でコメントする、その不思議な共鳴と意気投合ぶりが面白い本なのです。

発売されるや『バカの壁』で火がついた当時の「養老ブーム」の余慶もあり、雑誌書評等でも好意的に取り上げられました。ブログでも仏教とあまり縁がない一般読者による書評が毎日のようにアップされ、スマナサーラ長老の 読者層がそれまでの限界を超えて広がっていくのをジリジリと実感しました。そんな記念碑的な作品です。本書が縁となって、 二〇〇六年二月二十五日に養老氏 が監修するTBSテレビ『生命8億年スペシャル人間とは何だ!? V』に長老が出演しました。あとで触れますが、長老と養老氏はその後何度も対談しています。 発売されるや『バカの壁』で火がついた当時の「養老ブーム」の余慶もあり、雑誌書評等でも好意的に取り上げられました。ブログでも仏教とあまり縁がない一般読者による書評が毎日のようにアップされ、スマナサーラ長老の 読者層がそれまでの限界を超えて広がっていくのをジリジリと実感しました。そんな記念碑的な作品です。本書が縁となって、 二〇〇六年二月二十五日に養老氏 が監修するTBSテレビ『生命8億年スペシャル人間とは何だ!? V』に長老が出演しました。あとで触れますが、長老と養老氏はその後何度も対談しています。

②『仏弟子の世間話』 玄侑宗久

『なぜ、悩む! 幸せになるこころの仕組み』サンガ、二〇〇五年七月(増補版・改題『仏弟子の世間話』サンガ新書、二〇〇七年二月) 主要目次(仏弟子の世間話):はじめに――はだしの聖者(玄侑宗久)/1日本人の器/2空即是色は間違い?/3生命はみな対等/4もったいない!の勧め/5よく死ぬための生き方/おわりに――仏弟子の世間話(スマナサーラ)

小説家として芥川賞を受賞した臨済宗僧侶、玄侑宗久師(福聚寺住職、一九五六年~)との二回の対談をまとめた本です。『希望のしくみ』がヒットしたことに驚いたサンガの島影社長が、ではウチでも長老の対談本をと意気込んで玄侑師を口説き落とした企画です。発端は多少強引でしたが、テーラワーダ仏教と大乗仏教とりわけ禅仏教というお互いの立ち位置を踏まえて展開される仏教論はスリリングです。

『般若心経』の「空即是色」は間違いであると堂々と喝破する長老は、日本では八宗の祖と崇められる龍樹の「空」哲学にも容赦なくメスを入れます。宗派は違えども、僧侶としてははるかに先輩である長老の迫力に押されつつ、落ち着いた口調で禅仏教と日本文化のものの見方を提示しながら論点を浮き彫りにする玄侑師も素晴らしい。初期仏教と禅宗をつなぐ菩提達磨への評価、「山川草木悉皆成仏」という日本仏教を象徴する言葉への目からウロコの解釈など、全編に仏教の常識を揺るがす智慧の光が瞬いている好著です。長老が初期仏教のパパンチャ論を展開した途端、玄侑氏がすかさず白隠禅師の「すでに戯論を離れたり」を紹介するくだりなど、テーラワーダ仏教と禅宗はまことに兄弟のような関係なのだなと実感させられます。

単行本タイトルは『なぜ、悩む! 幸せになるこころの仕組み』でしたが、二〇〇七年二月に『仏弟子の 「世間話』と改題されてサンガ新書に入りました。新書化に際して、『般若心経』の「色即是空空即是色」をめぐる論争など随分加筆されています。その前年に玄侑師が『現代語訳 般若心経』ちくま新書を上梓されたことで、お互いの相違点への理解がより深まったのでしょう。玄侑師へのアンサーというわけではないですが、二〇〇七年八月にはスマナサーラ長老が『般若心経は間違い?』を世に問い、仏教界に衝撃を与えながら読まれ続けています。そんな知的相互作用を惹き起こした、こちらもやはり記念碑的な一冊だと思います。

③『ブッダの道の歩き方』 立松和平

『ブッダの道の歩き方』サンガ、二〇〇六年十一月 主要目次:はじめに――聖者の向こうのお釈迦さま(立松和平)/1無常に立ち向かう/2悲しみを乗り越える「第三の道」/3ブッダの真似をしてみよう/4すべての生命のために生きる/5世の中の道からブッダの道へ/6ブッダの言葉をめぐって/7スロ一宗教というアプローチ/8導かれて導く道/9ブッダその人へ/10人生のチャンスを逃さない/11生存の矛盾からの「解脱」/おわりに――ブッダの福音(スマナサーラ)

仏教をテーマにした作品を多数発表した小説家・立松和平氏(一九四七~二〇一〇)との対談集。仏教に傾倒する文学者と僧侶が、それぞれの現場で歩き続けた「ブッダの道」について親しく語り合っています。刊行された二〇〇六年の四月八日、赤坂プリンスホテルにスリランカ仏教シャム派管主ご一行を迎えて開催された戒壇認定レセプションで両者の公開対談が開かれたことが、後の出版の契機となりました。

立松氏は二〇〇四年のスマトラ沖地震に伴う津波で大きな被害を受けたスリランカを取材して、現地の人々と仏教寺院との強い絆に感銘を受けたそうです。立松氏と長老が話し合った時間は三日間で延べ十時間以上に及びました。編集過程でかなり割愛したものの、無駄な話はほとんどなかったと思います。立松氏はお母さまの介護をめぐる心の葛藤を素直に吐露し、それを受け止める長老と「生きる苦しみ」の諸相を語り合い、生存からの「解脱」にまで導かれてゆくという、お釈迦さまの時代の「経典」そのもののような美しい構成です。第十一章で語られる、知床の漁師たちのエピソードは私たちが日々誤魔化しつづけている「生存の矛盾」を突きつけられるようで圧巻です。

本書は現時点で唯一、対談者が鬼籍に入ったタイトルです。立松さんは東日本大震災の前年に亡くなりました。足尾銅山の鉱毒によって荒廃した山々への植樹に取り組んでいた彼が生きていたならば、3・11後の私たちにどんな言葉と行動を届けてくれただろうかと想像することもあります。編集者として、とても思い出深い一冊です。 本書は現時点で唯一、対談者が鬼籍に入ったタイトルです。立松さんは東日本大震災の前年に亡くなりました。足尾銅山の鉱毒によって荒廃した山々への植樹に取り組んでいた彼が生きていたならば、3・11後の私たちにどんな言葉と行動を届けてくれただろうかと想像することもあります。編集者として、とても思い出深い一冊です。

④『迷いと確信』 山折哲雄

『迷いと確信 大乗仏教からテーラワーダ仏教へ』サンガ、二〇〇七年六月 主要目次:はじめに(スマナサーラ)/1歩くことは学ぶこと――ブッダの出家をめぐって/2ガンディーとブッダ――貪欲に立ち向かう/3仏教カウンセリングの実践――妄想ループを断ち切れ/4価値へと至る放棄の道――ライフスタイルとしての仏教/5揺れ動く「日本の霊性(スピリチュアリティ)」――無常の仏教戦略/6ブッダの関係修復学――「確信の仏教」と「迷いの仏教」/おわりに(山折哲雄)

京都国際ホテルで二日間にわたって収録された、宗教学者・評論家の山折哲雄氏(国際日本文化研究センター元所長、一九三一年~)との対談をまとめた作品です。対談の現場では、お互いのブッダ観や釈尊の伝記に関する理解など、相違点が鮮明になる場面もしばしばでした。進行役としては知的興奮を味わいつつも、ハラハラさせられ通しだったのを憶えています。それだけに、出版に先立ち山折氏が曹洞宗大本山永平寺の寺報『傘松』(二〇〇七年五月号)に寄稿されたエッセイ《「博士」と「長老」との出会い》を読んだときの感動は深かったのです。一部を抜粋します。

「わが国の仏教的常識語の一つに「偏依善導」という言葉がある。法然の言葉である。自分は偏えに中国浄土教の祖師善導に依る、という言明である。(中略)これに比していえば、スマナサーラ長老の立場はさしずめ「偏依ブッダ」ということになる。だが、まことに不思議なことに、わが仏教界のならわしとして「偏依ブッダ」というようなことをいい切った人物はまずひとりもいないのではないだろうか。」(後述する『ブッダの贈り物』に再録)

本書最終章の一節《「確信の仏教」と「迷いの仏教」》でも、同じことが語られています。これまで日本人が親しんだ大乗仏教は要するに「迷いの仏教」であり、それに対して小乗として軽視されたテーラワーダは、ブッダの羅針盤に忠実な「確信の仏教」であったのではないか。そして時代は迷いの「大乗」から確信の「テーラワーダ」へと大きく動きつつあるのではないか。仏教史の流れを概観しながら、山折氏は大胆な展望を示すのです。かといって、その後の山折氏がテーラワーダ仏教に傾倒したという話は聞きませんが……。

スピリチュアル・ブームの落とし穴、明治百五十年の歪み、靖国神社問題、イスラム過激派のテロなど、対談から十年以上を経て深刻度が増すばかりの社会問題への処方箋も論じられています。対談本は鮮度が短いように捉えられがちですが、いまだに読まれるべき内容が詰まっていると思います。 スピリチュアル・ブームの落とし穴、明治百五十年の歪み、靖国神社問題、イスラム過激派のテロなど、対談から十年以上を経て深刻度が増すばかりの社会問題への処方箋も論じられています。対談本は鮮度が短いように捉えられがちですが、いまだに読まれるべき内容が詰まっていると思います。

⑤『いまここに生きる智慧』 鈴木秀子 

『いまここに生きる智慧 シスターが長老に聞きたかったこと』サンガ、二〇〇七年十一月 主要目次:はじめに(鈴木秀子)/1「いまここに生きる」という幸福/2子育ての幸福、夫婦の幸福/3子供たちの未来、私たちの未来/4生死に向き合うとき/5「慈しみ」という幸福/6妄想を乗り越える「気づき」のステップ/おわりに(スマナサーラ)

鈴木秀子氏(国際コミュニオン学会名誉会長、一九三二年~)はカトリック女子修道会「聖心会」のシスターです。『自分を変える気づきの瞑想法』の熱心な推薦者であり、スマナサーラ長老から実際にヴィパッサナー瞑想の指導も受けています。クリスチャンと仏教者という立場の違いはあれど、知識的な対話というより終始一貫して「実践」をテーマにしたやりとりがなされており、他の対談本とは一線を画しています。鈴木氏の真摯な傾聴姿勢が、長老から数々の含蓄のある智慧の言葉を引き出しているようです。

二日間の対談の多くの場面で鈴木氏は「聞き役」に徹していましたが、ご自身のカウンセラー・傾聴者としての豊富な経験から語られるケーススタディは興味深いものばかり。ひきこもり、いじめ、自殺、、幼児期のトラウマ、夫婦関係の危機、性格の不一致、子育ての悩み、教育の迷い、親しい人々との死別などなど、本書はカウンセリングのあり方を示す教材になるのではないかと思います。まさにお二人の共著と呼ぶに相応しい作品です。スマナサーラ長老の「おわりに」も、実は対談後に寄せられた鈴木氏からの質問への回答に充てられていて、無駄な社交辞令のほとんどない、中身のぎっしり詰まった本です。 二日間の対談の多くの場面で鈴木氏は「聞き役」に徹していましたが、ご自身のカウンセラー・傾聴者としての豊富な経験から語られるケーススタディは興味深いものばかり。ひきこもり、いじめ、自殺、、幼児期のトラウマ、夫婦関係の危機、性格の不一致、子育ての悩み、教育の迷い、親しい人々との死別などなど、本書はカウンセリングのあり方を示す教材になるのではないかと思います。まさにお二人の共著と呼ぶに相応しい作品です。スマナサーラ長老の「おわりに」も、実は対談後に寄せられた鈴木氏からの質問への回答に充てられていて、無駄な社交辞令のほとんどない、中身のぎっしり詰まった本です。

⑥『出家の覚悟』 南直哉 

『出家の覚悟――日本を救う仏教からのアプローチ』サンガ、二〇〇九年五月(サンガ選書、二〇一一年二月) 主要目次:対談にあたって――上座部仏教への憧れと、私にとっての出家(南直哉)/1出家するということ/2日本仏教の現在/3悟るということ、知るということ/4根底から揺らぐ現代日本社会/5生と死、命の問題をめぐって/6自己と他者/7仏教の果たしうる役割/対談を終えて――仏教の次のステップ(スマナサーラ)

『老師と少年』『なぜこんなに生きにくいのか』(新潮社)『善の根拠』(講談社)など数多くの著作でも知られる禅僧、南直哉師(曹洞宗霊泉寺住職、一九五八年~)との二日間の対談を収録した作品です。自己の実存にこだわって論を進める南師と、釈尊の厳然たる真理に立脚する長老との対話は必ずしもかみ合ったやりとりばかりとは言えないのですが、その擦れ違いがまた、本書を引出し豊かな作品にしています。随所で、読者の心に突き刺さるような強烈な化学反応を読み取れるでしょう。

日本仏教の制度疲労について赤裸々に語られる第二章、南師が自らの禅境を長老にぶつけながら「悟り」の実相に迫っていく第三章、そしてスマナサーラ長老の鋭い文明批評が聴ける第四章などはもっとも対話が盛り上がっている箇所でしょう。同じく禅僧である玄侑宗久師(臨済宗)との対談『仏弟子の世間話』と読み比べるのも楽しいと思います。 日本仏教の制度疲労について赤裸々に語られる第二章、南師が自らの禅境を長老にぶつけながら「悟り」の実相に迫っていく第三章、そしてスマナサーラ長老の鋭い文明批評が聴ける第四章などはもっとも対話が盛り上がっている箇所でしょう。同じく禅僧である玄侑宗久師(臨済宗)との対談『仏弟子の世間話』と読み比べるのも楽しいと思います。

⑦『働かざるもの、飢えるべからず。』 小飼弾

『働かざるもの、飢えるべからず。 ベーシック・インカムと社会相続で作り出す「痛くない社会」』サンガ、二〇〇九年十一月 主要目次(第2部 理想の社会をめぐって):全人類が悟るとき/だれもが幸福を勘違いしている/資本主義の未来/お金の本質/ブッダと悟り/プロフェッショナルの思考法/学ぶ力と育てる力/宗教と経済的発展/システムとコンポーネント/知識と神/社会から見た仏教の本質、人間の本質/真理の特性をあえて言うなら/ベーシック・インカムとベーシック・ニーズ/人間は成長しなくてはいけない/理想の政治、理想の国家/エピローグ

本書は、プログラマー・投資家・ブロガーの小飼弾氏(株式会社ディーエイエヌ代表取締役、一九六九年~)が、ベーシック・インカム(BI)――政府が全国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされる額の現金を定期的に支給する制度――による社会システムの転換を訴えた著作です。その第二部がまるまる、長老との対談「理想の社会をめぐって」に充てられているのです。

小飼氏は長老の『仏教は心の科学』『般若心経は間違い?』を自身のブログ「404 Blog Not Found」で取り上げたこともあり、後に行われた本書の刊行記念イベントでは、「スマナサーラ長老との対談をすることが、実は本書を書くにあたっての報酬だったんですよ」と語ったほど。初期仏教の社会保障政策論について長老のまとまった考え方を知ることができます。二人の意気投合ぶりはすごくて、対談のおわりに長老が「こんなにものの見事に同じ考え方の人に会ったことがないですね。(小飼さんは)まるまる仏教的思考なのですね。」と感嘆しています。理系のしかも実業寄りの識者のほうが意気投合しやすいというのは、現代日本で初期仏教がどのように受容されているかを考えるうえで参考になりますね。

二〇一一年に同書がサンガ新書に入った際には長老との対談は割愛されたので、読みたい方は必ず単行本を入手してください。二〇一一年に同書がサンガ新書に入った際には長老との対談は割愛されたので、読みたい方は必ず単行本を入手してください。

⑧『仏教と脳科学』 有田秀穂 

『仏教と脳科学――うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで』サンガ、二〇一〇年三月(二〇一二年七月、サンガ新書) 主要目次:はじめに(有田秀穂)/1お釈迦さまが気づいていた世界/2お釈迦さまの日常生活/3コミュニケーションと共感脳/4現代人の問題/5生きることへの科学の目、仏教の目/6瞑想と脳の機能/おわりに(スマナサーラ)

セロトニン神経に関する研究で知られる脳生理学者の有田秀穂氏(東邦大学医学部名誉教授、一九四八年~)との対談。有田先生の方は板橋興宗師や玄侑宗久師、井上ウィマラ氏とも対談本を出しており、禅の修行を脳科学の見地から意欲的に研究されています。二日間の対談は終始和やかな雰囲気で進んだのですが、脳内神経と悟りに関する有田先生の仮説をスマナサーラ長老があっさり否定する箇所もあったりして、「脳科学の知見と仏教の教えは一致しますね、よかったよかった」という予定調和には収まらない、硬派で意義深い対話となったと思います。

瞑想と脳機能の問題については、対談で語り尽せなかった問題点をスマナサーラ長老が別原稿のトピックス(1科学者と仏教者の使用する方法の違い、2ブッダが達した究極の解脱、3複雑多岐なる瞑想の世界)を書き下ろしており、読者の理解を手助けしてくれます。いわゆるマインドフルネス・ブーム以前の出版ですが、そこではまだ論じられていない地点まで射程に入ったエッセイなので、必読です。また本書は、昨年十一月に急逝された小沼栄子さんとのご縁による企画であり、巻頭と巻末に、著者二人による故人への追悼の言葉が記されています。「おわりに」から長老の言葉を引きます。

「小沼さんはヴィパッサナー瞑想を真剣に実践して経験した方です。世間に対する執著、自分の命に対する愛着など、一般人にある問題を乗り越えて、清らかな無執着の心に達することができた方なのです。癌に冒されて、みるみるうちに病気が悪化して、あっという間に亡くなられたのですが、生前に最後に病院でお会いしたときの小沼さんの安定した無執着の心境は驚きでした。彼女は人間が達するべき目的に達して最期を迎えたのです。」
「小沼さんはヴィパッサナー瞑想を真剣に実践して経験した方です。世間に対する執著、自分の命に対する愛着など、一般人にある問題を乗り越えて、清らかな無執着の心に達することができた方なのです。癌に冒されて、みるみるうちに病気が悪化して、あっという間に亡くなられたのですが、生前に最後に病院でお会いしたときの小沼さんの安定した無執着の心境は驚きでした。彼女は人間が達するべき目的に達して最期を迎えたのです。」

⑨『幻想を超えて』 夢枕獏 

『幻想を超えて』サンガ、二〇一〇年六月 主要目次:1仏教とエロス/2天才ブッダ/3無常と空/4生命の葛藤/5心・生命・物質/6悟りへの挑戦/7「私」をめぐる謎/8ブッダの姿/あとがき(夢枕獏、スマナサーラ)

作家・エッセイスト・写真家の夢枕獏氏(一九五一年~)との対談です。最近は、小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』が日中合作で映画化された(空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎)ことでも話題ですね。

「私はきょう、「ミリンダ王の問い」になぞらえて、私がミリンダ王で、長老にナーガセーナ尊者の役をやっていただいて、ひとつ、胸をかりる気持ちでいろいろ仏教について質問させてもらおうと思ってきました。」このような夢枕氏の謙虚で素直な姿勢にも助けられて、一冊を通して、初期仏教のバックグラウンドから生命観、修行論までを見通せる好著に仕上がっています。第一部「仏教とエロス」ではお互いの自己紹介から、世界宗教としての仏教の特色を明らかにし、第二部「天才ブッダ」では仏教誕生の背景となった古代インドの社会・思想状況を振り返ることで、ブッダの卓越性がクローズアップされます。第三部「自爆する般若心経」では夢枕氏もずっと親しんできた『般若心経』の欠陥を喝破し、第四部「生命の葛藤」では釣りを趣味とする夢枕氏に、長老が仏教の生命観の基礎である平等と慈しみを静かに説くシーンが印象的です。第五部「心・物質・生命」は、心とは何か?という仏教の核心をレクチャー。第六部「悟りへの挑戦」は悟りと言語表現の問題、悟りの階梯を扱います。第七部「「私」をめぐる謎」は前章を引き継いでの「無我」についての説法。第八部「ブッダの姿」で、仏教における出家の意味が語られたところで、二〇一〇年代日本版『ミリンダ王の問い』は幕を閉じます。

夢枕獏氏といえば仏教への造詣も深いですが、基本は「エロスとバイオレンスとオカルトの作家」であり、本書のなかでも彼は自身の俗っぽさを隠しません。快楽主義的なモットーや、釣りが趣味であることもあっけらかんと語ります。しかし、居直りや無関心、あるいは萎縮という態度とは対極の、あくなき素直な好奇心でもって長老に質問を投げかけ続けるのです。再読しながら、人間のキャラというのは多彩で面白いものだなと思いました。「ミリンダ王の問い」と言うよりは、相応部経典(有偈篇コーサラ相応)に登場するパセーナディ王を髣髴とさせる気もしました。読後感爽やかな楽しい本です。 夢枕獏氏といえば仏教への造詣も深いですが、基本は「エロスとバイオレンスとオカルトの作家」であり、本書のなかでも彼は自身の俗っぽさを隠しません。快楽主義的なモットーや、釣りが趣味であることもあっけらかんと語ります。しかし、居直りや無関心、あるいは萎縮という態度とは対極の、あくなき素直な好奇心でもって長老に質問を投げかけ続けるのです。再読しながら、人間のキャラというのは多彩で面白いものだなと思いました。「ミリンダ王の問い」と言うよりは、相応部経典(有偈篇コーサラ相応)に登場するパセーナディ王を髣髴とさせる気もしました。読後感爽やかな楽しい本です。

⑩『生きる勉強』⑪『マインドフルネス最前線』 香山リカ 

『生きる勉強 軽くして生きるため、上座仏教長老と精神科医が語り合う』サンガ、二〇一〇年十一月 主要目次:1仏教と医療は合流する/2仏教を学ぶ/3宗教の役割/4医療と仏教の共同作業/あとがき(スマナサーラ)

『生きる勉強』は精神科医の香山リカ氏(立教大学教授、一九六〇年~)との二日間の対談を収録した作品です。出版された二〇一〇年当時は、まだマインドフルネス・ブームが起こる前だったので、精神医療の現場と仏教のあいだは現在よりもよそよそしいものがあったと思います。お互いの専門分野についてというよりは、日本社会の諸問題についてコメントする「世間話」のセクションが盛り上がります。長老と香山氏が「ナショナリズムは病気、治療が必要」という見解で一致するくだりは興味深いです。長老の宗教批判に、ミッション系大学に勤務する香山氏が引き気味になっている箇所もあります。 『生きる勉強』は精神科医の香山リカ氏(立教大学教授、一九六〇年~)との二日間の対談を収録した作品です。出版された二〇一〇年当時は、まだマインドフルネス・ブームが起こる前だったので、精神医療の現場と仏教のあいだは現在よりもよそよそしいものがあったと思います。お互いの専門分野についてというよりは、日本社会の諸問題についてコメントする「世間話」のセクションが盛り上がります。長老と香山氏が「ナショナリズムは病気、治療が必要」という見解で一致するくだりは興味深いです。長老の宗教批判に、ミッション系大学に勤務する香山氏が引き気味になっている箇所もあります。

『マインドフルネス最前線 瞑想する哲学者、仏教僧、宗教人類学者、医師を訪ねて探る、マインドフルネスとは何か?』サンガ新書、二〇一五年十月 第二章にスマナサーラ長老との対談「マインドフルネスブームと仏教の方法 仏教の伝統が現代に与えたインパクト――マインドフルネスは仏教瞑想を盗んだのか?」を収録

この対談から五年後、『サンガジャパン』20号(二〇一五年春号)に長老と精神科医・香山リカ先生との対談「瞑想ってなんだろう?」が掲載されました。哲学者・永井均氏がヴィパッサナー瞑想を実践していると知ってから、瞑想に強い興味を抱き、自らも実践するようになった香山氏。長老の言葉への食いつきかたは見違えるほどで『生きる勉強』のアップデート版とも言える内容です。精神医療の臨床現場とマインドフルネス、科学界のトレンドに仏教が乗ることの危険性、脳科学から解明する自我(self)の正体、マインドフルネスとヴィパッサナーの違い、瞑想を成功させる心構えなど、浮薄な瞑想ブームとは一線を画した密度の濃いやりとりが展開されています。この対談は香山氏の単行本『マインドフルネス最前線』に収録されました。 この対談から五年後、『サンガジャパン』20号(二〇一五年春号)に長老と精神科医・香山リカ先生との対談「瞑想ってなんだろう?」が掲載されました。哲学者・永井均氏がヴィパッサナー瞑想を実践していると知ってから、瞑想に強い興味を抱き、自らも実践するようになった香山氏。長老の言葉への食いつきかたは見違えるほどで『生きる勉強』のアップデート版とも言える内容です。精神医療の臨床現場とマインドフルネス、科学界のトレンドに仏教が乗ることの危険性、脳科学から解明する自我(self)の正体、マインドフルネスとヴィパッサナーの違い、瞑想を成功させる心構えなど、浮薄な瞑想ブームとは一線を画した密度の濃いやりとりが展開されています。この対談は香山氏の単行本『マインドフルネス最前線』に収録されました。

後編へ続く

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