【備忘録 2,673 文字】
ミシマ社の本、やさしい装丁(尾原史和さん)。
昨年12月、料理研究家 土井善晴さんの『味付けはせんでええんです』という文明論を読んだ。「料理という行為が、自然と人間をつなぐ。」
『くらしのアナキズム』は、この料理文明論とも、つながっている。
また、日本政治で孤軍奮闘されている「れいわ新撰組」ともつながっている。ということは、虐げられている多数の日本人とも、世界の「国民国家」の下で生きる人達につながっている。
著者は、1975年(ロスジェネ)熊本生まれの、文化人類学者。
様々なものを吸収されているが、主として、アメリカの人類学者 デヴィッド・グレーバー(故人)、ジェームズ・C・スコットらの言説を骨として
この本を書かれている。
今まで人類のゴールを考えてみて。支配欲の強すぎる権力層によって、人びとの多様性がなくなり、全体主義化していくなら、人類に未来は無いし、他の生物にとっても、人類は早々に滅びた方が良いかもしれない、と考えたりもする。
でも、人間のつくる「組織」が経年劣化していくと考えた場合、現代の国民国家は、その劣化状態にあり、最悪の状態だと考えてみる。
「国」という概念が存在しなかった状態はどうであったか。
戦争状態にあったか。
「未開社会」と言われてきた「組織」が、ほんとうは「国」という支配装置が発生しないような抑制技術を持つ「公平な社会」だったとしたら、
そこへの回帰を考えたい。
国民国家を経由した以上、直線的な回帰は出来ないだろう。
まずは、国という存在を疑うこと。ホッブスら過去の知識人が言っていたことも疑わしいこと。日々暮らしていくことこそ、政治であること。また、経済であること。国を道具として使いたい。最終的には、国という制度をなくしたい。アナキズムは、人びとがよりよく生きるための知恵だろう。
著者の前作『うしろめたさの人類学』を読んだ当初は、受ける感銘があったはずだったが、記憶は薄れてしまった。今回、「れいわ新撰組」の動画を観てから、読んだこともあり、心地良く吸収出来た。
著者が影響を受けた人類学者の「アナキズム論」も読んでみたい。
三日前、傘籤さん(note)が、グレーバーの最後の本『万物の黎明』(デビッド・ウェングローブとの共著)を取り上げられていた。いいね!