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納豆軍艦食べたら、初海外を思い出して、懐かしかった木曜日

人生で初めて、飛行機に乗って
日本を飛び出して、
向かったのはタイ!!!!!!!!!!

空港に降り立った瞬間の、
あのなんとも言えない、モワッとした空気と
言葉では言い表せない、タイの香り。

これが海外か〜!!!!と染み染み。

海外に行く前に、
ゼミの先生に、「お金をねだる人が
至る所にいるが、お金をあげちゃダメだ」と
言われていた。

空港を出て、街に向かった。

日本では考えられないほどの
交通ルールがなさそうなくらいの
車の渋滞さ。
トゥクトゥクが至る所を走っていて、

車を気にせず道路を渡る人々。

朝市?ってほど、道路脇には
食べ物屋さんや、フルーツを売ってる人や

どれもこれも見たことない景色ばっかりだった。

そして、ボロボロの服を着て
靴も履いてない子供が
私たち日本人をじっと見つめて
両手を差し出した。

これが、先生が言っていたやつか。
と思いつつも、
小銭くらいならと手渡そうとして
反対側を見ると、

両足がない年老いた女性が
路上に座って
物乞いをしていた。

その先にも、路上に座り込んでる人が
見える。

なんとも言えない複雑な気持ちだった。

あの子にあげたら、
あのお婆さんにもあげなきゃいけない。

でもそれを見ていた、向こう側の人は
自分だけ貰えなかったら
どう思うかな。と、
考えた。

勘違いした優しさに、
悲しくなった瞬間だった。

私って、何もできないんだなって感じたのと、
世の中には自分が知らない世界ばかりで、
自分が想像してたキラキラした海外の
イメージとのギャップで、
心に何かが突き刺さった経験だった気がする。


いかに、私は幸せな環境の中で
暮らしていたのか、

自分が思うほど、
自分が誰かに出来ることってないのかも。

自分が思うほど、
困ってる人に手を差し伸べるって、
簡単に口にできるほどの
ことじゃないというか、

お金がありふれるくらいある
お金持ちだったら、
物乞いしている人たちみんなに
お金を渡せたかもしれない。

けど、予算10,000円で旅をしている
貧乏学生がそんなこともできない。

気持ちだけでは、
できないことも多いということを
知った経験だった。

たまたま日本人に生まれた私。
義務教育も受けられて、
親と奨学金という制度の
お世話になって大学にも通えた。

仕事もそれなりに就職ができて、

ご飯も3食しっかり食べられる。
おやつだって食べれたし、
大人になった今は、華金も楽しめる。

服も7日間違うものが着れるほどある。
靴も穴が開きそうになったら
新しいのを買って履くことができる。

車もあって、自由に色々なところにいける。

恋愛もそれなりに経験できて、
エステに行ったり自分にお金を費やしたりも
できる。

お金を出せば、勉強したいこともできる。

私の家はお金持ちでもないし、
両親共働きで、
普通のよくある家庭で育った。
それでも、何不自由なく、幸せすぎるくらいの
28年間を過ごしてきた。

多分、大学2年生の時、
タイに行ってなかったら
今こんな、当たり前のような生活が
どれだけ幸せなのかに気づけていないと思う。

タイのスラム街にホームステイをした時、
スラムに暮らすって大変なんだろうなって
可愛そうだなって勝手に想像して行ったけど、

子供達はキラキラな顔をして
スラムの中を走り回っていた。

幸せの物差しはそれぞれで、
今ある環境の中で、
幸せにも不幸せにもなり得ると感じた。

困っている人を助けたい、
手を差し伸べたいって思って
大学に入って、就職して、今に至るけど

私が、困っているだろうから手を差し伸べたいと
思っても、相手が困っていると感じていなければ
私は、ただのお節介になる。

何かを与える側と、与えられる側が
共通のことを考えられた時に、
初めて成立するというか、
需要と供給というか、

今の私には言葉でうまく語れないけど、

とりあえず、簡単なようで難しい。

まだまだ勉強が必要だな。

今日は、本当に、ついてない1日で
朝の始まりも微妙だったけど
泣きたくなるくらいの日だった。

納豆巻きを食べたら元気になった。
幸せってこういうことだと、思った。

高級な料理を食べることが幸せではない。
100円の納豆軍艦も
疲れた体には沁みすぎた。
幸せは、身近にあるのかもしれない。

気持ちがブレブレだから、
まとまらない日記です。以上!

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