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ランチ・コミュニケーションで気前良く

 私が社会人になった頃は、バブル絶頂の頃で、職場の先輩方から、よく食事などをごちそうしてもらっていました。

 経費でのごちそうもあったとは思いますが、自腹での支払いも結構あったんじゃないかなと感じています。

 いろいろと読書をするにつれ、「あまりケチすぎると人心を失う」ということが、理解されてきており、個人的に「ケチな人って、長い目で見ると、損しているよなぁ。何だか、あんまり好きじゃないなぁ~。」と感じています(だいぶ婉曲的な言い回しに努めています。本当は、かなり“キライ”です。)。

 漫才業界やプロのスポーツ業界などにおいては、先輩が後輩の食事代を出すことは、極々当たり前のこととされているそうで、そういうことができない人は、全く“出世”しない(できない)んだそうです。
 ※そのような業界では、若手の人は、先輩達より、文字どおり、貧乏であることが影響しているのかもしれません。

 最近は、先輩といえども、豊かとばかりは言えないとは思うのですが、若手の人より、先輩達は、ちょっとはリッチだと思うので、面目を保つためにも、少々、ごちそうする機会があってもいいと、個人的には感じています。

 コロナ禍以後、職場内コミュニケーションの機会が減ったと言われていますが、それでも、コロナ真っ最中に比較すると、現実面での在宅勤務の回数も減り、職場に出てきている人は増えました。

 私は、得意不得意の面はあるとは思いますが、コミュニケーションの機会を持つことは大切だと感じているクチです。

 コミュニケーションの機会として、最も親近感を持って受け入れられるのが、食事の機会だろうと思っています。

 私は、日頃は、家から弁当を持って出勤しているのですが、前日までに機会を作っては、いろいろな人とランチに出かけています。

 同じくらいの年齢の人とは、割り勘としますが(それでも、端数は持つようにしています。)、若い人との食事会については、-相手も働いているプライドを保たせるように-千円ほどは出してもらい、残りを自分が出すようにしています。

 かつては、全部、こちらが持つことをしていたこともあったんですが、そういうことを毎回していると、逆にそれが当たり前になってしまい、感謝がなくなることに気付き、敢えて千円ほどは出してもらい、残額を払うように切り替えました。

 不思議なんですが、こちらの方が、相手もごちそうされてばかりの“負い目”がなくなり、却って、感謝されるようですよ。

 また、私だって、財布の中身には限りがありますから、サステイナブルな(持続可能な)ランチの機会を提供するためには、そっちの方が、回数面を増やすのに寄与する分、いいような気がするのですね。
 ※単なる金銭面のケチではありませんよ(笑)。悪しからず。

 と言って、身の丈以上にごちそうするのは、あまり利口なこととは言えませんから、要はバランスですよ。

 ただ、不思議なことで、若い頃から、自分より若い人にごちそうしたりしてきましたが、それにより、自分が貧しくなったという経験はありません。

 むしろ、巡り巡って、いわゆる「たらいの法則」ではないですが、逆に豊かになるような気がするのは、あながち外れていないのではないでしょうか。
 ※たらいの法則…経営の神様と呼ばれた松下幸之助が伝えた「与えれば回り回って返って来るし、自分だけが得をしようとすると逆に損をする」という法則。たらいの水の流れ方に例えたもの。

 かくして、月に何回かですが、若い人などとランチの機会を設けて、軽~くごちそうしていますが、結構いいもんですよ(^^)/。

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