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「知識は誰にも奪われない」勉強の勧め

 私は、学歴のことをずいぶん指摘されるのですが、東京大学卒業の方ならわかっていただけると思いますが、東大卒のことを自ら自慢する方がいたら、相当未熟な人であり、また、ずっと言われ続けているので、正直なところ、話の中では、自分から言い出すことはまずないという人が多いだろうと思います。
 ※note上は、人物紹介の一環として記載しています。

 で、話はここからなんですが、学歴は言っちゃあなんですが、スゴい昔のことなんですから、その時点の性能が保たれているかどうかとは、別物なんですね。

 わかりやすいところを言うと、学生時代、ものすごいスポーツマンだった人が、社会人になって、多忙のあまり、運動をしなくなって、20年も経てば、おそらく、単なる中年太りのおじさんになるでしょう。

 学歴も似たようなところがあり、かつて優秀だった人も、社会人になって、多忙のあまり、勉強をしなくなって、20年も経てば、おそらく、普通の出来のおじさんになってしまうでしょう。

 ところがですよ。かつてのスポーツマンには、社会人になっても、運動習慣のある人が多いのは事実ですし、若い頃に勉強習慣を身に付けた人には、社会人になっても、その勉強習慣がそのまま継続する人が多いのも、これまた事実なんです。

 つまり、何が言いたいかというと、「運動でも、勉強でも、社会人以後も継続しないと、デブ一直線か、パー一直線になってしまうよ、ただし、若い頃の良い習慣は取り戻しやすいですよ。」ということなんです。
 ※言い方はキツいかもしれませんが、そのとおりの人がいるのは事実です(失礼!!)。

 で、逆の言い方をすると、若い頃、運動習慣や勉強習慣があまりなかった人でも、社会人になってから奮起すれば、良い習慣を失ってしまった、デブ一直線・パー一直線の人に充分に勝てるということなんです。

人間は、簡単に言うと、「身体と精神」でできていますから、運動習慣は身体を鍛え、勉強習慣は精神を鍛えます。
 ※加えると、身体には食べ物も大事です。

 ですので、その二つの習慣は、人間を良くしていく行為そのものですから、年を取ったから遅いではなくて、ちょっとした一歩でも前に進んだ方がいいのです。

 ちなみに、英語で、“To be late is not too late.”(遅れても決して遅すぎることはない。)って言いますが、本当にそのとおりですよね。

 このところで、業務上、研修関連の部署に戻って来て、研修の受講機会がかなり増えました。

 私は、かつて、長いこと研修部門にいたので、ある意味、古巣なのですが、改めて思うのは、この研修受講の機会をおろそかにしてはもったいないということです。

 私たちの上の方が、研修受講を奨励する方で、私も本当にそう思うので、受講の機会ごとに、熱心に聞いて、きちんとメモも取っていますが、各種研修では、本当にいいことを言っているのです(^^)/。

 周りは、何となく受け流しているように見えるので、ちょっともったいないなぁと思ったりするのですね(>_<)。

 こういった経緯もあり、直近で通信講座も2つやりました。人事部門による経費助成もあるので、ある意味、やったもん勝ちです。
 ※今朝、最終提出物を提出しました。

 なぜかと言うと、ユダヤ人の教えにもあるように、「知識は誰にも奪われない」からです。例え、財産は奪えても、頭の中の知識までは奪えない…。ちなみに、今、イスラエルでは激しいことになっていますが、一方で、こういう良い教えも言っているのですね。

勉強することをカッコ悪いみたいに思っている人がいるのは残念なことです。私に言わせれば、勉強しないのは本当に損している、もったいないことです。勉強しようぜ☆彡。

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