ならば、私も。

数日前、noteの文藝春秋digitalで、光浦靖子さんのコラムを読んだ。

「留学の話」

久々に、共感できる、励ましてくれる文章に会えた気がした。


内容がというよりも、光浦さんの49歳の女性としての心の揺れ動き、正直さ、しなやかさに、年齢は私のほうが年下ではあるが、同じ女性として、いや、同じ独身女性として、光浦さんに惹かれてしまったのだ。


私も光浦さんのように生きていけたら。

強くそう思った。


何を隠そう、私も短大の英語科を卒業したのに、英語が話せないことがコンプレックスで、ワーキングホリデーに行った人間なのだ。

結局、海外に行っても、英語はペラペラにはならなかったが、ホテルでバイトしたり、旅をしたりして、自分探しをした時間は、決して無駄ではなかったと思っている。


今となっては、自分探しの旅で、自分が見つかるなんてことはなくて、気付いたり、変えたり、葛藤しただけだったのだと言えるのだが。

とはいえ、貧乏生活の中、ボロボロのシェアハウスに住み、魚が高いので、ツナ缶ばかり食べていたり、図書館に行くときは手作りサンドイッチを持参していったりと、かなり金銭的に厳しい生活をしていたので、今の私には堪えられそうにない。

とにかく、ボロボロのシェアハウスで、ルームシェアをして、夜な夜なインド人のつくる本格的カレーの匂いに苛まれ、毎週末行われる陽気なシェアメイトが連れてくる陽気な方々のパーティーの陽気な声に苛まれ、シャワーを長時間使う人のせいで、あとから入る人が真冬に冷たい水でシャワーする羽目になったり、最後の一枚の食パンが盗まれたり、ハチャメチャなシェアハウス生活だったのだ。


と、変に忍耐強くなった私は、帰国後それなりに、紆余曲折あり、今になってバイトを掛け持ちしながら、通信制大学に通っている。

パソコンの画面に線が入ってしまい、買い換えなきゃと考えつつも、毎月レポート作成に追われている。



ちなみに、私が大学に編入したのは、勉強したかったのもあるが、短大卒がコンプレックスだったからである。



光浦さんのコラムの感想のつもりが、すっかり自分語りになってしまった。

きっと、光浦さんの素直な文章、考え方、生き方が親近感と共に私の心をやさしく揺れ動かして、開いてくれたからだろう。


私も、光浦さんのように、自分に素直に生きていきたい。



諦めざるを得ないことは、バットを振り切って

それ以外のやりたいことに真っ向勝負でぶつかっていく。

どちらもホームランだったら、どんなに気持ち良いだろう。


私にとって、光浦さんの留学は、ホームラン予告の付き出したバットなのだ。

ひとごとなのに、ワクワクする。


そして、会心の一打。


笑顔で歓声に応えながら、ホームベースを踏む光浦さん。


私は、それを見守り、外野席からスタンディングオベーションをする。


想像するだけで、なんだか嬉しいし、すごく楽しい。



光浦さんが光浦さんらしく生きようとするように

私も私らしく生きたいと思う。



そう思わせてくれる光浦さんが、留学後に何を語ってくれるのだろうか?


すごく楽しみである。


PS.その前に、光浦さんに人生について相談したいものです。
















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