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その5 ごく個人的な偶然に満ちた「哀れなるものたち」の読書メモとイングランド&スコットランド旅行記 (グラスゴー、原点へ還る、しぶとい女が最後に勝つ)

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■7日目、スカイ島を出発し、グラスゴーへ。
スカイ島と本島をつなぐ橋のたもとにEilean Donan castleというとても素敵なお城がある。スカイ島に向かって橋を渡るとき、このお城が突然でてきて、車を運転している夫に「あっ見てっすごいお城っ!」などと騒いでる間に、ふたりとも見逃したので帰りにしっかり立ち寄る。

その後は、グラスゴーまでの間にGlencoe Valley driveという迫りくる峡谷の中を通るまたしても絶景のドライブ。


このEilean Donan castleやGlencoe driveは007の「Sky Fall」などにも使われているとのこと。スコットランドに行く前に二人で復習で見直しまでしたのに覚えてない。(イアン・フレミングの原作によると、ジェームズ・ボンドはスコットランド人の父とスイス人の母を持つハーフという設定。イアン・フレミングもスコットランド貴族の血を引いているそう。ここにもスコットランド自慢おじ作家列伝・・・。)

さようならハイランド。素晴らしい景色とウィスキーと生牡蠣をありがとう。ハイランドアクセントの英語はまじで聞き取れなかったよ・・・・

□「哀れなるものたち」も終盤へ。
この小説は、一旦ベラの夫であったアーチボルトの手記が全体の78%のところで「完」となってからが激しい展開になる。



そもそも本全体13%(終盤の87-100%)が、全部アラスター・グレイ本人による「批評的歴史的な注」(全部で34項もある)になっている。が、もちろんトリックを使いまくるアラスター、読者の理解を助ける注釈ではない。本文を読んでいる最中で連れて行かれたそのさきの注釈を読みふけってるうちに、待って私何読んでたんだっけ?の行ったり来たりを余儀なくされ、その反復横跳びに着いていけたものだけが読了できる。アラスター・グレイがニヤニヤしながら「みんな着いて来てるぅ~?」と気にするふりして全く気にせず爆走する、本好きへの挑戦状的な一冊なのである。

読み終わっても一ヶ月以上もたつのに、そして頼まれてもないのに、つい何度も開いては、まだ反復横跳びを続けて「あ~もしかして!」とか私が発見を続けているのだから、おいアラスター、お前のおかげで読書の体幹が強くなった気がするよ。

◻︎このアーチボルトの手記と、アラスター・グレイの注釈に挟まれた78ー87%のページに書かれた「1974年に存命中の孫、または曾孫へ」というベラ(ヴィクトリア)の書簡のパート。ここに何が書かれているかだけは、書かないでおく。衝撃。いまさらネタバレ警報発令。
マジで、読んでたホテルのベッドの上で「はああああ!?」と声が出た。

□序文で、本書をまとめる役を依頼された「編集者」アラスター・グレイがメタ登場している。そのメタ・アラスターが書いた序文には。

”ヴィクトリア”・マッキャンドルスと名乗る女性の書簡は、本書のエピローグとして収録することにした。マイケルは序文にしたいという意見だったが、本文と接する前に読んでしまうと、本部について読者に偏見を抱かせることになるだろう。本文終了後に読めば、それが自分の人生の出発点についての真相を隠そうとする精神障害の女性の書いた手紙であることは容易に見て取れる。付言するなら、どんな書物も序文を2つは必要としないのであり、わたしがこの序文を書いているのである。

序文から伏線回収までが長いわ!!
しかも読み終わっても真相は藪の中ときた!

■旅は続く。
大きな街に到着、むかし社会科の授業で習った工業地帯グラスゴー。アラスターグレイはグラスゴーを愛したのに、やったらイングランドのマンチェスターの人たちを嫌なやつとして描写してるのはおなじ工業都市としてのライバル視なのかしら。それともなんか因縁があるのか。

メインストリートの
Buchanan st. 


この日のホテル(オレンジ色の建物)はLeonardo Royal Hotel Glasgow。たんにレンタカーあるからパーキングが近くにあるところがいいやと思ってて予約して、チェックインしてから気がついた。
この川、ベラが自殺して引き上げられたクライド川だ・・・。ふたたび、ぎょっとする。

こんなに何度も
ぎょっとする旅も少ない

■もはや、私以外みなさんお忘れかと思うけど、その1で書いたようにこの旅には、わたしのアメリカ人の夫が60歳になる記念に、スコットランドからアメリカに移民してきた彼のおじいさんの住んでいた家、自分のルーツをたずねるという目的があった。手がかりはおじいさんがアメリカ移民として登録されたときの手書きの移民記録の住所だけ。親類などももう誰一人知らないという。
とりあえず行ってみるか、とグラスゴーから車で15分ほどのジョンストンという小さな町の、その住所を訪ねる。

絵に描いたような「おうち」だった

夫はピンポンしてみるという。
「住んでる人が出てきたら、何ていうの?」
「自分のおじいさんが昔ここに住んでいた、と言う。」
「それから?」
「・・・それだけ。」

(それ単なる不審者・・・・)と思ったけど、ここまで来たからには、気が済むまでやったらええ。
幸い、だれも出てこなかった。

「ここか・・・」「ここだね・・・」と言い合って、ジョンストンの街で、地元民しかいないイタリアンレストランで、まったくジョンストンと関係ないパスタを食べてグラスゴーに戻る。 

□小説の中のベラ(ヴィクトリア)は1854年に生まれ、1946年に92歳で死ぬ。
ゴドウィンが死に、夫のマッキャンドルスとの間に息子3人が生まれ、2名は第一次世界大戦(1914ー1918年)で戦死、1名はのちに事故死する。夫も子供もみんな亡くしても、ベラは第二次世界大戦(1939-1945年)後まで、2つの世界大戦を生き抜く。

□小説の中のベラは5回、名前を変える。
ヴィクトリア・ハタズレー(イギリスの嫌な父親のもと生まれる)
ヴィクトリア・ブレシントン(父親の差し金でイギリスの嫌な男に嫁入りし、自殺)
ベラ・バクスター(ゴドウィンが再生させる)
ベラ・マッキャンドルス(マッキャンドルスと結婚)
”ヴィクトリア”・マッキャンドルス(医学部入学時以降、再びヴィクトリアを名乗る)

こうしてみると、ヴィクトリアとして生まれた女性がベラであった期間というのはほんの5年しかない。27歳で自殺してベラ・バクスターの名前と名付けられる。その後、32歳で医学部に”ヴィクトリア”・マッキャンドルスとして入学するまで。

男たちが全員死んでいったあとも、ファム・ファタールとして鳴らした若い美貌が失せても、”ヴィクトリア”はサバイバルに強い。変人あつかいされようとも、信じたこと、やりたいことをしぶとく続けるしたたかな女性ドクターとして生きる。

男たちに振り回された人生の中で名前をコロコロ変えることになっても、最後の最後、しぶとい女が勝つ。Victoriaの名前の通り。


■□もう来ることがなさそうなグラスゴーにせっかくいて車がある。
夫が人生のルーツを訪ねるなら、私は人生初の聖地巡礼をしよう。偶然にもベラの自殺したクライド川には詣でたわけだし。

アラスター・グレイの実際に住んでいた家、そしてゴドウィンが、マッキャンドルスが、ベラが、ヴィクトリアが住んだ家として小説の舞台ともなった18 Park Circus Glasgow を訪問。

現在の所有者にしてみれば迷惑な話

ここがパークサーカスかあ・・・
アラスター・グレイの、そして「哀れなるものたち」の原点。

約1名の中で局地的大ブーム。
もちろん誰もいない


これが18番かあ

わたしは常識人なのでピンポンはせず大人しく帰る。

□アラスター・グレイ。
いったい何が書きたかったんだろう・・・・とずっと考える。
めっちゃ変な人だけど、きっと心の温かい人で、人道主義者であり、戦争を憎む人であり、男同士のトキシックマスキュリニティを憎むくだりもある。
その反面、スコットランドの伝統にはこだわり、ミソジニストで差別的な男たちをこれでもかと登場させる。

ものすごい雑だけど、アラスター・グレイは、全部になりかったんだろう。創造主に、神に、天才医師に、美人のファム・ファタールに、世界旅行家に、愛する人に、愛される人に、高潔な人間に、困っている人の救済者に、そういう全部になりたかったんだろう。

そして、同時に出てくるイケ好かないやつに、モンスターに、ゲスな人間に、差別主義者に、ミソジニストに、どこかでコインの裏表のように顔を出すそれらも全部、彼の中にあって、それも全部書きたかったんだろう。



なんて読書って楽しいんだろう!!って久しぶりに思った一冊。
奇書、怪作、そしてめちゃ好みだった。
わたしのスコットランド旅行を、なんらかの魔力で彩ってくれてありがとう。

アラスターおじさん。
The New Yorker 参照


もしあなたがその1からその5まで読んでくださった稀有な方なら。
こんな乱文に付き合って下さり、心からありがとう、あなたに幸あれ。
この本読んで面白かったら、感想を話し合いたいものです。

おわり!


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