見出し画像

夜バスが怖い。幼い頃のトラウマ話。

夜のバスが怖い。
48歳になった今でも、できれば乗りたくない。暗闇のなかをやけに不吉な感じで走ってくる姿。あの陰鬱な蛍光灯。乗っている人を全員、疲れ切った不幸な人に見せる装置のような夜のバス。この後の人生で夜のバスに乗らなくてすむなら何でもする。
そのくらい夜バスを嫌いになった、小さいころの思い出。

***
たぶん、5歳のときの出来事だと思う。

わたしはその頃、ピアノを習っていた。先生は怖いわけではないけど、どことなく冷たい感じのする瓜ざね顔の人で、あまり楽しかった思い出はない。先生は母の友達で、私を産むときに産院で隣のベッドだったのがきっかけで友達になったと言っていた。ということは私とほとんど同じ誕生日の子がいたはずなのに、その子の記憶が全くないのも、妙な気がする。

ピアノのレッスンには、片道20分のバスに乗って一人で通っていた。出かける前に、母が綴り印刷されている西鉄バスの回数券を2枚を切り取って、私にくれる。たしか50円、とかそんな価格だった。

自分に子供がいないせいか、5歳の子供に車がびゅんびゅん走っている大きな道沿いを一人で歩かせたりすることを考えただけで恐ろしい。「はじめてのおつかい」を見て安心して泣けるのも、後ろにカメラクルーがついていてくれるからこそだ。小学校に入れば誰でも一人で通学する日本では、そんなおおごとでもないのかもしれないが、毎日、親御さんたちは祈るように送り出しているのかもしれない。

携帯電話も、クレジットカードも、アップルウォッチもなにも持っていない、ほとんど裸同然の5歳のわたし。ポケットにバスの回数券を2枚だけ持って。

***


ある明るい秋の夕方、私はピアノレッスンが終わったあと、帰りのバスを待っていた。私はその頃、バスの前タイヤの上の、足元が丸く盛り上がっている座席が好きで、空いていれば是非ともその座席に座りたかった。

やってきたバスはガラガラで、私の好きなその席が空いていた!その日も私は嬉しくて一目散にその席に座った。バスに乗って、おうちへ帰る。

わたしは降りる場所を間違えないように、窓からの景色を見ていただろう。


***


次の瞬間、乗り物に乗っている時特有の、ものすごく深い熟睡感からはっと目を覚ました。
私はいつの間にか眠り込んでしまっていた。

乗ったときガラガラだったバスの中は、いつの間にか通勤帰りの大人たちで混み合っていた。窓の外はもう、真っ暗になっていた。
自分の家をはるか通り越して、ずっと遠くの場所で目を覚ましたのだった。


わたしは「降ります」のボタンを押して、次のバス停で降りようと運転席のほうに近づいていった。バスが停留所に停まった。

どうしたのか、私はしっかり持っていたはずの帰りのバスの回数券をどこかに無くしてしまっていた。わたしは運転手さんに「回数券をなくしてしまいました」と話したら、運転手さんはわたしに、今日はそのまま降りていいよ、また次に払ってくれたらいいよ、と言ってくれた。

眠りこけている私をみていたのかもしれない。

バスのステップを降りる私に、運転手さんが後ろから声をかけてくれて、帰りの道は分かるのか、と聞いてくれた。
多分、私はなにか目印になるものを窓から見たのだろうけど、自分が家を通り越して、お兄ちゃんの通う小学校も通り越して、車でしか来ない遠くの大きいスーパーのそばまでのほうまで来てしまったことは分かっていた。乗ってきたバスと逆の方向にまっすぐ歩いていったら、家に帰れることは分かっていた。

心配げな運転手さんの声を後ろに聞きながら、私は返事もしないで、走るように、逆方向に歩きだしたのを覚えている。


私はどんどん、どんどん、歩いた。
家に帰るまで、誰にも声もかけられず(そして誘拐されたりもせず)私は、休みもせず、多分、5歳児なりの必死さで歩いた。
お兄ちゃんの小学校を過ぎて、まるよしスーパーのところも過ぎて、家まで、家まで、家まで歩いた。


家の近くまできたら、帰りの遅い私を探しに家の門の外まで出てキョロキョロしている母が見えた。三角に落ちた街灯の光の中に見えた影絵のような母の姿をよく覚えているのは、それを見た時に、ずいぶんほっとしたからなのだろう。

帰りが遅いから心配してピアノの先生の家に電話をした、と母が私に言った。その後、泣いたりした記憶もないし、案外その時はケロッとしていたのかもしれない。




眠ってしまって、どこだか分からない場所で目を覚ます。それは夜じゃなくても、バスじゃなくても、起こるんだけど。
とにかく、でも、もう夜のバスには乗りたくない。そのくらい、怖かった。


***

今になって、バスを降りたのはあの辺りだろう、と思う場所から、その頃の私の家までをGOOGLE MAPで見てみたら、その距離は2.5キロくらいだった。
暗くなった秋の夕暮れを、一人で2.5キロの道を歩いた5歳の頃の自分。


あの日に戻れるんだったら、
手をつないで、一緒に歩いてあげたい。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?