確かな人間観
Oct 28, 2005(楽天blogより)
東京下町にあるこの心療内科は歴史も古く、
その分長い間入院されている患者さんも沢山いらっしゃいます。
その中に症状も安定し、もうそろそろ社会に出ていける状態で
デイケアで準備をしているメンバーもいます。
落ち着き先として、グループホームもありますが、
彼らは自宅に帰りたいという希望を持っています。
しかし、それを受け入れてくれる家族がいません。
長期の入院で両親を失い、兄弟の家族に受け入れてもらうしかないのです。発病し、急性期があって、家族にはその時の記憶が忘れられないのです。
「もう前の俺とは違う、あんなことは決してしないよ」と
いくら訴えても、家族は信じてくれません。
この病院のデイケアに来るといつも思い出します。
子供の頃義姉の実家に連れていってもらうのが楽しみでした。
義姉の弟のTさんに会いたかったのです。
馬になって背中に乗せてくれたり、肩車をしてくれたり、
怖がると馬小屋の隣にある手洗いにも付いていってくれる
優しいお兄ちゃんでした。
彼は結婚し、子供を二人儲けますが、発病します。
包丁を持って暴れたのは一度だけです。
すぐ入院させられ、当時の診断名は分裂病
(現在は統合失調症と病名が変わりました)でした。
それから後の三十年間、病院で過ごしています。
子供の結婚式の時も、孫ができても、彼は家族と会うことは
ありません。
妻が受け入れてくれないのです。
そのうちTさんの存在は家族の生活から全く消えてしまいました。
偏見と差別の中で、家族が力をあわせて父を、母を、
兄弟を見守っていく家族もあります。
同じ病気をもつ家族同士が情報を交換し合いながら、
むしろ人間として成長していく家族もいます。
精神の病気は誰でもなる可能性のある病気です。
人間だけがなる精神の病気を理解し、家族を支援し、
細やかな心ずかいで手厚く介護するデイケアのスタッフの
“確かな人間観”にいつも教えられます。
「すべての人間は身体障害者であり、
すべての人間は精神障害者であり、
すべての人間は老人である。
したがって、すべての人間は健康ではなく病人である」
野口 三千三
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