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「湊町しもまちを残したい」。次世代につなげる歴史とまちづくり

「自分の街がどんな街か」ということを考えたことがあるでしょうか? 

○○駅から電車で何駅の街、おすすめスポットはここ、広い、狭い。もちろんそれも大事だけれど、時代を遡り、「自分の街はどうやって生まれたか」、「どんな歴史があるか」、「これからどうしたいか」そんなことを考えたことはあるでしょうか。

「しもまち」ってしってる?

新潟市中央区に位置する「しもまち」。みなさん「しもまち」という場所を知っていますか?
いろいろな説がありますが、「はじめて、しもまち」プロジェクトでは、柳都大橋から海に向かったエリアを「下町」として設定して活動しています。

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今回は、そんな下町を盛り上げようと以前から活動してきた高取商店の高取サト子さんにお話を伺いました。高取さんは、米農家でありながら、明治32年から続く高取商店の経営や下町のまちづくりなど一人何役もこなすとってもパワフルな方。まだ「まちづくり」の言葉が一般的ではなかった数十年前から下町がより住みやすい街になるように活動を行っています。

高取サト子さん
新潟市西蒲区生まれ。3代目高取商店店主。ウェルカム下町推進委員会の会長。現在は、西蒲区で米を作りながら、自身の作った米を高取商店で販売もしている。「農業を広める使命があるからね。人生は有限なんだから」と農業を広め、伝える意欲も高い。

床屋さんが多いのはなんで?

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ずっとずっと昔にさかのぼること、明治時代。

かつての下町地区は、砂丘地帯で何もない土地だったそう。明治元年に新潟港を制定したことで港ができ、下町には建物や運上所がつくられ、下町船乗りたちの生活の拠点となっていきました。

「ここらへんは、元々は商人の町じゃなくってね。新潟湊には船乗りたちが下りてくるようになって、その人たちの生活の要望に応えるうちに、小さいお店が増えていったのよ。はじめにこの街ありきでなく、湊ありきの街なの」

高取さんはそう言って下町の歴史について話し始めてくれました。今でも下町には床屋が多い。その理由は長旅の船乗りたちが寄港して髪を切る人が多かったからだそうです。床屋だけではありません。当時栄えたお店が、もうひとつ。芸妓の文化も広がっていきました。これも船乗りたちが、帰って来るたびに立ち寄ったから。

このように下町は、船乗りたちの希望をかなえる湊町としてはじまったのです。

みんなで一緒にするまちづくり

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いまでこそウェルカム下町推進委員会の会長を務め、下町のまちづくりに積極的に取り組む高取さんですが、高取商店を継いだ当初は周りの目が厳しい時代もあったといいます。

当時はまだ「まちづくり」という言葉が広まってなかったころ。高取商店に来るお客さんは「下町はだめだ」と口にすることが多かったそう。そんな状況を見て高取さんはこう感じました。

「街を元気にしたい」

「下町はだめじゃないんだ」という想いでまちづくりをしようと動き始めた高取さん。はじめはうまくいかないこともありましたが、次第に活動に賛同してくれる人々も増えてくるようになりました。そうした人たちと話し合い、まずは街の歴史を勉強会通じて学ぶことから始めていったといいます。

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「わたしは、新潟市の都市景観の勉強をして、まちづくりがただのどんちゃん騒ぎになってしまわないようにしたかったの。ウエルカムのメンバーだけが学ぶのではなくこの街に住む人たちも一緒に学びこの街に対する意識を変えたかったから。『なんでこの街ができたか』という街の歴史の勉強会を開くところからはじめたのよ」

歴史について勉強し始めると、下町を誇りに思う気持ちがだんだん強くなっていきます。そして、「この街を元気にするためにはどうしたらいいか」ということをみんなで考え始めました。

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「下町を元気にするなら、たくさんの人に来てもらおうよ!」と考え、企画されたのが下町をつつじで彩るイベント「つつじ祭り」です。かつて下町にはたくさんのつつじが咲き誇り、美しい景色をつくり出していたそう。そんな美しかった風景を広めたくて始めたつつじ祭りは、だんだんと来客も増え、にぎわいをだしていきました。

「私は、まちづくりを始めようとしていたわけじゃなくてね。勉強会をずっと続けていく中で、私達のしていることは『まちづくりなんだ』と思った訳です。私たちだけが勉強するんじゃなくてね、下町の人にも一緒に勉強してほしいなって」

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勉強会や清掃活動を持続的に行う中で地域の方と徐々につながっていった高取さん。その努力や地域住民とのつながりのおかげで、少しずつ仲間も増えていきました。

水の都の景観をもう一度。早川堀りの復活

下町の歴史を語る上で重要な役目を果たすのが、「堀」。

「堀」は船が行き交う湊町新潟にとって、船と陸をつなぐ、港から通ずる大事な水の道でした。しかし、時代の流れや地盤沈下などで堀は淀み、臭くなり、昭和30年代に埋め立てられてしまいました。

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そこから時は流れ、2006年。
「水の都」としての景観を取り戻そうと、「早川堀通り周辺まちづくりを考える会」が発足しました。

長い間、住民とやりとりを続け、2014年に早川堀りを復活させました。せせらぎのように美しく堀端の柳の木とともに、新潟の象徴としての風情ある景観を取り戻しています。

下町の歴史を次世代につなぐ、わかりやすく伝える

「若い人たちのセンスが良くてね、たくさんの人が来てくれたのよ」とうれしそうに話すのは、下町のキャンドルナイトイベントのこと。

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キャンドルナイトイベントは、「街に光をともしたい」という想いから始まったイベントです。はじめは、つつじ祭りの前日にやっていたものを単独開催にしたところ、来場者も徐々に増えていったそう。

「お年寄りは、『下町に子どもたちなんてたくさんいない』と言うけど、キャンドルナイトの日には子どもも若者もたくさん来てくれてね。そうなったのも、若い人たちのおかげだね。

キャンドルナイトは完全に若い人にお願いしているの。センスもあるしね。私たちが若い人を支えるから、自由にやってほしい。その分私たちが、誰からも文句を言われないように支える役割を担えれば」

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高取さんのような力強い土台と心強い後ろ盾があれば、新しい世代の人たちもいろんなことにチャレンジしやすい土地となっていきます。そんな下町の母のように温かく見守る高取さんはすでに下町を次の世代に受け継いでいくことを考えています。

「下町が湊町だったという事実をちゃんと受け継いでいかなきゃいけないとは思っているの。下町が湊町ということを知っている人がいないから。それをわかる人がどんどんと言ってあげないとだめ。次の世代にわかるように伝えていかなきゃいけないの。

私たちも一緒に勉強しながら、『ここは湊町なんだよ』ってことを、言い切れるような会員にならなきゃだめ。ウェルカム下町推進委員会のみんなは、まちづくりを頑張りたいという想いがあるから、その思いを実現できるようにできることは手助けしてあげたい。それがわたしのできることなの」

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下町の過去や歴史を大事にしつつ、未来を見つめて次の世代にわかりやすく伝えていく。それが下町のまちづくりを支えているのかもしれません。

自分の街に関わる、さらに良くしていこうという当事者意識を持ち、まちづくりを考えている若い世代はどれくらいいるのでしょうか。

「自分が生活できれば別にいい」、「土地のことも他人のこともどうでもいい」という傍観者になるのではなく、自分の住む街のことを学び、実践し、それを誰かに伝えていく。自らがかかわり、変えていこうとする当事者意識があるかどうかで、自分の街の未来の在り方は変わってくるような気がしました。

さあ、あなたの街はなんの街ですか?
今一度自分の住む街を振り返ってみてはいかがでしょうか。

Information
高取商店
住所:新潟市中央区赤坂町1-3207
TEL:025-222-8905
■この記事を書いたひと
ネルマエ文庫
新潟市生まれ、新潟市在住。寝る前のしんとした時間にゆるりと読めるZINEを制作しています。また、「新潟はいいよ~」というところをフリーペーパーやZINEで発信していきます。設置場所や取扱店は下記SNSをご確認くださいませ。
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