記憶の杭

私が物心ついたときから、私の祖母は認知症だった。

覚えている中で最も昔の記憶にあるのは、たまに私を孫だと思い出してくれる祖母。
「デイサービスのお出かけ先でおばあちゃんが買ってきてくれたんだよ」、と父が渡してくれた人形。祖母なりに、私を記憶の片隅に置いてくれていたのだと思う。

私はというと、祖母を祖母だと実感を持って認識できていなかった。幼い私の中では、きっと祖母なんだろう、と少し距離のある認識をしていたように思う。

私の成長とともに、祖母の認知症はじりじりと進んだ。記憶が過去で止まり、家族を家族と認識できなくなった。
口元に手を当て、そこにいない誰かに向けてひっそりと小さい声で話しかけている姿を思い出す。介護をしている父に対して叫ぶ祖母の荒い声も何度も聞いた。

何十年もかけて蓄積してきた記憶を思い出せなくなるというのは、どれだけ悲しいことなんだろう。
今自分がどこにいて、すぐ横にいる人間が誰なのか、何もかもわからない。"知らない"人間にありとあらゆる身の回りの世話をされるなんて、叫びたくなるのも自然なことだ。
自分がどういう人間なのかも解らなくなり、大切にしてきたであろう存在をそれとして見ることができなくなるなんて、想像するのも耐え難い。

あの頃、孫である私が祖母にしてあげられることは何かしらあっただろうに、家族の中でも私が一番、祖母に対する認識があやふやで、何もできなかった。
わけもわからず攻撃的に振る舞う祖母をただ見ているだけだった。

祖母の存在を他人事として見ていた部分があったと思う。それはこれから先も私という人間の奥底で刺さったまま、きっと消えない杭であり続ける。

むしろ消すべきではないんだろう。
もう何も言葉を掛けてあげられない祖母に対して私ができることは、その悔いを忘れずに生きていくことしかないのだから。

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