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プロフェッショナルが集まった家族

「人生詰んだ」状態をリセットする魔法

第3章 私の激動人生
・プロフェッショナルが集まった家族
・富豪から極貧への転落
・偉人は肩書きに囚われない
・因果を辿れば夢は簡単に実現する
・10年で10倍になった

・プロフェッショナルが集まった家族

この章では私の生い立ちについて語りたい。

先に断っておくが、私は自分の過去の話を自慢げに語る人や肩書きや経歴を振りかざす人を評価しない。
人の魅力は目に見えないところにあると思うし、表面上だけよく見せても、それで集まって来るのは、やはり恩恵に預かろうとするだけの表面的な人間だけである。
口先だけは絶賛するが心の中では見下している。そんな人達とはできれば関わりたく無い。

偉大な人は淡々黙々と良い仕事をする人だと思うし、そんな生き様をカッコイイと思っている。
普段は自己PRの仕方などを指導する立場だが、本音は自己PRなんてしなくても自然と評価される人間になって欲しいと願っているし、自分もそうでありたい。

よって、自分の話をするのはとても抵抗があるのだが、そうは言っても自己紹介が無ければ、読者との距離も縮まらない。
親近感を抱いてもらうために、ここでは、過去の経験や失敗などを中心に書いて行く。
読者の暇潰しになれば幸いである。

さて、私の父親は当時、任天堂に勤めるプログラマーであった。
私は幼少の頃からパソコンやゲームに囲まれ、最先端技術の大切さについて教えられた。
小学生の時には既にインターネットでチャットなどをしていたので、同世代の中ではかなり早い時期から今の世界の端緒に触れていたと言える。

父方の祖父は、公務員であり、名古屋駅や栄駅の駅長を務めていた。
子どもの頃は気付かなかったが、今から思うと大正生まれで公務員として出世して行った処世術など、大人になってからタメになる教えが多く、かなりの剛腕であったと感じる。

母親は江戸時代から続く老舗商店の出身で、「お客様は神様です」のような奉仕精神が非常に強かった。
常に温和で明るくニコニコしており、福祉の心も強く、地域の一人暮らしの高齢者の家を廻ってお世話をしたりしている。
情けは他人の為ならず、廻り廻って己に帰す、と言う商売の心得が知らず知らずのうちに根底に流れているような気もする。

この公務員の祖父と商売家の母は、考え方が正反対であった。
例えば友達に関してでも、祖父からは「なるべく頭の良い友達を選んで仲良くなるように」、母からは「誰とでも仲良くしなければならない」と言われた。

公務員は派閥や人間関係で浮きも沈みもする。誰と組むかは慎重に選ばなくてはならない。
一方で、商売の場合は誰もがお客様になって頂く可能性があるのだから、誰にでも仲良くして潜在的な得意先を増やすのが良い。
簡単に言えば、狭く深くの人間関係か、広く浅くの人間関係かと言うことだが、立場によって考え方が大きく異なることを知った。

また、祖父は父や私の財布・銀行口座に何も言わずにお金を入れていた。お金が無くなると知らない間にお金が入っている。祖父がそっとお金を補充していた。
これを母は「お金のありがたさがわからなくなるから、そんなことをしては教育に良くない」と言っていた。

後になって知るのだが、これは田中角栄が人心を掌握するのに使っていた手法で、知らず知らずにお金を渡し続けることでコントロールする。
逆らったらその入金が無くなるかもしれないから、もらっている方は完全服従するようになる。
これを子どもや孫にやっていたのだから、祖父は相当に恐ろしい人だったのだと思う。
確かに、祖父と出かけるとやたらと祖父にペコペコしている人が多かった。

一方で、商売屋出身の母にとってお金は商品の対価として戴くもの。
先にお金を渡してコントロールするなど、倫理的に受け入れられなかったのだろう。

理数コンピュータ系の父、公務員の祖父、商売の母、と生きていく上で将来必要となるスキルが自然とバランス良く備わったと感じる。
但し、家族は親戚一同、全員B型で、協調性の無さは凄まじいものがあった。

家族旅行はイメージしていた行きたい場所が各々異なり、ほとんどの場合、行き先で喧嘩になる。
何か行事があれば、各々で発注してしまい、当日、業者がダブルブッキングするなど、全員がリーダー気質であるため、「船頭多くして船山に上る」と言う状況であった。

楽しいはずの食卓も全員が人の話を遮って自分の話をするため、みんな不愉快な気分になる。
最終的には各自が自分の部屋や時間をズラして食べる孤食に落ち着いた。

良くも悪くも筋金入りの家族であった。

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