見出し画像

橈骨(とうこつ)神経

社会人になり、一年目の秋のことだ。とあることで、私は、右腕の上腕骨を、骨折したことがある。複雑骨折だった。

かなり酷く折れて、神経が麻痺し、手のひらは、開かなかった。つまり、ジャンケンの、パーが、出来なかった。


私が痛めた神経は、橈骨神経という、神経だった。かなり酷く折れたので、完全な回復は難しいだろうと、担当の医師から、言われた。


ちょっと、ショックだった。


もともとが左利きなので、日常生活は、それほど困らないだろうと思っていたのだが、文字を書くのは、小学校の担任の先生に右手にするように言われ、母も、それに従ったので、苦労して右手に矯正した。左手では、ほとんど、速いスピードでは、文字が書けない。

そのことを、ボンヤリと、残念に思った。


だが、入院中に、ある、若い先生に、出会った。主治医とは、違う、K医師だ。

雑談を交わすようになり、仲良くなり、右手の麻痺のことを、話した。

すると、その、K医師は、言った。


神経が繋がっていなかったら、繋げ直す手術をすることになる。運良く繋げ直しても、機能が戻るかどうかは、保証できない。

可能性があるのは、神経が切れていなくて、ただ、麻痺しているだけならば、リハビリ次第で、十分、機能が回復していく可能性が、ある。

だから、そこが、最大の、希望ポイントだ、と。


私の腕は、プレートを入れて補強しなければならず、まずは、神経そのものよりも、骨を接続回復させる手術を、早急に、やることになった。

主治医の先生には、いろいろと、相談し、要望もした。だが、真剣には、聞いていなかった。私にとって最大のポイントの、橈骨神経の確認については、約束できないと、全く取り合わなかった。

世の中、そういう医師も、残念ながら、少なからずいる。

私は、K医師に相談すると、K医師は、私の手術に、助手として立ち会うことを、約束してくれた。


手術は、無事に終わった。終わって、ストレッチャーで病室に運ばれる最中、麻酔がまだ効いていたが、目が覚めて、ろれつが回らない中、その主治医がすぐ側にいたので、私は、聞いてみたのだ。

先生、橈骨神経は、切れていなかったですか?


すると、その医師は、冷たく言い放った。

わからん!



心の中の、リトルkojuro(注1)が、怒ったように、つぶやいた。

まったく、いい加減な医者だな!


この声は、医師には、当然、聞こえていない。



病室に帰って、歩けるようになっても、手のひらは、開かなかった。

リハビリが始まる時期になったが、母が、急にやってきて、私に告げた。


病院、変えるから。


母は、その病院のことを、まったく信用しておらず、勝手に転院の手続きをとり、事を進めていたのだ。

母は、子煩悩で過保護だったが、かなり強引な人だった。

私は、少し抵抗したが、もう、看護師さんたちが、私のベッドの撤収の準備に、入ってきた。

実は後になり、母のこのときの強引さには、感謝をした。


荷物をまとめ、病室から出て、エレベーターに向かっているときに、K医師と、バッタリ、会った。だが少し、距離が離れていた。


するとK医師は、急ぎ足で歩み寄ってきて、私に、ハッキリと、こう、言った。


良かった。会えた!

神経、ついていたよ。切れてなかった。リハビリをやれば、確実に回復するよ!


私は、こういうのが、精一杯だった。

ありがとうございます!


私は、K医師の一言を、完全に、信じた。リハビリには、かなりの時間がかかったが、半年ほどで、私の右手は、ほぼ完全に、回復した。


心の中の、リトルkojuroが、うなずきながら、つぶやいた。

信ずるものは、救われる。


さらに半月ほどして、完全に回復してから、どうしてもお礼が言いたくて、前の病院に足を運んだ。すると、その病院は、経営者が変わっていて、事務員も、看護師も、医師も、もう、当時の人は、ほとんど残っていなかった。


私は、思うのである。人は、人に希望を与えることが、本当の仕事なのだ、と。

そして、偏見かも知れないが、スポーツ選手や医師は、希望を与えるためにこそ、存在しているのだと、思うのである。

特に、命を預かる医師となれば、希望を与えずして、何を施すのかと、思うのである。


K医師が言ったことは、本当なのか、どうなのか、今となっては、もう、分からない。だが、私の心に、決定的な希望の種を、埋め込んだ。そしてその希望は、結果的に、奇跡を起こした。結果から言えば、恐らく、本当に、神経は、切れていなかったのである。



一期一会という。人の縁。巡り合わせとは、不思議なものだ。

私は、主治医の顔も名前も覚えていないが、K医師の顔と名前は、今でも覚えているし、恐らく、これから先、一生忘れないだろう。



人は、一縷の希望さえ持っていられれば、将来さえ、変えることができるのだと、至極当然のことに、最近、ふと、あらためて、気づいた。



(注1)心の中の、リトルkojuroは、昔から、心の中に、いた。私の、本心でもあり、陰の、相談役でもある。noteの世界では、去年の夏頃から登場した。まだこの頃は、正確には、リトルkojuroという呼び名では、なかった。だが、便宜上、リトルkojuroの、名前で、登場してもらった。




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?