親子
付き添いとか、同行という言い方が良いのかどうか、そこは、よくわからないが、朝の、最近の通勤時間に、父と娘の、暖かな光景を目にしたので、それについて、書いてみたいと思う。
最近2カ月ちょっと、ゴールデンウィーク開けから、私は、ちょっと疲れが溜まってきたこともあり、他にもいくつか事情があって、超早朝出勤を、控えていた。それでも少しだけ早めで、7時30分過ぎには、出社している。
その、朝の、出勤の途中で、一緒に通学、出勤している父娘を、毎朝、見かけるようになった。
娘さんは、おそらく、小学校に入学したばかり。お父さんは、そのお嬢さんと一緒に、通学の訓練というか、慣らしをしているようだった。
仲の良い父と娘。
なんだか、懐かしく、微笑ましい。
その父娘と、地下鉄乗り換え口で、いつも、ちょうど、一緒になる。
5月いっぱいは、本当に、距離をとらず、一緒に、通学、出勤していた。仲睦まじく、お話をしながら。笑ったりしながら。
7月に入り、お父さんが、お嬢さんを、少し先に歩かせている姿を見た。
まだ、お嬢さんは、不安そうだ。時々、お父さんのほうを、振り返りながら、歩いている。
なんとも、微笑ましい。
私にも、それに似た思い出が、少し、ある。
私の場合は、長男だった。
私は、ほどほどに田舎の、東京都の端に住んでいるのだが、長男が、都心の学校に通うことになった。
中学生だから、さほど心配することも無かったのだが、過保護なので、しばらく、一緒に、都心まで通った。
通勤の時間、このご時世ではなく、普通の時間帯に出ると、超満員電車だった。
だから、少し早めに出て、少しでも、座れる可能性のある時間帯にした。
すると、長男は、疲れて、寝てしまうことが、多々、あった。だから、腕時計は、アラームが、バイブレーションで、音は鳴らないが、本人には、わかるタイプのものを、ちょっと手間をかけて探し回った。
それが、記事に、何度か、した、あの、腕時計である。
心の中の、リトルkojuroが、笑って、つぶやいた。
長男のお下がりの時計をしている。
これだけで、笑いがとれることもあるし、な。
子供は、宝だ。これからの未来やみんなの幸せを創ると考えれば、他の人の子供であっても、世の宝という考え方に立つべきなのだろうと、思う。
自分が幸せになることも大切だが、子供を大切に育てることも、人として、非常に重要なことなのだと思うのである。もちろん、自分の子供だけでなく、人の子供でも、だ。
世の中、残念ながら、そう思う親ばかりではないことも、承知している。かく言う私も、つい最近まで、良き親ではなかったと自省している。
だからこそ、こういう父の姿を見ると、後ろから声援を送りたくなる。
今朝も、その父娘を、見かけた。
もう、今は、お父さんは、地下鉄には、乗らない。ホームで、見送るのである。
小さなお嬢さんだけが、私と同じ方向へと向かう地下鉄に乗る。
お嬢さんは、発車と同時に、振り返り、お父さんに、手を振っていた。
その姿が、とても、愛おしく思えた。
私は、残念ながら、父というよりは、祖父の世代に、どっぷりとハマっている。ならば、祖父世代として、遅ればせながら、その父娘を応援しよう。
ちょっと、長男との思い出に浸りながら、世の中、まだまだ捨てたものではないと、朝の通勤時間の地下鉄の中で、つい、ひとり、密かに、微笑んだ。
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