配給
記事の中で、私は、配給という言葉を、よく使っている。配給というと、なんだか、否定的な感じもするが、私自身は、それほど否定的に使っているわけでもない。
だが、時に、ふざけて使う事もある。配給は、配給で。我が家は、過保護なので、子供たちを優先する。
例えば、このあいだ、カステラを家内が購入してきた。
子供たちが先に食べて、私の分の配給は、こんな感じだった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソッと、呟いた。
これは、配給というよりも、ちょっと少ないように見えるが、等分だな。
あれ?
このあいだの節分も、こういうものが、最後に、手元にやってきて。意気揚々と写真を撮ると、家内が、こう言った。
写真、もう、撮った?じゃあ、分けるね。
そして、こうなった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソッと、呟いた。
これは、さっちゃん(注1)と半分こ。これも、等分であって、配給ではないな。
あれ?
最近、子供たちが、何だかんだと、気を遣ってくれるようになった。結婚記念日にと、素敵な旅を用意してくれた。
過保護にして、子供たち優先にしては来たが、知らないあいだに子供たちも成長している。
何だかんだと、思い起こしていると、家内は、持ち帰りの仕事をしている。最近、家内の仕事量が増えてきていて。ソファーでゆっくりすることが少なくなってきている。
私は、自主トレ(注2)を申し出た。
家内は、マッサージをすると、上機嫌になる。
そして、家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキの関係で「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。
(注2)私は、家内のマッサージを、よくする。家内に促されずに、自らの申し出で家内のマッサージをすることを、自主トレと、勝手に呼んでいる。