メリケンパーク
これも、9月の3連休の時に、関西に行った時の話だ。中華街で豚まんを買い、少し食べて。久しぶりに神戸の街を歩いてみたくなった。BE KOBEも、この目で見たくなって、港まで歩いた。
神戸は、港町である。私は、山の手のほうの、そうは言っても、団地に住んでいて。港は、遠くから眺めるものだった。
海岸線には、神戸製鋼や、川崎重工などがあって。古くから港での貿易や物流が街を発展させてきたことが、景色からも分かる。
私は、神戸以外の街を知らなくて。むしろ、他の街と比べた面での神戸の良さを、知らずに育った。
20年以上前に、大きな震災があって。神戸の街のみならず、淡路から関西の広範囲で甚大な被害があった。
神戸の街は、復興してきたものの、人々の心の中には、大きな傷跡を残した。
私は、入社と共に大阪の寮に住み、震災の直前に東京の営業所に転勤した。震災の知らせは、東京の街で聞いた。
昔、メリケンパークというのが、あった。私の高校時代は、元町は、三ノ宮に比べると、静かな街だった。三ノ宮からセンター街を歩き、元町商店街の先の方の、海文堂という、海洋書籍がたくさん置いてある本屋に立ち寄るのが、たまの休みの楽しみだった。
そして、その帰りに、埠頭まで言って、ポートタワーと海を見る。帰り際に、山に目を移し、錨のマークが灯るのを見ながら、帰路につく。それが、最高の散歩コースだった。
景色も、人の流れも、もう、当時を思い出すものは、ここかしこに点在するような感じである。私の記憶も薄れてしまっているのだが、それよりも、あたりは、新しいものがたくさん出来た。
たまの晴れで。日差しが暑かった。
ベンチに座り、ぼんやりと人々の平和な様子を眺めていた。
老祥記の豚まんを頬張りながら。
心の中の、リトルkojuroが、のんびりとしながら、つぶやいた。
やっぱり、平和で明るいのが、世の中、いいな。
海の向こう側には、兄が結婚式をあげたホテルが見えた。
兄は、神戸を愛する人だ。そして、ふと、思い出した。かくいう私も、神戸の地で、結婚式を挙げた。
ずっと向こうの、今は、空港の近くだ。
家内も、学生時代、神戸に住んでいたことがあって。2人で、神戸のホテルにしようと決めた。
そんなことを、ぼんやりと思い出した。
家内は、別の所要で、その日は、私ひとりの散策だった。
海文堂は、かなり前に閉店していて。そこまでは、足を伸ばさなかった。
帰り際に、ふと、モニュメントの前を通りがかった。
メリケンパークだと思っていたが、正式名は、神戸港震災メモリアルパークだった。
震災の記憶。
忘れてはいけない。未来のためにも。私自身は、たまたま、遭遇することは無かったが。多くの知り合いが、亡くなったり、被害を受けた。
神戸の街を歩くのは、本当に、何十年ぶりだった。ゆっくりとした時間だった。今、平和であること。平穏であることを噛みしめながら、神戸の街を、後にした。星を眺めながら、生きとし生けるもの全ての平和と安寧を祈った。
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